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サッカーマガジン 1993年2月21日号

ビバ!サッカー

’92年日本サッカー大賞はオフト

 ジャジャーン!
 いよいよ、第2次サッカーブームの夜明けを告げた1992年度の日本サッカー大賞の発表でーす。 
 ビバ!サッカーは、長年にわたって、いかなる権威にも迎合せず、はなやかな目先の人気にも惑わされず、公正な独断をもって、歴史の評価に耐える業績を表彰してきておりまーす。 
 ジャジャーン!
 今回の日本サッカー大賞はーっ!

★カズと日本代表は対象外
タイトルの上にさらに表彰を重ねては権威がないがしろに
 日本サッカー大賞の選考にあたっては、広く友人たちの意見に耳を傾けるけれども、最終的には権威あるただ1人の選考委員が決定する。友人たちはサッカーをよく知っていて見識もあるのだが、残念ながら視野が狭いからである。 
 カズの人気が圧倒的だと、すぐにMVPをやりたがる一方で、日本代表チームがアジアカップで優勝すると「優勝はチーム全体の力だから、代表チーム全員を表彰しよう」と言い始める。 
 しかし、わがビバ!サッカーは、人気の源を冷静に見極め、優勝に寄与した真の力を評価する。したがって……。
 「じゃ、今度のグランプリは、読売ヴェルディのカズでもないし、アジアのタイトル獲得を果たした日本代表チームでもないんだな」 
 と、友人が口をとがらせた。 
 その通り。 
 先日、知り合いのオランダ人のコーチが、たまたま日本に来たので、久しぶりに歓談した。 
 「日本には1億円以上も給料をもらう選手がいるそうじゃないか。そいつはファンバステンくらいの力があるのかね? そんな、いい選手がいるのなら、すぐヨーロッパヘ売り飛ばしてしまえ。500万円くらいの選手を、おれに任せれば、すぐ代わりの1億円選手に育ててやる」 
 「まあね。ジーコよりは偉いらしいよ。ジーコとの対談に1時間以上も遅れてきたので、ジーコが怒って帰ってしまった、という話が週刊誌に出ていた」 
 それはともかく、すでに十分な報酬と人気といろいろなトロフィーを得ている選手を、特別な世界的業績でもないかぎり、ビバ!サッカーが表彰することはない。 
 日本代表チームの方は、どうか。 
 アジアカップでの優勝は、日本のサッカー史上、画期的な業績であることは間違いない。そのことは、いくら強調しても、強調し過ぎということはない。 
 しかし、広島での業績は、アジアカップというタイトルそのものによって、すでに報われ、間違いなく歴史に残るものである。 
 そのタイトルの上に、さらに大賞を重ねるのは、タイトルの権威をないがしろにするものではないか。 
 元旦の天皇杯の表彰で、天皇杯の他に、さらに、いろいろのカップが授与されるのを、ぼくは毎年、苦々しい思いで見ている。 
 天皇杯の上にさらに冠を重ねて、おそれおおいとは思わないのだろうか。 
 冠は二つも、三つも重ねてかぶるものではない。 
 したがって、アジアの最高のタイトルによって飾られている日本代表チームも、今回は選考の対象外である。

