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サッカーマガジン 1986年10月号

短期集中連載★強豪チーム技術分析
<2>西ドイツ
ベッケンバウアー監督の
      不思議な“神通力”      (2/2)


ルムメニゲをどう使うか 

 守りでは、ほとんど首尾一貫している選手起用が、攻めの方では入り乱れてくる。 
 中盤はマテウスとマガト。これはほとんど変わらない。とくにマガトはテクニックと判断力のあるベテランの中で、ただ1人、完調だったから、事実上、攻めの中心だった。
 前線はフェラーとアロフスがコンビを組んだ。 
 アロフスは全試合に先発し、決勝戦の後半だけ引っ込んでいるが、フェラーは大会の前半には主力として出場し、決勝トーナメントでは1回戦の前半と、準決勝と決勝の後半に交代出場しただけである。 
 攻めの方の布陣、とくにフェラーの起用の仕方が首尾一貫しなかったのは、フェラー自身の体調の問題もあったけれども、主としてルムメニゲをどう使うかに影響されたからである。 
 ルムメニゲは、今回の西ドイツ代表の中で、優勝への原動力になることのできる、ただ1人のスーパースターである。しかし、ひざを痛めてプレーから遠ざかっていて、体調は十分でない。 
 そのルムメニゲをどう使うか。 
 優勝を望むならば、ルムメニゲを6月29日の決勝戦でフル回転させなければならない。そのためには大会の前半は少しずつ調子を整えていけばいい。 
 ワールドカップは、1カ月にわたる長い戦いである。ケガをしていた選手でも、その間に調整することができるし、外国のクラブにいた選手でも、その間にチームに溶けこませることができる。 
 しかし、それもチームが最後まで勝ち残ったらの話だ。 
 決勝戦をめざして調子を上げるつもりでいても、1次リーグで敗退しては、どうにもならない。1次リーグを勝ち抜くのが、むずかしそうだったら、あとのことは考えずに、最初から無理をしてでも、全力を投入しなければならない。 
 これはむずかしい選択である。 
 しかも、今回の西ドイツは「死のグループ」といわれた最激戦のE組にいた。相手は、デンマーク、スコットランド、ウルグアイである。1次リーグでどのチームが負けても不思議はない。
 監督としては、どちらかに賭けるほかはない。 
 ベッケンバウアー監督は、ルムメニゲを決勝戦で生かす方に賭けた。 
 西ドイツとしては当然の賭けである。多くのファンは「今回は無理だよ」と口では言っていても、内心では優勝を期待している。そういう国民の期待を背後に担っていれば、1次リーグで負けても、決勝トーナメントで負けても同じことだ。1次リーグで勝って「よくやった」といわれる立ち場ではないのだから、とにかく優勝めざしたルムメニゲの使い方を選ぶほかはない。 
 1次リーグでは、ルムメニゲは後半以降に交代で起用された。これは少しずつ体調を整え、ゲームに慣れさせていこうという狙いである。 
 しかし、第1戦のウルグアイとの試合で後半23分にルムメニゲが登場してから、西ドイツの攻めが、にわかに生き返ったのを見たときは、さすがだと思うと同時に、ルムメニゲをフル回転させないで、果たして西ドイツが勝ち抜けるだろうか、という感じがした。 
 決勝トーナメントにはいってからは、ルムメニゲは先発で出場するようになったが、準々決勝と準決勝では、途中で交代して、引っ込んでいる。
 ここまで来たら、もう決勝戦をルムメニゲで勝負するつもりであることは明らかだった。

