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サッカーマガジン 1991年8月号

90-91欧州チャンピオンズ・カップ決勝現地レポート
緊迫の戦術戦
勝負に徹したレッドスターが初優勝! (2/2)   

緊迫した厳しい守りの試合
 立ち上がりの10分間は、慎重に構えて様子を見る。これは、どんな試合でも、ふつうのことである。 
 10分に、マルセイユがまず仕掛けた。 
 中盤後方に下がっていたワドルとフルニエが小さくパスをまわし、その間に守備ラインの黒人ボリがオーバーラップして右前方へ突進する。ボリが中へ入れたボールがこぼれたのをパパンがシュート。わずかに右のポストをかすめてはずれた。 
 これは、おそらく、マルセイユの本来の攻め方のうちの一つだろう。中盤のワドルにはじまり、後方からの攻め上がりがあり、最後にパパンが決めるという形である。 
 続いて11分。今度はレッドスターが攻めた。 
 中盤からサビチェビッチが足わざを生かしたドリブルで突進する。その右側からビニッチが前線へ走り出る。そこヘスルーパスがぴたりと合い、ビニッチがドリブル・シュートしたが右外へはずれた。 
 おそらく、これも、レッドスターの得意な攻めの一つだろう。中盤のすばやいドリブルで崩し、前線へ走り出るヤリの穂先ヘスルーパスを出す逆襲速攻である。 
 お互いに得意な形の攻めを出して、活発な攻め合い――と思ったのは束の問だった。 
 15分にミハイロビッチからの同じような速攻をボリが好タックルで防いだあと、まず、マルセイユの方が慎重になった。レッドスターの速攻に2度、崩されそうになったので警戒したのだろう。 
 レッドスターは、引き気味に守る相手を攻めあぐね始めた。速攻のチャンスが出来ないものだから、しきりにゴールキーパーヘバックパスをする。観客席からブーイングがはじまった。 
 そのあとは、ずっと厳しい守りの試合である。 
 それでもレッドスターに前半2、3回攻めがあった。 
 21分にビニッチが突進してゴールキーパーともつれた。 
 25分、パンチェフが中央突破しかけたのをボリが引っ張って反則で止めた。 
 マルセイユには、26分に相手の守りのミスからパパンが抜け出すチャンスがあった。しかしシュートは右にはずれた。 
 厳しい守りの中から、相手にミスがあれば攻めてワンチャンスを狙おう――両チームとも同じような考えだった。 
 前半、ゴールの枠に飛んだシュートは、1本ずつしかなかった。 だからといって、面白くない、たるんだゲームだったとはいえない。 
 むしろ、緊迫した、密度の高い試合だった。お互いに、守りでは一瞬のゆるみも作るまいとしていた。 
 「むつかしい試合だ」 
 ハーフタイムに、こんな溜め息が出た。 
 このままで進めば、守りの中から逆襲の一発を狙うレッドスターのペースだ。 
 後半――。 
 マルセイユが攻勢に出る。 
 8分、ワドルが得意の大きなステップでかわしジェルマンに縦パス。それを中央にあげたのをカゾーニがシュート。 
 11分、パパンのドリブルの突進。 
 レッドスターは、この攻めを厳しく防いだ。 
 マルセイユにフリーキックが多くなった。ほとんどは、ワドルがけった。 
 しかし、下がって守り、きびしくマークするレッドスターを、マルセイユは崩せない。速い攻めが出来ないで、セットしてボールを回す場面が多くなった。レッドスターにも逆襲から散発的だがチャンスがあった。

勝つチャンスを求め、手段を尽くした 
 延長戦――。 
 マルセイユの攻勢が続き、レッドスターが激しく守り、フリーキックか多い。後半と同じ形勢が続いた。 
 しかし、年齢の高いマルセイユには、疲れが目立ってきた。ちょっと猫背で走るワドルの動きや表情に、あきらめの色が浮かんできた。 
 若いレッドスターが、ここで一気に勝負に出て、攻勢に転じる手もあっただろう。引き分けでは失格する、というケースの試合だったら必ず、そうしただろう。 
 だがレッドスターは、明らかにPK戦に持ち込むことを狙っていた。守りは、ますます深く、慎重になった。 
 延長後半5分、マルセイユは、ベンチに置いていたストイコビッチを交代で出した。昨年のワールドカップまでは、レッドスターにいた強力な攻撃的ミッドフィルダーである。このシーズンは、けがなどで出番が少なかったということだが、近い将来、世界のトップスターになるだろうという人もいるくらいの大物だ。 
 しかし、ストイコビッチ投入も実らず、ついに0対0の引き分け。 
 スタンドが一瞬、しーんと静まって、ナイターの照明がまぶしかった。 
 PK戦は、レッドスターの完勝だった。レッドスターの先行で、最初にけったのは22歳のプロシネツキだった。 
 鋭いキックが完ぺきにゴールの隅をついた。 
 続くマルセイユの一番手は30歳のアモロ。フランス代表72試合の経験を持つ大ベテランである。 
 アモロのサイドキックには、力がなかった。ゴールキーパーのストヤノビッチの読みが当たって、ボールは、その手の中に納まった。 
 レッドスターの残り4人のキックも、みな完ぺきだった。マルセイユも、2人目からは失敗しなかったが、5人目がける前に5−3で勝負がついた。 
 レッドスターの4番手にけったミハイロビッチの喜びようは印象的だった。成功したあと、自分より前にけった仲間のところにかけ寄り飛び上がり、抱き合った。 
 レッドスターの選手たちが、どれほど、この勝負に執着していたか、どれほどPK戦に賭けていたか。その喜びようが象徴していた。 
 この試合のあと1週間ほど、欧州のサッカージャーナリズムは、守備的な作戦とPK戦の制度に対する批判で、うるさかった。 
 試合のあとどころか、試合の最中に、イギリスのあるテレビの解説者は「こんな守りの試合を見たくない人は、どうぞスイッチを切って下さい」と発言したということである。しかし、テレビを見た人たちに面白かったかどうかは、ともかく、バリのスタジアムの中で見た人間の一人として、次のことは証言しておきたい。これは、決して退屈な、だらだらしたゲームではなかった。 
 しだいに緊迫の度が加わり、双方のファンは手に汗を握り、胸をどきどきさせながら見た試合だった。 
 レッドスターのペトロビッチ監督は、試合のあとの記者会見で次のようにしゃべった。 
 「正直に言って、マルセイユがミスをしない限り、われわれが勝てるとは思わなかった。だから選手たちには、辛抱強く守るように言い、PK戦に持ち込もうとした。PK戦の練習はたっぷりしておいた」 
 この発言が、また批判の種になったのだが、タイトルをかけた試合で、勝つチャンスを求めて手段を尽くすのは当然である。レッドスターの作戦を軽がるしく批判はできない。