★日本代表を変えた男! 
隠されていた個人の戦術能力を引出したのが最大の功績!
 ジャジャーン!
 「1992年度の日本サッカー大賞は、日本代表チームを変えた男、ハンス・オフト監督に決定いたしまーす!」
 「なんだ」 
 と友人がバカにした。 
 「結局、日本代表チームを表彰するのと同じじゃないか」 
 だが、これは同じじゃない。 
 日本代表チームがアジアカップを制した。これは、選手たちの力であり、サポートした多くのスタッフの功績である。それは明らかだ。 
 しかし、チーム全体の功績だからといって、これまでファンを失望させ続けていたチームを、がらりと変えた決定的な要因を埋もれさせるのは、よろしくない。 
 わが日本サッカー大賞は、賞金もトロフィーもなく、ただ、その功績を記録に留めるだけであるが、他のどのような表彰よりも権威がある。 
 そこで、オフト監督の功績を、権威ある歴代受賞者リストに加えることによって、明確に歴史に残すことにした。 
 オフト監督が、日本代表チームを変えた原動力であることは、誰でも認めるだろう。その仕事ぶりも、すでに読者は十分に承知しているに違いない。 
 だから、ここでは簡単に紹介するにとどめるが、オフト監督は、特別に新しいことをしたわけではない。ただ、日本代表の選手たちが、もともと持っていながら発揮できないでいた能力を、引き出して組み合わせただけである。 
 オフト監督が引き出したのは、個人の戦術能力である。オフト監督の言葉によれば、それは「たくさんの小さなこと」である。 
 近ごろ「アイコンタクト」、「トライアングル」などという言葉が、サッカーの流行語になってきつつあるが、これは「小さなこと」の一つ、一つである。こういう小さなことが「100以上ある」とオフトはいう。 
 その一つ一つは、日本でも前から知られていたことである。ただ、知っていても、それが適切に、意識して実行されていたかどうかは、別問題だ。 
 オフト監督は、日本のサッカーに欠けていた個人の戦術能力が、本来ないのではなく、開発されていないだけであることを見抜いた。そして短期間に、それを引き出すことに成功した。 
 これは、選手たちが、もともと、そういうことが出来る技術と理解力を持っていたからであるが、実際に適切な指導によって、能力を開発したのは、オフト監督の最大の功績だといっていい。日本のサッカーの弱点を、あざやかに矯正したことだけで大賞に値するに十分である。

★Jリーグ効果の功労者! 
第2次サッカーブームを生んだ演出者と主役、脇役は?
 「ところで、前年度の日本サッカー大賞では誰を表彰したか覚えているか?」
 「覚えているとも。天皇杯決勝で元日の国立競技場を埋めた6万人の大観衆だ」 
 あれから1年たったいま、国立競技場が満員になるのは、珍しくなくなった。 
 ヤマザキナビスコカップの決勝戦でも、トヨタカップでも、天皇杯決勝でも、入場券を手に入れるのが、難しいほどになった。これは、予想を上回るサッカー人気である。 
  この現在のサッカーブー厶の直接の原因は「Jリーグ効果」だろう。 
 「プロになる」という掛け声だけで、サッカーのマスコミへの登場が多くなり、選手のコマーシャルヘの出演が目立ちはじめ、新しいファンが急増した。このJリーグ効果も表彰する必要がある。 
 「でも、前年の表彰で、Jリーグには技能賞を出している」 
 しかし、ビバ!サッカーは自由自在である。いいことは何度でもだ。 
 というわけで、今回はJリーグの川淵三郎チェアマンに、殊勲賞を贈る。
 もちろん、Jリーグ効果を演出したのは川淵氏一人の功績ではなく、ずっと以前から努力してきた先輩たちや、下積みで協力している人たちのおかげである。 
 しかし、Jリーグ効果が、こんなに急速に爆発したのは、川淵氏の強引な中央突破によるところが大きいと思うので、先輩たちの功労も含めて代表してもらって、今回は個人に殊勲賞を贈ることにする。 
 次に、Jリーグ効果の舞台で活躍した主役として、読売ヴェルディの北沢豪選手に敢闘賞を贈る。 
 「主役はカズじゃないのか」と、友人たちは不満だが、フィールド上で懸命に戦い、グラウンドの外ではファンに懸命にサービスしていた姿はプロの模範である、と選考委員長は断言する。 
 そして、技能賞を「とんねるず」の木梨憲武氏に贈る。 
 「木梨氏って誰?」なんて人はいないだろうな。かつての帝京高校のサッカー選手で、いま人気絶頂のお笑いタレン卜である。 
 日本テレビの「生ダラ」という番組で、木梨選手が、元三菱、日本代表のゴールキーパー、田口光久氏と組んで、Jリーグの選手たちを相手にPK戦を挑むシリーズをやっていた。 
 これが、とんでもなく面白くて、サッカー普及におおいに貢献した(と、ぼくは信じている)。その功績により技能賞である。 
 「相棒のゴールキーパーの田口氏は表彰しないのか」 
 友人が変な顔をしたから、ぼくは答えた。 
 「1983年の5月号で、田口をとくに最優秀選手に選んで表彰したことがある。その後、顔を合わせても別に礼も言わないから、今回は、こちらが無視してやるのだ」 
 ま、しかし、テレビタレントとしての田口光久も、たいしたものでしたよ。


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