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サッカーマガジン 1993年2月21日号

第71回全国高校選手権
変革の「予感」も…
「国見の時代」へ
7年間で3回目の優勝  (3/3)     

時代は変わりつつある
★「帝京時代」の終わり?

 帝京が3回戦で消えたのには、高校サッカーの時代が変わりつつあることを感じさせるものがあった。
 帝京は、古沼貞雄監督によって6度の選手権優勝を成し遂げた優勝候補の常連である。1977年に大会が首都圏開催になってからは、高校サッカーの「帝京時代」だったといっていい。
 もちろん、これまでにも帝京の早い段階での敗退がなかったわけではない。しかし、今回の試合ぶりには「いよいよ帝京時代の終わりか」と感じさせられるところがあった。
 3回戦の試合は、帝京の出来がとくに悪く、南宇和の出来は最高だった。だが、それにしても、阿部−松波という前年優勝のときのエースコンビが3年生になっているのに、それほどの伸びが見られなかったのは意外である。
 一つの理由は、いろいろな地域が、同じようにすぐれた選手を、地元で育てていることだろう。全国のいい素材が名門高に集まる時代は、もう終わったのかもしれない。
 もう一つの理由は、帝京のサッカーのスタイルのなかにある。かつては「蹴って走る」サッカーに対して帝京の「中盤から攻める」サッカーは新鮮だった。しかし、いまは「つなぐサッカー」「ドリブルのサッカー」がつぎつぎに現われ、帝京のサッカーが雑に見えるほどになっている。
 「帝京時代の終わり」は、帝京が今後は優勝できないだろう、という意味ではない。ただ、帝京もまた、変革を求められている、ということである。

★桐蔭の監督退場事件
 優勝候補といわれながら、早々と消えたチームのなかに神奈川の桐蔭学園もある。桐蔭は2回戦で山城とのPK戦で姿を消した。
 桐蔭は1回戦で監督退場事件を起こした。李国秀監督が、タッチラインぎわに出て主審に対して発言したためだった。監督の退場は高校サッカーでは初めてで、1試合のベンチ入り禁止となった。
 2回戦で勝てなかった原因が、監督不在にあったわけではないにしても、監督の言動は若い選手に大きな影響を及ぼすものである。高校チームを優勝させてきた名監督の老練さを、意欲に燃えている若い指導者たちも見習わなければならない。
 桐蔭は、すばらしい素材をたくさん集めて、新しい高校サッカーのあり方を求めているチームである。しかし、桐蔭の場合、すぐれた素材を育てたのは必ずしも地元ではない。
  素早いドリブルをする三上は三菱養和の出身であり、中盤の組み立て役の小池は読売ジュニアから来ている。スピードと技術のある大型スイーパーの広長は大阪の枚方(ひらかた)育ちである。チームを育てるのではなく、タレントで組み立てている感じがあった。
 山城との試合では、PKでリードしたあと、極端に押し上げる守備ラインの裏をつかれて同点にされた。
 桐蔭は、これまでにも、しばしば柔軟性に乏しい守備ラインをつかれる失敗を繰り返している。システムにこだわる「かたくなさ」が、今回もたたっていた。

★山城の意外な進出
 山城は意外な進出だった。2回戦で桐蔭を、準々決勝で四日市中央工を、それぞれPK戦を制し、準決勝では習志野を2−1で破った。
 山城は、34年前に優勝したことのある名門である。古豪が新しいものを備えて復活してきたのが面白い。
 山城の新しさは、中盤の石塚を中心に組み立てる攻めの面白さだという前評判だった。ところが、その石塚が12月末の練習試合で右足の指を亀裂骨折しプレーできなくなった。
 山城は、そこで急に守りのチームに変身した。スイーパーの松本、マークの厳しい加藤、小林の3人が堅く守り、逆襲が武器になった。
 決勝戦――。厳しいマークの守りは成功していたのだが、国見の個人技の方が上回った。
 2点目をとられては、捨身の反撃に出るほかはない。
 後半18分、石塚がはじめて登場した。スタンドからあがった大きな歓声、手をたたいてフィールドに迎え入れた選手たち。石塚への期待が、これほど大きいことが意外だった。
 その石塚は、髪を茶色に染めていた。古い時代の山城を知る者にとっては、これもまた意外である。
 「高校サッカーは変わった」と思う。
 石塚の登場で山城は活気づいた。柔らかいボールタッチ、視野の広いパスのセンスが、山城のサッカーを変えた。
 しかし、石塚はほとんど走れなかった。リズムは、やがて、また国見に戻った。

★選手権改革のとき
 優勝した国見の小嶺監督は、高校サッカーを指導して25年になる。山城は31年ぶりの決勝進出だった。
 こういう数字だけ見ると、古いサッカーが続いているような錯覚が起きるけれども、実は高校サッカーの中身は大きく変わりつつある。
 たとえば、習志野は、21年前に優勝した古い名門だが、夏休みにウルグアイ遠征をするなど新しい試みに挑戦している。静岡学園、仙台育英などにはブラジル人のコーチ、監督がいる。成果はさまざまだが、それぞれに高校サッカーを変えようと努力している。
 また、Jリーグの発足で、高校の選手も指導者も、高校で勝つだけでなく、卒業後もサッカーを大きく伸ばす必要を感じはじめている。
 こういう流れのなかで、高校選手権のあり方そのものの変革を求める声が出てきた。
 準々決勝の前に1日の休みがあるだけでの連戦は、非常に苛酷だ。少なくとも、ラグビーの高校選手権と同じように、1日置きに試合をする方式に変えようという意見が新聞にも出た。
 1県1校制をやめて出場校数を減らそうという協会の長沼副会長の考えも明らかにされた。
 テレビ放映の都合や、冬休み中に大会を終えなければならない学校教育の難しい事情はある。
 しかし、サッカーが変わり、時代が変わっていくなかで、まず主催者である高校体育連盟のサッカー関係者が、自ら積極的に改革を考えなければならないときである。

 

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