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サッカーマガジン 1987年9月号

第26回コパ・アメリカ総評
南米サッカーの多種多様を実感したのが
最大の収穫!                  (3/3)    

ウルグアイはなぜ勝ったか 
本来の持ち昧を生かして戦った

 アルゼンチンの敗因は、地元としての期待だけを背負わされて、地元としての十分な援助とくに準備期間を与えられなかったことにある。 
 基本的には、それが敗因である。 
 ただ、試合の表面だけを戦術的に見ると、いくつか疑問に思われる点もあった。 
 一つは、マラドーナが最前線に立つ場面が多く、中盤での良さが、あまり生かされなかったことである。マラドーナは、ストライカーとしても、もちろん抜群だが、中盤ですぐれた判断力をフルに回転させたときに、もっと生きてくると思う。ところが、今回は、そういうプレーが比較的少なかった。 
 それには、もちろんチーム内の事情があるだろうが、それにしてもアルゼンチンのサッカーの本来の良さが、このためにマイナスになっていたように思う。 
 もう一つは、守備ラインの守り方である。 
 守備ラインは、ブラウンを完全にスイーパーにして、あとはマンツーマンで、きびしい密着マークをしていた。 
 これはもともと、アルゼンチンの選手たちの気質に合った守り方ではない、とされている。 
 それをあえてしたのにも、もちろん事情はあるだろうが、そのための弊害もあり、失点にもからんでいたように思う。 
 ともかく、アルゼンチンは、自分たちがふだんやっているようなサッカーを、やっていないように思われた。 
 一方、自分たちの得意なサッカーを、思う存分やったチームが二つあった。 
 優勝したウルグアイと3位になったコロンビアである。 
 コロンビアは「いいサッカーをする」と地元の大衆の間で評判が良かった。 
 ブエノスアイレスでタクシーに乗ったら運転手さんが、 
 「コロンビアにはフットボールがあり、ウルグアイにはフットボールがない」 
 と、もっともらしく論評してくれた。 
 コロンビアは、ボールを操って攻めを作り、ボールに向かって守りを組み立てるが、ウルグアイは激しく守って相手がボールを扱えないようにし、単純な逆襲で攻めようとする、という意味である。誇張した表現だけれども、二つのチームの対照的なサッカーを巧く表現している。 
 コロンビアは、ライオンのたてがみのような金髪のバルデラマが組み立て、黒人のレディンが速い足わざで突破する。守りはベテランのモリナを中心に、コンビネーションの網の中でからめ取る。2人の30代の選手を除いて平均23歳。機知に富んだ面白いサッカーをするチームだった。 
 準決勝でチリに対して、よく頑張り、延長にはいって先取点を上げながら、喜んで守りが舞い上がり、たちまち逆転されるなど南米のチームらしい欠点もあったが、南米らしい良さもいっぱいだった。3位決定戦でアルゼンチンに勝ったのは偶然ではない。
 ウルグアイの方は、ずっしりと落ち着いた守りのチームである。 もともと第2次大戦前のオリンピックとワールドカップでそれぞれ2度優勝し、南米のサッカーのレベルの高さを欧州に初めて知らせた名門だ。激しい守りで壁を築き、数少ないチャンスに逆襲速攻を狙う、というサッカーは伝統のものである。  
 4年前の前回大会優勝チームということで、組み合わせのときにシードされ、予選リーグ免除で準決勝から出場した。  
 じっくりと準備しながら予選リーグを戦う敵を観察し、準決勝に備えたのだから有利だった。  
 準決勝では、アルゼンチンを激しい守り合いのペースにまき込み、相手の一つのミスにすばやくつけ込んで決勝点を上げた。いかにもウルグアイらしい試合ぶりだった。
 決勝戦は7月12日。
 午前中はよく晴れていた日曜目だったが、地元が敗退しているので、8万人収容のリバープレート競技場はがらがらだった。  
 両方のゴール裏の2階席だけが、本国からかけつけた応援団で熱気にあふれている。
 相手のチリも、守りの得意なチームで、攻めは、前線から中盤ヘバックパスしてはタテに走り抜けるという単純な形の繰り返しが多い。 
 勢い、中盤できびしいタックルの応酬となり、14分にチリのゴメスが、2度にわたるフランチェスコリへの意図的なファウルで退場、その10分後には、ウルグアイのフランチェスコリが、ファウルをした相手に詰め寄って、たちまち退場させられた。 
 そのため、決勝戦はほとんどの時間帯が10人対10人の争いだった。試合終了間ぎわには、また双方に退場者が出て9人対9人になった。 
 ついでに付け加えると、この大会の南米の審判たちは、イエローカードばかり振りかざし、あまり上手だとはいえなかった。 
 あれが、南米式の審判なのだろうか。 
 後半10分にウルグアイは、コーナーキックのチャンスを生かして決勝点をあげた。
 このコーナーキックは、マトサスの強烈なミドルシュートをゴールキーパーのロハスがはじいてゴールラインの外にこぼしたためのもの。コーナーキック後の混戦から出たボールをペルドモがシュートし、これをロハスがまたはじいたところを、ベンゴエチェアがたたき込んだ。 
 ブラジルを破ったときの殊勲者だった名ゴールキーパーのロハスが、大事なところで連続して守り損ったのは不思議である。 
 ウルグアイの守りでは、長身のグチエレスが、守りのリーダーとしで殊勲者だったことを特記しておきたい。 
 ウルグアイの攻めの切り札のアルサメンディ、それにグチエレスは、いずれも前年のトヨタカップに、アルゼンチンの、リバープレートのメンバーとして、日本に来た選手である。 
 よその国のプロチームに、自分の特徴を生かして溶け込みながら、母国の代表チームでは、伝統的な自国独特のサッカーを、展開できる。そこに南米のサッカーの、多様性と柔軟性が表れているのではないだろうか。 
 「ウルグアイ! カンペオン!」 
 電光掲示板の大きな文字を記者席から見上げながら考えた。 
 マラドーナは今回は悲運のスターだった。 
 ブラジルの大敗は思いのほかの結果だった。 
 しかし、それぞれ見るべき点はもっていた。 
 だが、コパ・アメリカを見に来た最大の収穫は、南米のサッカーの中に多種多様なものがあることを実感したことではないだろうか。 
 「南米のサッカー」とひと言で言うけれど、南米は広大で、いろいろであり、それをのみ込んで大きな流れを作っているのでは、ないだろうか。

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