マラドーナは何人抜き
対イングランド戦のスーパードリブルをめぐる論戦?
ここのところ、講演会めいたもので、ワールドカップの話をする機会が続いた。というのは、メキシコの大会をいっしょに取材したカメラマンの三井嘉明氏が、7月の下旬に東京・池袋の西武スポーツ館で、8月の上旬に横浜の「そごう」でワールドカップの写真展を開き、その期間中に1日、サッカー講演会を抱き合わせたからである。
ワールドカップの話をするとなれば、やはりマラドーナだ。
そのマラドーナが準々決勝のイングランドとの試合で、約60メートルのスーパードリブルを演じてゴールをあげた。このドリブルの間に、イングランドの選手を何人抜いたのか――これが一つの話題だった。
日本の新聞では、読売には7人抜き、毎日には6人抜き、朝日には5人抜き、と書いてあった。いったいどれが正しいのか、というわけである。
結論をいえば「どれも正しい。数え方による」というのが、ぼくの答えである。
ハーフラインの手前でマラドーナがボールをとったとき、イングランドは3人がかりで取り囲もうとした。その3人は、リード、サンソム、ベアーズリーだ。
だが取り囲むひまもなく、マラドーナは3人を置きざりにしてドリブルした。これで3人抜きとする。
外側からブッチャーが、タックルにきたのを内側に切り返して抜き、さらに内側からフェンウィックがタックルに来たのを、外側に切り返してかわした。これでさらに2人抜きだ。
独走ドリブルで突進してくるのに向かってゴールキーパーのシルトンが出ていく。それをフェイントでかわしてしりもちをつかせる。1度抜かれたブッチャーが追いすがってスライディングタックルにはいるが、マラドーナのシュートが一瞬早かった。ここでシルトンとブッチャーの2人を抜いている。
こういうふうに勘定して通算すると合計「7人抜き」になる。
ただし、この数え方では、ブッチャーが2度タックルして2度かわされたのを2人に数えている。同一人物だから1人と勘定すると「6人抜き」になる。
また、最初にマラドーナを取り囲もうとした3人は、タックルにはいる間もなく置きざりにされたので、抜かれたうちにははいらない――と考えることもできる。しかし、そのうちリードは、ともかく追いかけたから勘定に入れる。そうすると「5人抜き」になる。 そのほかにも、いろいろな数え方ができる。
リードは、最初に置きざりにされたあと、追いかけてまた抜かれたとして、2度数えてもいいし、最初に置きざりにされた3人のうち、サンソムはまったく追いつくチャンスがなかったとして除外して数えてもいい。
写真展の会場には、三井カメラマンが撮影した、この場面の連続写真を並べ、図解のパネルもいっしょに展示した。
抜かれた人数の数え方など、どうでもいいようなものだけれども「7人抜きだ」、「いや6人抜きだ」と議論しているうちに4年たって、次のワールドカップがやってくる。これも、サッカーの楽しみ方の一つである。
チームワークとは
マラドーナを生かしたアルゼンチンの戦い方について
サッカー講演会で「マラドーナは何人抜いたか」というような話ばかりしていたわけではない。まがりなりにも「講演」と銘打ってあったので、多少はもっともらしい話もしようと心がけた。
マラドーナが7人抜き(6人抜きでも、5人抜きでもいいが)を演じた。世界のトップクラスを相手に、なぜ、そんなことができるのか――これが、もっともらしい話の一つのテーマだった。
答は簡単で、それはアルゼンチンがマラドーナを先頭に立てて戦ったからである。百の力を持っているマラドーナに、百の力を出すようにさせたからである。
「世界でもっとも力のある選手は誰か。それはマラドーナです。あるいはフランスのプラティニです。これは大会の前から、世界中の人たちが知っていたことです」
「アルゼンチンは、そのマラドーナの百の力を全部出させて戦うことを考えました。そのために、ほかの選手の力は犠牲になっても、やむを得ないと考えました。そのためにボルギやボチーニやパサレラ(病気ということでしたが)に、ほとんど出番がありませんでした」
「こういう考え方は、日本人の好きなチームワークとは違うように思われるかもしれませんが、1人のスーパースターを生かして戦うためには、別のチームワークの考え方が必要です。それを説明したいと思います」
