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サッカーマガジン 1986年10月号

短期集中連載★強豪チーム技術分析
<2>西ドイツ
ベッケンバウアー監督の
      不思議な“神通力”      (1/2)

 ルムメニゲやフェラーら主力にケガ人が多く、ベストコンディションではなかった西ドイツが決勝に進出したのは、まったくの予想外だった。きらめくような技術はなかったが、堅実な守りと優れた体力を武器に、持ち前の勝負強さを発揮して、“死のグループ”といわれたE組で予選リーグを勝ち抜き、準優勝を果たした。不安材料を抱えながら、決勝では0−2から同点に追いつく頑張りをみせた西ドイツの強さを、探ってみる。

ケガ人が多く、タレントを欠く悩み
 メキシコもワールドカップ86で、上位に進出したチームはみな、きらめくような何かを持っていた。上位に出られなかったチームでも、たとえばソ連やデンマーク、あるいはアフリカのモロッコは、部分的ではあっても、はっと目をみはらせるようなものを持っていた。
 しかし、西ドイツだけは、何も目新しいものを持っていなかった。はっとさせるような、きらめきもなかった。 
 新しいものを持たないどころか、かつての西ドイツが持っていたもの、たとえばベッケンバウアーの柔軟さや、ゲルト・ミュラーの野性味を、今回のチームは失っていた。そういう伝統を受けついでいるはずのルムメニゲやリトバルスキやフェラーは、そろって体調不十分だった。 
 にもかかわらず、西ドイツは決勝戦まで勝ち残った。勝ち残ったどころか、決勝戦では2点のビハインドから追いつき、あとひと息で逆転優勝というところまで、アルゼンチンを追いつめた。 
 今回の西ドイツが、ここまで頑張れると予想していた人は、本国のファンの中にも、そう多くはいなかっただろう。優勝をのがしはしたが、この活躍はベッケンバウアー監督にとって大きな成果だったといっていい。 
 この成果をもたらしたものは、何だったのだろうか。西ドイツの戦いのあとをたどりながら探ってみよう。
 メヒコ86の前に、ベッケンバウアー監督の抱えていた問題をひと言でいえば「ベッケンバウアーのいない西ドイツチーム」を指揮しなければならないことだった。 
 これは、かつてベッケンバウアーが選手のときにプレーしていたリベロのポジションに適当な選手がいない、という意味ではない。 選手としてのベッケンバウアーのように、テクニックがあり、フィールド全体を見渡して試合の流れを読むことができ、ひらめきがあり、リーダーシップをとれる――そういう選手がいなかった。これは、守りよりも、攻めの方で問題だった。 
 メキシコのためのチーム作りをはじめたときから、ベッケンバウアー監督は「いまの体制では、ワールドカップで優勝を望むのは夢みたいなものだ」と言っていたが、これはサッカー協会のしりをたたいたり、選手を発奮させるための発言とばかりは言えないものがあった。 
 そもそも、2年前の欧州選手権のあと、コーチのライセンスを持っていないベッケンバウアーが特例でナショナルチームの監督に起用された原因が、ここにあった。ベッケンバウアー選手のいない西ドイツチームをなんとかするには、ベッケンバウアーの名声の神通力を、監督として利用するほかはない――というわけである。 
 ベッケンバウアー監督の手もとに残された選手の中で、テクニックとリーダーシップの点で頼れそうな選手といえば、30歳のルムメニゲだけだったが、イタリアのインター・ミラノにいるこのキャプテンは、ひざの故障で3カ月もプレーから遠ざかっていた。
 ドリブルのいいリトバルスキは、攻撃の突破口として使えそうな選手だったが、これもケガを抱えていた。ゴール前で鋭さのあるフェラーも太ももの付け根の痛みで、かなりフィールドから遠ざかっていた。 
 そんな状態だったから、ベッケンバウアー監督が、スペインのバルセロナにいるシュスターを復帰させようと、しつこく説得を試みたのも無理はない。シュスターは、デアバル監督のときに、代表チームのやり方を批判して、自分からナショナルチームを飛び出した異端児だが、ベッケンバウアー監督としてはいささか骨っぽくはあっても、才能のあるプレーヤーが欲しかったのだった。 
 結局のところ、シュスターはベッケンバウアー監督の説得に応じなかった。 
 そういうわけで、大会の直前になっても、西ドイツのチームが、かつての栄光にふさわしい戦いのできるめどは、まったくたっていなかった。 
 ベッケンバウアー監督は、合宿中に選手たちを集めて「お前たちの力では、優勝どころか1次リーグも勝ち抜けない」と言い、「おれはメキシコが終わったら監督をやめる」と公言していた。これは、選手を発奮させるための刺激的発言とばかりはいえない。かなりの部分は、本音だったといえるだろう。 
 しかし、戦う以上は、勝つことをめざさなくてはならない。 
 しかも西ドイツは、戦力不十分だとはいっても優勝候補の一つである。1カ月の大会を見通して、優勝への道のりを計算しながら戦わなければならない。評価の低いチームのように、一戦必勝主義でぶつかって一つでも金星をあげれば満足というわけには、いかないのである。

