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サッカーマガジン 1987年8月号

ビバ!! サッカー!! ワイド版

与那城監督の決断は結果的に成功
年間最優秀選手の投票は正しい見識と方法を

ジョージとジノ・サニ
与那城監督が誕生し、ブラジルからコーチが来た裏には事情が

 日本サッカーリーグで読売クラブが2年ぶり3度目の優勝を飾った。与那城ジョージ監督が就任1年目でたちまち手腕を実らせたのは見事である。最優秀監督賞をもらったのは当然だ。 
 そのかげにブラジルから招いたジノ・サニ特別コーチの力があったことも、すっかり知れわたった。 
 与那城監督が力を発揮できたのは、このブラジルの大先輩から謙虚に学ぼうとする態度を忘れなかったからであり、一方、ジノが役割を果たせたのは、先輩風を吹かさずに、あくまでも監督を表に立てたからである。この2人の関係がスムーズに回転したのが、読売クラブの優勝の最大の原動力だった。 
 この与那城監督とジノ・サニ・コーチのコンビの成功については、ぼくにはいささかの感慨と反省がある。 
 与那城監督の胴上げからさかのぼって1年あまり前、1986年の2月ごろだったと思うが、次の読売クラブの体制をどうするかが、ひそかに問題になった。昇格したばかりの千葉進監督が、実は重い病気で、次のシーズンにはむずかしいことが、わかったからである。与那城ジョージはまだ現役の選手だった。  
 クラブの首脳部が、参考意見を聞いてきた。ぼくの考えは「ブラジルから監督を呼ぼう」だった。ぼくのほかにも同じ考えの人が1人だけいた。
 監督を「外国から呼ぼう」と考えたわけはこうである。  
 千葉監督の病気は絶望的なものだったが、それでも奇跡が起きないとはいえない。その場合に、外国から1年契約で招いた監督なら、すぐ契約切れでお帰り願って千葉監督を復活させることができる。  
 日本人を監督にすると、成績不振でない限り、すぐクビにすることは日本の社会の義理人情からしてむずかしい。 
 「ブラジルから呼ぼう」と考えたのは「将来の読売クラブの監督はジョージ」という空気がすでに強かったからである。与那城ジョージはブラジル出身だから、ブラジルから来た監督と言葉が通じる。ブラジル人の監督のもとにコーチを勤めて監督学を勉強し、1年か2年たったら監督に――という筋書きである。 
 この考えの裏には、ジョージにコーチ兼任でもう1年選手をやってもらって、その後、盛大に引退試合をやってやりたい、というアイデアもあった。 
 また、1年生監督が成功する可能性はあまり高くないし、ブラジルから招くテクニコが日本の水に合うかどうかも未知数だから、安全のために最初はジョージをコーチの肩書で、泥をかぶらないように温存したらいい、という打算もあった。  
 しかし「外人監督は避けたい」という考えの方が強く、またジョージ自身が選手生活をすっぱりやめて監督に賭ける決心をしたために、ぼくの案は「ブラジルから招く」という部分は採用されたものの、肩書の方は監督とコーチが逆になった。 
 結果をみれば、ジョージの決心が正しかったことは明らかである。「へたに画策するより決断が大事」とぼくは反省している。

最優秀は加藤久だ!
得点をあげる選手しか目につかないサッカー記者に異議あリ!