ぼくの説明はこうである。
もっともすぐれた選手の力を100とする。そういう選手を11人集めれば合計1100となるが、そういうチームは現実にはあり得ない。
100の選手はいないが、90くらいの選手を揃えていて11人の力の合計が990のチームがあり、それがイングランドだったとしよう。
一方、アルゼンチンには100の力のマラドーナがいるが、他の10人の力は平均80だったとする。そうするとアルゼンチンの力の合計は900になる。
この両チームが戦った場合、990のイングランドが、900のアルゼンチンに勝って当たり前だろうか? ぼくの考えは逆で、900のアルゼンチンの方に、勝つ可能性が十分あると思う。
なぜなら11人対11人の試合であっても、ボールをめぐる局面の戦いは1対1である。マラドーナを先頭に立てて戦えば、その局面での戦いは100の力と90の力の争いになる。そうなれば、100の方、つまりマラドーナが勝って当然であり、そういう局面を、たくさん作り出せればアルゼンチンの勝つ可能性が大きくなる。
マラドーナの7人抜きの場面は、100対90の戦いが7度連続して起きたと考えたらいい。
もちろん、実際のサッカーは、この数字のたとえ話ほどには単純ではない。
「しかし、みんなの力を合わせるのをチームワークだと思っていてはサッカーでは勝てない。エースの力を100%出させるようにするのもチームワークだと考えなければならない、と思います」
これが、ぼくのもっともらしい話の結論である。
中国できいた話
ワールドカップを中国では52試合全部テレビ中継した
メキシコのワールドカップから帰ったあと、サッカーとはまるで関係のない仕事で、中国の北京に出張した。そのとき通訳の仕事をしてくれた趙建軍さんは、なかなかのサッカー通だった。
「ワールドカップの期間中は、毎日寝ぼけまなこで仕事に出ました」と趙さんは、笑って話してくれた。
なんと中国では、メキシコ・ワールドカップの52試合を、全部その日のうちにテレビ中継したのだという。
メキシコでは、キックオフは正午あるいは午後4時だった。北京の夏時間は日本と同じで、午前3時と午前7時、深夜と早朝になる。
同じ時間に2試合行われた日もある。その場合は、1試合を生中継したあと、続けてもう1試合を録画中継する。
こうして中継された試合を全部見るとなると、毎日、深夜と明け方に起きていなければならないし、日によっては、寝るひまがまったくなくなる。
「ぼくは、52試合全部見ましたよ」と趙建軍さんは胸を張った。毎日、寝ぼけまなこで出勤したのは、そのためだった。
「うーん、たいしたもんだ」
学生のころはサッカー選手だったという趙さんの熱心さに敬意を表すると同時に、ぼくは、中国のサッカーファンをうらやんだ。
なぜなら日本では、52試合全部を即日、中継するどころか、NHKの計画していた生中継の予定が衆参同日選挙の政見放送のために、ばっさり削られたというではないか。中国のサッカーファンの方が、よほど恵まれていたと、いうほかはない。
北京では、もう一つ、ワールドカップにまつわるうれしいことがあった。
それは、メキシコで知り合ったサッカー記者の程証さんが、ホテルの部屋まで訪ねてきてくれたことだ。
程証さんは、中国のスポーツ新聞「体育報」の特派員でメキシコに来て、得意のスペイン語で活躍していた。
今回のぼくの北京出張は、サッカーとは関係のない仕事だったし、期間も短かったから、程証さんにはとくに知らせなかったのだが、他の体育関係者から、ぼくが北京に来ていることを聞いて、わざわざ訪ねてきてくれたのだった。
程証さんは「体育名人列伝、馬拉多納」(人民体育出版社)という自分の著書を一冊、持ってきてくれた。アルゼンチンのマラドーナの伝記である。
ワールドカップから帰って、この本を書いたのかと思って「相当の早わざですね」とびっくりしたら「いや、書いたのは実は昨年です」という。
つまり、1年前から準備しておいて、マラドーナのアルゼンチンが優勝したのをみて出版したわけだ。
考えてみると、そんな余裕のある仕事ができるのも、ぼくたちからみると、うらやましい話である。
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