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サッカーマガジン 1987年9月号

第26回コパ・アメリカ総評
南米サッカーの多種多様を実感したのが
最大の収穫!                  (2/3)    

アルゼンチンはなぜ負けたか
マラドーナはすばらしい。だが…

 開幕試合として行われた予選リーグA組のアルゼンチンの第1戦は、ペルーと1対1の引き分けだった。 
 この試合は、リオデジャネイロのホテルのテレビで見たのだが、アルゼンチンはチームとしてのまとまりが、まだ十分でなく、マラドーナ1人に頼っている印象だった。そのマラドーナも体調はよくない、という話だった。 
 しかし、第2戦、準決勝としだいに調子を上げていって、決勝戦ではブラジルと好勝負をするだろう、とぼくは見ていた。その時点では、ブラジルの予選リーグ敗退は、夢にも考えなかった。   
 7月1日にリオデジャネイロからブエノスアイレスにはいり、その日の午後に、アルゼンチン代表チームのキャンプを訪ねた。日本サッカー協会の代表役をアルゼンチンで務めている北山朝徳氏の案内で、元日本代表チーム監督の高橋英辰氏、サッカー記者の大先輩である賀川浩氏といっしょである。 
 町の中心から車で30分あまり。エセイサ国際空港の近くにキャンプがあった。商業労働者組合の保養施設ということだったが、サッカー場が何十面もとれそうな広大な敷地の中に宿泊施設や食堂などが完備している。 
 「きょうは練習は休み。報道陣の立ち入りは、お断わり」と入り口で言われたが、代表チームのビラルド監督と親しい北山氏の顏で入れてもらい、ビラルド監督自身が笑顔で中を案内してくれた。 
 アルゼンチンは第1戦でペルーと引き分けたので、準決勝進出は得失点差の争いになり両チームがそれぞれ、残るエクアドルとの試合で何点とるかにかかっている。
 「選手たちは固くなってるんじゃないか」 
 ときいたら、ビラルド監督は、 
 「そんなことは、まったくない。メキシコのワールドカップのときは、こちこちだったけど――」 
  と笑っていた。 
 ただ、選手を集めることができたのが、開幕の週の月曜日で、第1戦まで1週間たらずしかなかった。
 「これでは選手の体調を整えるのも、チームをまとめるのも、むずかしい」と言う。
 「30日間は欲しいと言ったんだが、選手を持っているクラブ(プロチーム)が、うんと言わなかった」そうだ。
 マラドーナがイタリアから戻ってきたのも1週間前である。 
 選手たちは、思い思いに、自動車で町に出掛けたりしていたが、夕方になってマラドーナがひょっこり、ユニホームに着替えて来た。 
 バレーボールのコートで施設の管理の人たちといっしょになって、フットボールのバレーをキャッ、キャッとはしゃぎながら楽しんでいる。 
 地元の新聞には「マラドーナは、のどを痛めている」とか「ひざをけがしている」と出ていたのだが、そんなふうには見えなかった。 
 しかし1年前のワールドカップ当時にくらべて体調が十分でないのは本当だろう。だからチームメートが休日を楽しんでいるときに、1人で出てきて身体を動かしているのだろう。
 自分で自分の身体を管理し「準備期間は十分ではないが体調を整えてチームを引っ張ろう――そういう努力を自主的にやっている姿に、ひと回り大きくなった名選手の貫ろくを感じた。 
 翌日の2日、午後7時からリバープレート競技場でエクアドルとの試合。 
 準決勝進出が得失点差にかかっているので、「少なくとも3点はとる必要がある」と言われていたが、エクアドルもしぶとく、なかなか点がとれない。 
 1点目がはいったのは、後半にはいって5分でマラドーナのパスに始まった攻めからカニーヒアが決めた。22分にPK、39分にフリーキックを、ともにマラドーナが決めて、やっと最低目標の3点をもぎとった。 
 2日後の試合でペルーがエクアドルと引き分けたので、アルゼンチンのベスト4が確定したが、その間、地元のファンはやきもきしていただろう。
 8日に飛行機でコルドバに行き、準決勝でチリとコロンビアが延長逆転の大熱戦を展開したのを見たあと、9日にブエノスアイレスに舞い戻って、リバープレート競技場で、もう一つの準決勝、ウルグアイ−アルゼンチンを見た。 
 前半終了間ぎわに、ウルグアイはアルゼンチンのパスミスを拾った速攻からアルサメンディのシュートで1点をあげ、それを守り抜いた。 
 地元の期待も空しく、アルゼンチンは決勝に出られなかった。 
 マラドーナが不調だったからだろうか。 
 「そうじゃない」と、ぼくは思う。
 確かに、マラドーナの体調は十分ではなかった。1年前のメキシコ当時に比べると、ほんのわずか、プレーに鋭さが欠けていた。 
 だが、それでも一つひとつのプレーは完全に近かったと思う。 
 試合の終わりごろに疲れは見えたが、それまでは、この大会に参加したどの選手よりも、パスは正確で、判断は正しく、むずかしいボールをぴたりと止め、ゴールラインぎりぎりのむずかしいところから、絶好のセンタリングをした。 
 メキシコのイングランド戦でやった7人抜きのようなドリブルも何度か見せた。それは2人抜き、3人抜きで止まったけれども、チャンスを作るには十分だったはずである。
 マラドーナは、やはり、すごかったと思う。 
 それでもアルゼンチンが勝てなかったのは、マラドーナを生かすためのチーム作りができていなかったことである。 
 メキシコのときのメンバーから、ブルチャガやバルダーノらが故障で抜けていた。
 その穴を埋めて新しいチームを作るには、ビラルド監督が話していたように、1週間足らずの準備では不十分だった。 

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