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サッカーマガジン 1988年9月号

ビバ!! サッカー!! ワイド版

ワールドカップ’94の米国開催
サッカーを米国でメジャーにするには

ユーベロス待望論!
ロス五輪を成功させたアメリ力らしいアイデアと実行力を

 1994年のワールドカップ開催地がアメリカ合衆国に決まったら例の友人がやってきて「どうだ、おれの言っていた通りだろう」と自慢した。
 6年後のワールドカップ開催地には、アメリカのほかにブラジルとモロッコが立候補していたが、国際サッカー連盟(FIFA)が7月4日に理事会を開いて決定すると予告したとき、友人は「これはアメリカに決まりだよ」と発表前から予言していたのである。ふたを開けてみて「やっぱりだろう」と言うわけだ。
 友人の説によれば、7月4日はアメリカの独立記念日だからアメリカ国民へのプレゼントとして、この日に決めるようにしたのだという。なるほど、アメリカでサッカーのワールドカップをやるには、これはふさわしい発表の仕方である。宣伝の国らしいアイデアだ。
 もっともアメリカのサッカー関係者は、発表前に「アメリカに決まり」と取り沙汰されることを歓迎しなかったらしい。「われわれは無競争で開催地に選ばれたくはない」なんて言っていたと新聞に載っていた。これも実は宣伝のためで、激しい競争の末、開催権をかち取った方が、もったいがついて、効果があるからである。
 そういうわけで一応、投票が行われ、アメリカ10票、ブラジル2票、モロッコ7票の接戦だったと発表された。しかし実のところは、モロッコは国力不足、ブラジルは国家財政が大赤字で、アメリカだけが開催能力を認められたということである。
 ともあれ、アメリカでワールドカップが開かれるのは面白い。
 なぜならアメリカは古い習慣や伝統にとらわれず、新しいことをどんどん試みる国だからである。それが欧州と南米のやり方でこり固まっている世界のサッカーに新風を吹き込むことになればいいと思う。宣伝のやり方や規模も派手に大きくなるだろう。
 「1984年のロサンゼルス・オリンピックのようにいくといい。アメリカのサッカー界にユーベロスが現れると成功するんだが……」と、ぼくは考えた。
 ユーベロスというのは、ロサンゼルス・オリンピックの事務局長を勤めた人物である。
 ピーター・ユーベロス氏は、オリンピックの運営方法をすっかり変えてしまった。          
 それまでのオリンピックは、だいたいのところは政府などの補助金に頼っていたのだが、ユーベロス氏は、巨額のテレビの放映権利金を取ることに成功し、あらゆるものにスポンサーをつけ、史上初めての完全民営オリンピックで巨額の黒字を生み出した。その手腕を買われて、いまはプロ野球の大リーグ・コミッショナーに就任している。
 「ロサンゼルスと同じ方法がワールドカップで成功すると言うつもりはないが」
 とぼくは友人に説明した。
 「ああいうアイデアと、実行力に富む人物を起用できるかどうかが、アメリカ・ワールドカップ成功のカギだと思うね」

米国は変えられるか?
ワールド杯開催で米国はサッカー王国に変わるだろうか?

