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サッカーマガジン 1988年9月号

欧州選手権の技術と戦術
なぜオランダが勝ち
        ソ連は敗れたか!?     (1/2)    

 ことし、1988年の欧州選手権は見ごたえがあった。いまの欧州のサッカーの最高のものを見ることができたと言っていい。闘志にあふれた西ドイツ、未来が楽しみなイタリア、スピードと技術の新しい組み合わせを示したソ連。そして宿願の大きなタイトルを初めて手にしたオランダ。準決勝からの試合を心が沸き立つ思いで見た。
 今回のオレンジ旋風の主役だったフリットが、あふれるような笑顔で優勝カップを掲げるのを見ながら、このすばらしいチームの中でオランダが優勝できたのはなぜだろうかと考えた。

ソ連かオランダか
 6月22日、シュツッツガルトのスタジアムで、ソ連がイタリアを相手に、見事な勝利をおさめたあと、プレスセンターで顔見知りの地元の記者に、ばったり出会った。
 「ことしのソ連はすばらしい。オランダは勝てないな」
 その記者は、決勝戦をこう予想した。
 この準決勝でのソ連の試合ぶりは、めざましいの一語だった。本当のところ、この準決勝での試合ぶりを、決勝戦で再現することができたら、ソ連の優勝は疑いない。
 だが、3日後の決勝戦について、ぼくは別の見方をした。
 「ぼくはオランダの方に賭けるね。2対1でオランダだな」
 その時点では、確信があったわけではない。しかし、長年サッカーを見続けてきた記者としてのカンが「ソ連は勝てない」とささやいていた。
 結果を見てから理屈を言うのは易しいのだから、ぼくはこの予想を、決勝戦の前に誰かに話しておかなければならないと思った。
 ミュンヘンには、日本からかなりの数の人たちが見に来ていた。横山兼三監督の率いる日本代表チームも来ていたし、日本サッカー協会のコーチ団もいた。テレビの解説で、釜本邦茂氏と奥寺康彦氏も来ていた。観戦旅行団の若い方たちも100人以上いた。 
 その日本人の多くが、体力とスピードと技術が結び付いたソ連の中に、自分たちの理想のサッカーを見いだしたんじゃないか。もしそうだったら「それは違うよ」といまのうちから言っておいて決勝戦の後で納得させてやりたい――そんな気持が頭を持ち上げてきた。 
 「オランダが有利だと思うよ。勝負ごとだから結果は分からないにしても、試合の内容は2対1だと思うね」 
 ぼくは、会う人ごとに、聞かれもしないのに予想を述べた。 
 結果はご承知の通りオランダの勝利だった。スコアは2対0だが、ソ連はペナルティーキックを一つ外し、内容的には2対1である。 
 なぜ「オランダが有利、ソ連は勝てない」と見たか。 
 結論を先に書こう。      
 カンのひらめきが先にあって、後から裏打ちした理屈ではあるけれど大まかにいって理由は三つある。 
 第一にオランダの監督がリヌス・ミケルスであること、 
 第二にソ連のスピードと体力は決勝戦までは続かないだろうということ、
 第三にオランダには、フリットがいることである。 
 この三つの理由を詳しく説明する前に、ぼくのひらめきのもとになった準決勝2試合の印象を書かなければならない。