成功した守備の三角形作戦
 12月のトヨタカップに来日したとき、レッドスターが、同じように守りの勝負をするとは限らない。作戦は相手にもよるし、時と場合にもよるからである。南米のチームを相手にする場合は、プロシネツキやミハイロビッチが中盤で守りに追われる場面は少なくなって、すばやいドリブルを効果的に攻めに生かすことが出来るかもしれない。 
 もちろん、基本的なスタイルやシステムは、それほどは変らないだろう。
 欧州カップ決勝のときの布陣は、相手の攻撃的プレーヤーを厳しくマンツーマンでマークし、リベロのベロデディチが巧みにインターセプト出来るように守ることを狙っていた。(図) 
 マルセイユの攻めは、得点王のパパンを先頭に、ワドルとペレが左右から支援する「前線の三角形」が武器である。 
 この三角形を1対1でマークし、ベロデディチが背後をカバーするのだが、ワドルとペレが第2線に引き気味にいるので、これにぴったりついていると、その背後に、あいたスペースが出来る。 
 そこは右サイドでは、ユーゴビッチが引いてきてカバーする。左サイドもミハイロビッチが下がってくる。あるいはリベロのベロデディチが判断よくカバーする。 
 敵の「前線三角」に対して、これらも「守りの三角」を作って影のように、ぴったりくっついてマークするから、引きずられて空いたスペースが出来やすい。そうならないように中盤プレーヤーが下がってくるから、攻めのエースのプロシネツキも引き気味になり、攻めは単発的になりがちだった。 
 この守りの作戦が成功した大きな原因は、リベロのベロデディチの判断のいい動きによるインターセプトだろう。 
 ベロデディチは、ルーマニアの選手で、86年に「ステアウア・ブカレスト」で欧州カップ優勝を経験している。その後、政情が混乱したルーマニアを逃れて、生まれ故郷のユーゴスラビアでプレーしている。長身、優雅なリベロで、若いころのベッケンバウアーのようである。 
 攻めは逆襲に頼りがちだったが、プロシネツキのすばやいパス出しのほかに、サビチェビッチの足わざ、ミハイロビッチの進出が目についた。ともにスピードがある。 
 攻撃的なサッカーをするときは、プロシネツキからのパスが、前線へ進出するこういう選手に鋭く合うのだろうと思った。この欧州杯の決勝では、プロシネツキも守りで頑張ったために、そういう場面は次第に少なくなった。後半15分ころに、プロシネツキからの長く鋭いパスが、左サイドへ進出したミハイロビッチに出る場面が2度続けてあった。しかし、うまく合わなかった。トヨタカップでは、あんな攻めが成功する場面を見たいものである。 
 ところで、レッドスターが優勝した瞬間にちょっと不安な考えが頭をよぎった。 
 ユーゴスラビアは「タレントの宝庫」である。若い有望な選手は、西側のプロに狙われている。 
 現に22歳のプロシネツキを、スペインの「レアル・マドリッド」が10億円で誘っているという話が出ていた。 
 欧州カップ優勝で、レッドスターの選手たちが有名になり、こぞって西側へ出てしまったら、トヨタカップに来るチームは、も抜けの殼になる。 
 しかし、数日後に、イタリアのスポーツ新聞に、その心配を打ち消してくれる記事が出ていた。 
 「ユーゴスラビアには、26歳以下の選手は国外に出さない規則がある。レッドスターは、この規則を守って、スーパーカップとトヨタカップの勝利をめざす」 
 レッドスターの役員をしているジャイッチの談話である。ジャイッチは、見事な足わざで鳴らした往年の名選手だ。 
 パンチェフ、プロシネツキ、サビチェビッチ……。攻めの主力は、25歳以下が中心だ。
 彼らが揃って来日すれば。12月の欧州対南米の決戦は、また新しいタイプの対決になって楽しみである。

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