南宇和の示した新しい方向
★帝京を破った友近の2点
国見と並んで、すばらしいサッカーを見せてくれたチームが、もう一つあった。南宇和である。
3年前に優勝して高校サッカーに新しい風を吹き込んだときは、2同戦で帝京、3回戦で四日市中央工と引き分け、PK戦で進出したのだが、今回は3回戦で前年優勝の帝京に2−0で完勝して、3年前の優勝が単なる幸運ではなかったことを証明した。
南宇和のすばらしさを代表したのは、身長1メートル63の2年生のストライカー友近である。
友近は50メートル6秒1という足を生かして、1、2回戦で逆襲速攻の3ゴールをあげていたが、帝京との試合では、ゴール前ですばやい反応と足技で先制点をあげ、さらに前半終了直前に、電光のような走り込みからヘディングによる2点目をあげた。
学校のある南宇和郡御荘町は、四国の西の端、愛媛県の南側にある。そんな地方のチームで、スピードと素早さと技術を兼ね備えた才能が育ったことが、すばらしい。
郡内の人口は3万人あまり、5つの小学校、3つの中学校があり、その上にただ一つの高等学校として南宇和がある。小学校から技術を大切にするサッカーを育て、それを高校チームに結びつけたのが、3年前の優勝の基礎となっていた。いわば、地域が一つのクラブである。
★ゾーンによる守り
南宇和の守りは、4人の浅い守備ラインによるゾーンだった。
いまの高校チームの守備ラインは2種類に分かれている。
一つは、相手のツートップをマンツーマンで厳しくマークしたうえにスイーパーを置く守りで、いわゆる3−5−2だが、実際には、両サイドは守備ラインから前線へ出撃する形で、5人の守備ラインといっていい。帝京、山城、武南はこのシステムだった。
もう一つは、4人のゾーンの守備ラインである。ストッパー2人に役割分担があって、1人が引き気味に主としてカバーリングをし、もう1人が主として中に入ってくる相手のマークを担当する形が多いが、マークの受け渡しは柔軟である。南宇和のほか、国見、静岡学園、桐蔭学園などが、このタイプだった。
4人のゾーンの守りには、一人一人のボール扱いの確かさと戦術的な判断力の柔軟差がより必要である。このゾーンの守りを、巧みに行っていたのが、南宇和だった。
「ボールをもっている相手を、どこでも2人がかりで守る」というのが石橋智之監督の話だった。2人でいくといっても、2人がかりでチェックに出るのではない。1人がマークに出た背後を、もう1人がカバーしながら狙っている。
その中心がユース代表のスイーパー、谷口である。帝京のエース松波の突進、阿部からのスルーパスを、この守備ラインが完封したのは、見事だった。
★地域を代表する“クラブ”
南宇和は、準々決勝では武南に敗れた。互角の好試合だったのだが、後半なかば、わずかに疲れが出たすきを、武南の得点王、江原につかれた。
「帝京に勝ってまわりが騒ぎ出したので選手たちが精神的に浮いてきた」と石橋監督は反省していたが、高校選手権では、選手たちを決勝まで盛り上げていく手綱さばきに歴代の名監督も苦労を重ねてきている。37歳の石橋監督にとっては、今回は貴重な経験だっただろう。
しかし、ベスト4は逃したが、南宇和は高校サッカーの一つの生き方を示したチームだった。
地域の少年チームから、技術を大事にするサッカーを普及させ、きらめく才能を拾い出している。
南宇和には、地元で開業している民間のスポーツ・トレーナーがチームの体力管理のためについてきており、地元の医師がチームドクターとしてついていたという。そういう点でも、地域を代表する一つのクラブのようだった。
スピードと力に頼らないで、個人の技術と才能を生かしたサッカーをするスタイルにも、クラブチームのような良さがあった。
40年ぶりに都立で東京代表になった久留米は、南宇和に刺激されて、地元の少年たちの育成を手懸けている。首都圏では、育てた選手が必ずしも、自分のところに入学してくれないので、地方のようにはいかないけれども、南宇和が新しい刺激になった一つの例である。
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