準決勝―オランダの長いパス 
 この欧州選手権を最初から見たかったのだけれど、東京でサッカーとは関係のない仕事に追われていて、ハンブルクに駆けつけたのが6月20日。
 翌21日の午後8時15分からフォルクスパルク・スタディオンで西ドイツ対オランダの準決勝があった。 
 試合前のぼくの予想は「西ドイツ有利」である。それまでの試合をまったく見ていないので、ただ「地元の方が得だろう」という当てずっぽうだ。 
 始まって13分、オランダの守備ラインにいたロナルド・クーマンが中盤右サイドのタッチラインぞいから逆サイドのタッチラインへものすごく長い斜めのパスを出した。その70メートルものパスが前線の左サイドに出ていたファンバステンにぴたりと渡った。ファンバステンがドリブルで攻め込み、守りにつぶされたけれど、これは目をみはる攻めだった。 
 この一つの場面だけで、ぼくの灰色の脳細胞が配線を組み替えた。 
 「オランダはいいぞ」 
 思うに灰色の細胞は、このプレーで14年前のワールドカップで見たオランダを思い出し、その背後にリヌス・ミケルス監督の影を感じたのである。 
 前半終了直前にスイーパーを務めていたヘルゲットが右足を引きずりながら退場してプフリュグラーと交代した。太ももに大きなバンテージをしていたところをみると、古傷を改めて痛めたものらしい。西ドイツのサッカーのスタイルでは、スイーパーは守りのかなめで最重要人物である。「この交代はオランダをますます有利にしたのではないか」と思わせた。
 しかし後半、先に点を取ったのけ西ドイツだった。55分、クリンスマンの攻め込みに対するトリッピングの反則。マテウスがペナルティーキックを決めた。 
 だが、74分に今度はオランダにペナルティーキックが与えられた。ファンバステンのドリブルに対するコーラーのタックルが相手の両足の間からはいったような形になった。ロナルド・クーマンが決めて1対1の同点である。 
 翌日、地元の新聞に、テレビの画面からとった写真が並べて載っていて、西ドイツに対する反則は明らかなファウルで、オランダに対するタックルは、ちゃんとボールにいっていたような印象を与えていたけれども、ぼくが記者席から見た限りでは、どちらも取られても仕方がないし、取らなければ取らないで良かったような反則だった。ともあれ、同点でおあいこである。 
 試合は激しくスリリングな攻め合いの連続で形勢は互角だった。1対1のまま延長戦にはいるのではないかと思われた。 
 オランダの決勝点は、後半終了の2分前である。 
 西ドイツが攻め込んだあとの逆襲で、中盤左サイドのタッチラインぞいのR・クーマンから、長いサイドチェンジのパスが斜めに右サイドに出た。ボウタースが受けた瞬間にファンバステンが相手の守備ラインの間へすばやくはいり込み、絶妙のスルーパスを受けてシュートした。 
 ボウタースとファンバステンのコンビがあまりにも見事だったので、人々の目は最後のスルーパスの方に奪われた。しかし、この決勝点の起点は、ハーフライン付近から逆サイドヘ振られた60メートル余りの正確で長いパスである。それは、この試合の初めの方でぼくの脳細胞を刺激した長いパスと同じだった。灰色の細胞は同時に、14年前に見たオランダ・チームの得点場面を思い出した。 
 それは1974年のワールドカップの2次リーグ最終戦のオランダ対ブラジルである。7月3日に冷たい雨の中、ドルトムントで行われた試合だった。前半の激しい攻め合いのあと、後半にオランダがヨハン・クライフを中心に2点を挙げて決勝進出を決めたのだが、この2点はともにハーフライン手前からの長いパスを起点とした攻めだった。さらに付け加えると、どちらも後方でのフリーキックから始まっていた。そして1点目は右に振り、2点目は左に振ってフィールドの横幅を広く使っていた。 
 今回の準決勝でオランダが西ドイツから挙げた決勝点は、この14年前の2点と印象が同じだった。 
 14年前のオランダの監督はリヌス・ミケルスである。そして、今回の欧州選手権でも、オランダの監督はリヌス・ミケルスである。 後方からの長いサイドチェンジのパスを見て、灰色の細胞が、ミケルスの影を感じ取ったのはそのためである。 
 ところで、多くの人がこの試合で思い出したのは、おそらく14年前のワールドカップの決勝戦だろう。 
 オランダがPKで先取点を挙げたが、西ドイツがやはりPKで追いつき、さらにG・ミュラーの決勝点で逆転勝ちした。 
 得点経過をみれば「あのワールドカップの決勝の裏返し」である。「ミケルスの14年後の雪辱」である。 
 たしかに、その通りではあるが、ぼくの脳細胞に刻まれたのは、長いパスによる攻めの成功の方だった。 
 一方、西ドイツの方は地元で敗退したため手厳しい批判を受けた。 
 だが、この試合でみる限り、ベッケンバウアー監督のチームはよく戦ったと思う。オランダと同じように、厳しく、スピードがあり、技術レベルは高かった。ゴールキーパーの好守もあった。欠点はスーパースターがいないことだが、ベッケンバウアーのような選手が出て来るのは数十年に1度のことだ。スターがいないのによくやったとぼくは思う。


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