アーカイブス・ヘッダー
     

サッカーマガジン 1991年8月号

90-91欧州チャンピオンズ・カップ決勝現地レポート
緊迫の戦術戦
勝負に徹したレッドスターが初優勝!
 (1/2)    

 トヨタカップに来日する欧州代表は「レッドスター・ベオグラード」になった。未来がいっぱいの「金の卵」の軍団が、12月の東京・国立競技場で、ひたむきに勝利をめざすはつらつとしたゲームを見せてくれることを期待したい。
 欧州チャンピオンズ・クラブ・カップの決勝戦は、5月29日に、イタリア南部の港町バリで行われ「レッドスター」は厳しい守りで、スター軍団の「オリンピック・マルセイユ」に対抗した。延長120分を戦って0対0。PK戦で「レッドスター」がカップを獲得しトヨタカップヘの出場権を得た。
 守りに偏った試合ぶりに批判の声もあるが、これはタイトルのかかった試合では、当然の一つの策である。内容は見ごたえのある、厳しい緊迫した勝負だった。

両チームの応援合戦も面白い
 熱狂のワールドカップから1年。アドリア海に臨むおだやかな港町のバリに、再び熱気が舞い戻っていた。ここは「イタリア90」では、カメルーン、ソ連などの試合が行われた町である。
 欧州カップ決勝戦の当日は、朝から両チームのサポーターたちが、町を練り歩いて気勢をあげていた。
 南フランスのマルセイユのチームカラーは地中海にちなんだブルーである。「オリンピック・マルセイユ」L'OMと青で染めぬいた帽子をかぶり、青と白の縦ジマのシャツを着て旗を打ち振っている。飛行機で来たファンもいるが、多くは汽車や貸切バスでイタリア半島を縦断して来たらしい。その数2万以上、ということだった。 
 「レッドスター」のカラーは、その名の通り赤である。赤と白の縦シマのシャツや旗のほかに、赤白の格子模様や軍艦旗もあった。ちょっとバランスの狂った大きめの「日の丸」が何本かあって、これは「日本のトヨタカップへ出よう」というつもりらしい。ユーゴスラビアは、アドリア海をはさんでイタリアのすぐ対岸だから、船で来て、船に泊まっているファンが多いという話だった。マルセイユのファンよりやや少ないようだったが、それでもやはり2万人近く来たという。
 朝から町に繰り出しているサポーターたちは、午後は、安い大衆レストランにあふれていた。1年前のワールドカップのときと同じように、試合当日はアルコール禁止。ミネラル・ウォーターやコーラでも、結構、気勢をあげている。
 会場のサン・ニコラ競技場は、町の中心部から車で約15分。鉄道の線路を挟んで港とは反対側の郊外にある。古い競技場が港の近くにあるのだが、これはかなり老朽化しているのでワールドカップを機会に新しく建設したものだ。イタリア90のために新しく作ったスタジアムは二つしかないが、これが、その一つ。よく「宇宙船のよう」と形容されるモダンなデザインである。
 夕刻――。
 メーンスタンドの観客の出足は遅かったが両方のゴール裏は、それぞれ早くから両チームの応援団で、ぎっしり埋まっていた。 
 旗、マフラーの波、歌声――。応援合戦が面白い。 
 マルセイユの応援の特徴はテンポの速い手拍子とマフラーをいっせいに広げるウェーブだった。欧州のサッカーでは、おなじみの応援方法だ。 
 レッドスターの応援ぶりには、いろいろな変化があった。スローから急テンポへと盛りあげていく手拍子、赤と白の風船のウェーブ。テープ。紙吹雪。 
 歌もいろいろあって楽しかった。アメリカの「いとしのクレメンタイン」のメロディーを使った応援歌もあった。 
 応援の人びとの頭の上をおおって巨大な旗を広げるのも、近年の流行である。旗が年ごとに大きくなっている。今回は両チームとも一辺が30〜40メートルくらいあった。それを手ぎわよくスタンドの下段から巻き広げていって、見せ、やがて上から下へ巻き下ろす。
 「レッドスター」の旗の方が、ひと回り大きかった。巻き上げ下ろしも手ぎわが鮮やかだった。 
 応援合戦は「レッドスター」の攻め勝ちである。 
 町やスタジアムの雰囲気は、欧州クラブ・カップには、ワールドカップとは、また一味違う楽しさがある。 
 さあ、試合はどうか――。