 ワールドカップのアメリカ開催が決まった翌日、ブラジルから来た人といっしょに昼食をする機会があった。
 「1994年のワールドカップがブラジルにならなかったのは残念ですね」
 ぼくは少しゴマをするつもりで、こういった。ところがブラジルからきた人は別の考えを持っていた。
 「いやいや、ブラジルはすでに1度開催したことがある。新しいところで開いて、サッカーを、世界でもっともっと盛んにしなければなりません」
 これは、まったくその通り。ワールドカップのアメリカ開催は、欧州と中南米以外の地域で初めてだというところに大きな意義がある。
 それでは、これを機会にアメリカがサッカー王国になる可能性はあるだろうか?
 これはワールドカップを、アメリカが、どのような考えで開催するかによるだろう。
 アメリカでワールドカップを開催するには二つのやり方がある。
 一つは、ヒスパニックと呼ばれているスペイン語を話す人たちを主な対象にして運営することである。
 ワールドカップの会場予定地にカリフォルニアやフロリダの都市が多くはいっているところを見ると、そういう考えもあるような気がする。
 ロサンゼルスやフロリダには新しくスペイン語圏、つまりサッカーの盛んな国から移住してきた人たちが多いからである。
 そういう人たちを頼りにサッカーの大会を開くことも可能なことは可能である。
 しかし、これは、いわばアメリカ合衆国内の欧州、アメリカ合衆国内の中南米で大会を開くようなもので、サッカーをアメリカに根付かせることになるかどうか疑わしい。
 だが、もう一つのやり方がある。 
 それは、サッカーを健康なスポーツとして楽しんでいる若い人たちにワールドカップ運営の基礎を置くことだ。
 アメリカでは「見るスポーツ」としてのサッカーはなかなか育たなかったが、この10数年の間に少年少女の間で「するスポーツ」としては急速に普及してきた。
 15年くらい前までは、ロサンゼルスやニューヨークでサッカーボールを持っている子供たちを、あまり見かけなかったが、いまは至るところで、サッカーをしている光景を見ることができる。
 危険が少なく活発なスポーツだからと、子供たちがサッカーをするのを奨励する中流家庭の親が多いという話も聞いた。
 この本来のアメリカ人社会の若い人たちに、ワールドカップをPRすることに成功すれば、アメリカが新しい形のサッカー王国になる可能性は十分ある。
 サッカーをアメリカのメジャースポーツに育てるためには、後のほうの考え方で開催して欲しいと思うのだが、どうだろうか?

日本への影響は?
プロ化促進に役立つが、2002年の開催は苦しくなる?

 「アメリカでワールドカップをやると日本へも影響があるだろうか」
 友人が心配そうにきいた。
 「それは大きい。日本はアメリカを真似する国だからな」
 アメリカ全体がワールドカップ開催に本腰を入れ、これから6年間、サッカーを盛んにするためのキャンペーンを展開すれば、同じことが日本でも行われることになるだろう。
 だからこそ、ユーベロスみたいな人が出て欲しいとか、本来のアメリカ社会の若い人たちを対象に開催して欲しいとか、よその国のことを自分の国のことのように心配しているわけである。
  アメリカのサッカー協会は、ワールドカップ開催が決まると直ちに、新しいプロサッカーの組織を作る計画を明らかにした。
 前のような興行だけを目的としたプロリーグではなく、地域に根をおろし、欧州や南米の組織の良さも取り入れたものにしたい、と考えているらしい。これは日本にとってもいいニュースである。ぜひ見習って欲しい。
 「いや、おれのいうのは、2002年のワールドカップ誘致に影響しないか、ということだ」
 なるほど、それもまた、問題かも知れない。
 次のワールドカップ、つまり1990年は、イタリアである。
 その4年後の大会が、今回アメリカに決まったわけだ。
 さらに、その次、1998年は、おそらく欧州の国だろう。ワールドカップは、これまで欧州と中南米で交互に開かれていたから、ここは欧州の番である。
 そこで、さらにその次、2002年のワールドカップ開催に日本が立候補しようとしているのだが、今回のアメリカ開催決定で、立候補の大義名分が一つなくなってしまった。つまり「欧州と南米以外の地域で開催して、ワールドカップを本当に世界のものにしよう」という殺し文句が使えなくなってしまった。
 そこで「アジアで初めてのワールドカップを」ということになるのだが、これは迫力半減どころか3分の1減である。
 まず「アジアでも開催を」といえば、同じ理屈で「アフリカでも」ということになる。現に今回立候補したモロッコは、それがキャッチフレーズだった。しかも投票となると、アフリカの加盟国は非常に多いのでアジアでは不利である。
 さらに「アジアで初めて」といえば、そのころには中国や韓国もライバルになるに違いない。韓国は、ソウル・オリンピックで自信をつけているだろうし、中国は1990年に北京でアジア競技大会開催が決まっており、紀元2000年にはオリンピック開催を狙っている。東アジアだけでも、この2つの国が立候補する可能性はきわめて高い。
 「欧州、中南米以外で」ということなら、日本の経済力が評価される可能性があるけど、「アジアで初めて」じゃあ迫力に欠けるなあ、とぼくは悲観的になってきた。


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