ベテラン中心に成功した堅実な守り
 西ドイツの選手起用の一覧表を作ってみると、ベッケンバウアー監督が、メキシコの1カ月を、どのように計算して戦ったかが分かる。
 一度も休まないで全試合に出場したのは、ゴールキーパーのシュマッヒャーだけである。ルムメニゲが不調だったので、シュマッヒャーは、キャプテンとしてチームを率いて、みごとな守りをみせた。メキシコ大会には才能のあるゴールキーパーが多かったが、最優秀は、やはりシュマッヒャーだといえるだろう。
 だが、いまとなっては誰もが、決勝進出への立役者だったと認めるシュマッヒャーにも、大会中には批判があった。第一の批判者は、出番のなかった第2ゴールキーパーのシュタインだ。 
 シュタインは、自分にはまったくチャンスが与えられないのに不満を持って、公然とベッケンバウアー監督を批判して反抗的な行動をしたため、大会の途中で代表チームからはずされて、本国へ送り返されてしまった。 
 このとき、チームの内部には、ほかにもお行儀のよくない出来事があったといわれているが、ベッケンバウアー監督は、他の問題は不問に付して、シュタインだけを追放し、みせしめにした。
 結果として、これは成功した。選手たちは結束と規律を取り戻し、シュマッヒャーが今回の戦いの中心であることを認識したのだった。 
 守備ラインの選手起用をみてみよう。
 相手の2トップに対して。マンツーマンで1人ずつマークをつけ、その背後にスイーパーを置くのが、今回の西ドイツの守りの布陣である。 
 スイーパーには、最初の2試合はアウゲンターラーが起用され、3試合目の対デンマークから32歳のヤコプスがはいった。このポジションは、人材がいないというので議論の多かったところだが、ベテランの起用は成功だった。 
 相手の2トップにつく2人のストッパーは、フェルスターとエデルだった。この2人は、全試合で先発に起用され、ほとんど変わっていない。決勝戦の前半では、マラドーナのマークをマテウスが担当したため、マテウスが守備ラインに下がってエデルが中盤に上がったが、これは例外だった。 
 両サイドバックは、ブレーメとブリーゲル。このポジションは、今回の大会では、とくにむずかしい問題があった。 
 というのは、多くのチームが2トップの攻めだったため、本来のサードバックのポジションにいてはマークすべき相手がいない。かといって、積極的に中盤に進出すると、その裏側をつかれる。 
 下がって待つか、前へ出て攻めるか、その判断が明暗を分けた試合がいくつかあった。
 西ドイツのブレーメとブリーゲルの場合は、慎重策の方だった。 左サイドのブリーゲルは迫力あふれる攻め上がりが得意で、ワールドカップでも、ときとしては、これが西ドイツの武器だったが、その回数は、それほど多くなかった。 
 中盤の守備的なポジションは、21歳のベルトルドだった。サイドバックの攻め上がった後を埋め、ブレーメが欠場した試合では右のサイドバックにはいった。大会の後半になると守備的なポジションの以上の顔ぶれは、ほとんど変わっていない。 
 ベテランを中心にした布陣の前に、若手のベルトルドを置いて、堅実に守りでしのいで勝ち進もうという考えがうかがわれる。攻めにタレントがいないのだから、まず守りに重点を置こうという狙いである。 
 守りを固めた作戦は、西ドイツが最後まで勝ち残ることのできた、もっとも大きな要因だった。
  

 


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