幸運にも恵まれ苦戦の連続で決勝へ
 決勝進出までの西ドイツの闘いは苦しいものだった。 
 勝ち抜くことができた原因は、慎重によく組織されていた守りが第一、高地にも暑さにも負けなかった体力(よく鍛えられていた)が第二、リードされればかえって燃え上がる伝統の闘争心が第三、そして、その上での幸運である。 
 1次リーグの最終戦でデンマークに0−2で負けているが、この敗戦については、ちょっと説明が必要である。 
 この時点でデンマークはすでにベスト16進出が確定していた。西ドイツも、かりに負けてもグループの2位で進出できることが、ほとんど確実だった。したがって、この試合では結果を気にしないでメンバーを組み、テストを試みることができた。しゃにむにベストメンバーで勝ちにいく必要はなかった。 
 結果として西ドイツは、グループの2位で決勝トーナメントに進んだのだが、そのための利害得失がどうであったかは簡単にはいえない。 
 グループ2位になったため、西ドイツは標高1800メートルの快適なケレタロに居座ることができず、標高500メートルで蒸し暑いモンテレイに移ることになった。しかし、暑さはきびしくても、空気の薄い高地から一度、低地に移って濃い酸素でひと息入れる利点もあった。
 また決勝トーナメントの最初の相手がモロッコ。次の相手はメキシコになった。結果としては、この2チームに手こずったが、戦う前の時点では、比較的楽な相手を選んだということもできる。 
 とはいえ、決勝トーナメントも非常な苦戦だった。1回戦はモロッコの柔軟な守りを攻めあぐみ、後半終了の直前にマテウスの約30メートルのフリーキックでやっと決勝点をあげた。 
 準々決勝のメキシコとの試合は、勝ちたいという気負いが先に立ち、後半14分にベルトルドが退場させられて苦しんだ。延長のすえPK戦に持ち込むことができたのは、幸運だったというほかはない。 
 準決勝のフランスとの試合は、「ようやく西ドイツの良さが出た」といわれたけれども、これとても、フランスの予想外の不出来に救われたものである。 
 開始8分の1点目は、ゴール正面20メートルあまりのフリーキックから。西ドイツはモロッコ戦でも、フリーキックからしか得点できなかったのだから、フランスはフリーキックに対する守りを、もっと慎重にするべきだったが不用意だった。 
 この1点に焦ったプラティニが、そのあと最前線に出っぱなしになったのも、西ドイツにとっては幸運だった。得意のマンツーマンのマークがやりやすくなったからである。
 それでも、攻めでは追加点をあげられなかった。2点目は終了直前にフランスが最後の総攻撃に出た裏側へ抜けたゴールで、実質的には1−0の試合だった。 

得点のほとんどはセットプレーから
 こうして見ると、西ドイツの戦った7試合の中で、唯一のいい試合は決勝戦だったのではないか。 
 マラドーナを誰にマークさせるかが注目の的だったが、調子のいいマテウスを下げて当てたのは正解だった。少なくとも、マラドーナの突進を防ぐことができた。 
 中盤に下がったマラドーナの好パスから後半11分に2点目をとられると、マテウスを中盤に上げ、マガトに代えてヘーネスを出して反撃を策した。(※図の説明は間違い) 
 マガトは、攻撃の起点になっていた選手だが、アルゼンチンに対して足わざで2点を取り戻すのはむずかしい。ここは長身のヘーネスを出して、一かバチかのヘディング勝負に出るほかはない、という決断である。 
 後半28分にルムメニゲ、36分にフェラーとともにコーナーキックからのヘディングを使った攻めが実って2−2の同点になった。反撃策のみごとな成功だった。 
 また、この大会全体を通じてのルムメニゲとフェラーの使われ方を振り返ってみれば、決勝戦で、この2人がゴールをあげたのは、決して偶然ではないような気がする。 
 西ドイツが同点に追いついた3分後に、アルゼンチンは、中盤からのマラドーナのみごとな逆襲のパスで決勝点をあげた。 
 ルムメニゲは、決勝戦のあとの記者会見で、この場面について次のように話している。 
 「同点に追いついたとき、われわれは勝てると思った。そのために、すぐ3点目を求めて気持が前に傾いてしまった」 
 マラドーナの縦パスは、その裏側をついたものだったが、ここは西ドイツの守りの失策というよりも、同点に追い上げられてなお冷静にみごとなプレーをしたマラドーナのすばらしさを称えなければならない。
       ※   ※   ※ 
 西ドイツは7試合で8点をあげたが、中盤からの組み立てで上げたゴールはほとんどない。逆襲の一発かセットプレーからの得点ばかりである。タレントのいない西ドイツの苦しさを示している。 
 それでもなお西ドイツが決勝に進出できたのはなぜか、アルゼンチンを、あと一歩のところまで追いつめることができたのはなぜか。 
 コーチのケペルとフォクツが担当した体力トレーニングの成功、それをサポートした医科学スタッフの研究、その全体をまとめた西ドイツの組織力――こんな意見が、たくさん出ている。それは、結果からみて、すべて当たっているに違いない。 
 しかし、それを生かして選手たちを決勝戦まで引っぱってきたのは、やはりベッケンバウアー監督の名声の神通力だったのではないだろうか。

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