 日本リーグの終盤戦の頃に、1986−87年の日本のサッカー最優秀選手を選ぶ記者投票が行われた。  
 そのころ、サッカー記者の先輩である中日新聞の松原明さんに、こう聞かれた。 
 「今度の最優秀選手は、誰だと思う?」 
 「そりゃ、読売クラブの加藤久でしょう。衆目の一致するところですよ」
 「どうも武田修宏に入れるのが多いみたいだよ」 
 「そんなばかな。武田は新人賞なら当然だけど」 
 ところが、なんと――。 
 ふたを開けてみると、武田修宏73票、加藤久25票。大差で新人のフットボーラー・オブ・ザ・イヤーが誕生した。 
 「こんなばかな!」とぼくは思う。 
 武田君の才能と活躍ぶりを認めないわけではないが、最優秀選手は人気投票ではない。技術、戦術能力、リーダーシップ、活躍ぶりなどサッカー選手としての力量を総合的に判断して、その年度の日本サッカーを代表するのにふさわしい選手を選ぶものである。 
 読売クラブは天皇杯とリーグの2冠をとったから、そのメンバーの中から最優秀選手が選ばれるのは、おかしくないが、優勝に貢献した働きからみても、加藤久君が断然である。さらにオリンピック予選で、日本代表チームの中心として奮闘していることもある。 
 投票の結果が分かったあと松原さんはこういった。
 「投票のやり方を変えなけりゃだめだよ。試合を見てない記者が投票してるんだから」 
 確かにそうだ。 
 実は、加藤久が選ばれて当然だという考えは、ぼくと松原さんだけではない。サッカー場の記者席の常連は、ほとんどみな同じ意見なのである。 
 ところが、ここ数年、投票の結果はかなりおかしくなっている。日産の木村和司が2年連続で選ばれ、前回は古河の吉田弘だった。要するに得点をたくさんあげて新聞に名前が何度も載った選手に票が集まるわけである。
 「1枚の葉書に1社の記者が連記して投票するようになってから、おかしくなったんじゃないですか」と、ぼくは松原さんに感想を述べた。
 1人に1枚の投票用紙を送っておけば、試合をあまり見てない記者は棄権するだろうが、いまの投票は新聞社やテレビ局に1社1枚の往復葉書を送り1枚の葉書にその社の数人の記者が並べて、それぞれの投票を書くやり方である。これだと、ちゃんとした考えのない人も、お付き合いで投票したり、最初に書いた人の投票に右へ習えしたりするのではないかと考えた。
 「見識のある人だけが投票できるようにした方がいい」というのが松原さんの意見である。 
 「1社1票にして新聞とテレビだけでなくサッカー専門誌も加えて、投票社の内訳を公表したらどうか」というのは、ぼくの考えである。 
 加藤久君、ごめんなさい。それから武田君は5年後にもらう賞を前借りしたというくらいの気持で、この大きな借りを返せるようますます頑張って下さい。
  
ラモスの功績の評価
負傷欠場が長かったが、読売クラブの象徴でベストイレブンに

 最優秀選手の投票と同じころに日本リーグのベストイレブン投票の葉書が送られてきた。 
 最優秀選手はサッカー記者会の表彰だが、このベストイレブンは報知新聞のものである。また最優秀選手は日本のサッカー全体が対象だが、こちらは日本リーグだけが対象である。「そのシーズンの日本リーグを象徴できるような選び方をしたい」と、ぼくは考えた。 
 ゴールキーパーはマツダのハーフナーにした。マツダのハンス・オフト・コーチの戦いぶりは、リーグに新しい風を送り込んだものだったから、それを象徴する意味でもいいと思う。 
 守備ラインは加藤久が文句なし。優勝した読売クラブを代表して松木主将を入れ、古河でよくがんばった金子を入れる。 
 新人王確実の武田、アシスト新記録の水沼、最後まで優勝を争った日本鋼管からも誰か一人は、というような選び方をしていくので、戦力としてバランスのとれたチームを編成することは考えないわけである。 
 ところで問題は中盤だった。 
 ぼくの好みとしては、読売クラブのトレドとエジソンの兄弟を並べて入れたい。なぜならリーグの中盤戦でラモスが負傷で休んだとき、この2人を並べて起用したのが成功して、読売クラブが優勝戦線に進出する原動力となったからである。 
 そうするとラモスをどうするか、ということになる。すでにハーフナーを入れているので、ラモスまで入れると外国籍の選手が4人になる。実際の試合では外国籍の選手の出場は3人までに制限されているので、紙上のイレブンであっても外国から来ている選手は3人以下としたい。 
 というようなことを考えていると友人が言った。 
 「ラモスなんか入れることはない。あれは最近、簡単なパスをミスしたりマイナスのプレーが多い」 
 確かにそういうところがある。体力が衰えてきたからではなく、もともとすばらしい頑張りやテクニックを見せるかと思えば、プレーを投げたような手抜きやミスがあるタイプである。
 「しかし、ああいうラモスのメンタリティーは、彼の個性のすばらしさと裏おもてだからね。あまり欠点の方ばかりみたら本来の良さも見失われてしまう。読売クラブのプレーの気風を作っているのはラモスの個性だから読売クラブが優勝したらラモスをベストイレブンからはずしたくないな」 
 ただ、このシーズンのラモスについていえば、シーズン半ばのもっとも大事な時期に練習中に顔の骨を痛めてかなりの期間、試合に出られなかった。このベストイレブンをリーグでの活躍を象徴するようなものにするのだったらラモスをはずすのも仕方がない。 
 というわけで、ラモスを入れるにしろ、はずすにしろ理屈のあるところだったが、結果をみたらラモスは入選していた。 
 いまの読売クラブの気風を象徴する選手。いわばセニョール読売クラブとしてはずせない、と思った人が多かったようだ。


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