「スター軍団」と「タレント軍団」
 午後8時15分、キックオフ、照明はついているが。空はまだ明るい。 
 審判は、予備審判員を含め4人とも、地元イタリアの審判員だった。フランスとユーゴスラビアの試合を第三国のイタリアでやっているのだから、審判は中立の地元イタリアから指名するのが理にかなっている。 
 トヨタカップも、早く日本人だけで審判を構成出来るようにしたいものである。せっかく欧州対南米のクラブ世界一決定戦を中立の日本でやるのだから、審判も4人とも日本が担当しておかしくない。日本の審判のレベルが高ければ、当然、そうなるのだが、国内のサッカーのレベルが低いのに、審判だけ国際水準になるのを望むのは、無理かもしれない。  
 さて――。 
 「オリンピック・マルセイユ」は、有名なベテランを揃えた「スター軍団」である。
 1986年に、大金持ちのベルナール・タピー氏が会長になってから、大金を投じてスター選手をかき集めた。ほとんどの選手が、国の代表に選ばれた経験を持っている。ワールドカップのスターだったアモロやティガナがいる。フランス・リーグで3年連続得点王のパパンがいる。 
 外国からもスターを集めている。守備ラインの中心のモーゼルは、ブラジル代表の経験のある大型のディフェンダーだ。前線でパパンとコンビを組む黒人のペレはガーナ代表、ワドルはイングランド代表である。 
 有名選手を集めているから年齢は高い。決勝戦には、35歳のティガナは出なかったが、それでも平均年齢28.7歳だった。 
 欧州クラブ・カップの戦績を見れば分かる通り、得点力のある攻撃的なチームである。
 一方の「レッドスター」は、若い「タレント軍団」である。 
 ユーゴスラビアは、もともと「タレントの宝庫」、「欧州のブラジル」と呼ばれ、足わざの巧みな攻撃的な選手を、たくさん生み出して来た。 
 社会主義が建て前のお国柄だったから、タレントが西側へ流出するのを、年齢制限などで抑えてきたが、東欧の自由化でタガがゆるみはじめている。前年のワールドカップで活躍し、世界のトップクラスのスターになったストイコビッチは、もともと「レッドスター」の選手だが、ワールドカップのあと26歳で西側へ出て、この日はマルセイユの方のベンチに座っていた。 
 お国柄のために、選手が外へ出て行くことは多くても、外国のスターを招くようなことは出来ない。有名になったベテランは国外へ出て行くから残っているタレントは、若い「金の卵」たちである。
 注目の選手は、22歳のプロシネツキ。4年前のワールドユースの最優秀選手で、若いけれども「中盤の将軍」と言われている。 
 中盤でコンビを組んだユーゴビッチも22歳。攻撃の起点は、とくに若かった。 
 この日の先発メンバーの平均年齢は、25.5歳である。 
 レッドスターも、攻撃的なチームだという評判だった。欧州クラブ・カップの戦績を見ると、どの試合でもゴールをあげている。 
 得点力のあるチームがぶつかって活発な試合になる。貫禄のマルセイユか、気鋭のレッドスターか――。これが試合前の楽しい予想だった。 
 しかし、この予想は、大事なことを忘れていた。 
 これは大きなタイトルを賭けた一本勝負だった。華やかなショウを見せるエキジビションではなかった。真剣勝負には、厳しく、かつ慎重に立ち向かうのが当然である。


アーカイブス目次へ
次の記事へ

コピーライツ