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サッカーマガジン 1986年11月号

短期集中連載★強豪チーム技術分析
<3>ブラジル
すべての“悲運”を象徴した
       ジーコのPK失敗    (2/2)


ジーコは徐々に調子が戻ってきたが…

 第1戦の対スペインが1−0、第2戦の対アルジェリアも1−0。守備を固める狙いだったとはいえ、得点が1点ずつでは寂しかった。 
 そこで第3戦の対北アイルランドでは。すでにD組で2勝して次のラウンド進出を決めたあとということもあって、攻撃的なメンバーを組んだ。 
 右のサイドバックにはジョジマールが起用された。23歳。すばらしいスピードのドリブルと強烈なシュート力を持つ黒人だ。この試合では約25メートルのシュートでブラジルの2点目をあげ、その次のポーランドとの試合のときは、右からあざやかな2人抜きで攻め込み、3人目がくるところでシュートして、これもブラジルの2点目をマークした。 
 前線では、ミューレルが先発になった。ミューレルは開始5分に右サイドから突破してカレッカの先制点をアシストした。このとき中盤からミューレルにパスを出したのはジョジマールだった。 
 ジョジマールといい、ミューレルといい、あるいはカレッカやジュリオ・セザールやブランコといい、20代前半の年齢層に、すばらしいテクニックと戦術能力と体力を持った選手が次々に出てくる。ブラジルのサッカーの驚くべき層の厚さである。こういう選手を使うために、テレ・サンターナ監督は、オスカール(31歳)やファルカン(32歳)をメンバーからはずしている。的確な選手起用だった。 
 しかし問題はリーダーだ。中盤の前の方は、やはりソクラテスとジュニオールだった。そして後半最後の20分間に、ソクラテスに代えてジーコをテストすることを繰り返した。
 ジーコはトップコンディションではないとはいえ、フィールドに出ているのを見る限りでは、すばらしい攻撃のリーダーだった。北アイルランドとの試合では、右からカレッカとのコンビで攻め込みボールをかかとで後ろにパスして3点目をアシストした。
 決勝トーナメントの1回戦(1/8ファイナル)の対ポーランドでは、カレッカのパスを受けて抜け出し、飛び出したゴールキーパーのファウルに倒されてペナルティーキックを得た(カレッカがけって4点目をあげた)。このころには、ジーコのひざは、もうほとんど問題ないように見えた。
 問題があるとすれば。90分間をフルに戦えるかどうかである。これには、体力的な問題と、しばらくフル出場から遠ざかっていたための試合のカンの衰えという問題がある。 
 そしてもう一つ、新しいチームのリーダーとしてのソクラテスとの関係が問題だった。

勝負をかけてジーコを投入したが…
 ブラジルが準々決勝でフランスと対戦することになったとき、ジーコを最初から起用するかどうかが、注目の的になった。 
 ジーコを担当している体力トレーナーは、2日前のインタビューで「ジーコは80分間はプレーできる。フランス戦までには90分間やれるようにしたい」と話していた。試合の前日に、テレ・サンターナ監督に対して先発で使うべきだと進言して、議論になったという話も出た。 
 ふたをあけてみると、ブラジルの先発メンバーにはジーコははいっていなかった。これまでと同じように。ソクラテスを中心にした戦い方だった。 
 前半16分にブラジルはミューレルが右サイドから持ち込んでチャンスを作り、ジュニオールからカレッカにつないで先取点をあげた。 
 フランスの同点ゴールは前半終了近い40分、右からロシュトーが持ちこみ、そのセンタリングに飛び込んだストピラとゴールキーパーがもつれている間に、プラティニが楽々とけりこんだ。 
 余談になるが、準々決勝前日の記者会見で、フランスのミシェル監督は「あすは中盤の勝負だ」と言い、ブラジルのテレ・サンターナ監督は「勝負は中盤でなくウイングで決まるだろう」と対照的だった。得点に関しては、テレ・サンターナ監督の予言が当たった形である。 
 ともにこの大会のスターがゴールをあげ、後半もすばらしい攻めと好守の連続で、白熱の争いだ。 
 後半26分、超満員のハリスコ・スタジアムが沸いた。ジーコ登場だ。 
 初めて、ソクラテスとの交代ではなく、ミューレルとの交代だった。ソクラテスを前線に出して、中盤の王様はジーコである。 
 27分、ジーコが最初にさわったボールは、相手の守備ラインの裏側をつく得意のパスになった。左サイドのブランコがインターセプトして中盤のジュニオールに渡し、その足で一気に最前線に駆けあがる。 
 ジーコはボールに駆け寄って受け取ると、最前線に走り出るブランコにぴたりと合わせる必殺のスルーパスを出した。 
 走り抜けたブランコを、フランスのゴールキーパーのバツが飛び出して倒した。ペナルティーキックだ。 
 5月7日にひざの故障が再発してから1カ月半。がまんにがまんをして温存してきたジーコを、はじめて最大のやま場で出して勝負を賭けた。その賭けが九分通り成功した場面だった。
 そのペナルティーキックをジーコが自分でけって失敗するとは……。 
 「ブラジルは不運だった」というほかに、どういえばよいだろうか。

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