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サッカーマガジン 1986年3月号

日産、2度目の天皇杯優勝
それは木村和司の大会だった     (2/2)

オフト・マツダの新戦法 
 フジタは、故障者が多かった。池内は骨折で最初から出られなかったし、坂下が準々決勝の三菱との試合のとき頭を打って準決勝を休み、決勝も本調子ではなかったらしい。 
 優勝候補のトップにあげられていた古河も負傷者続出だった。 
 負傷者が多いのは、言い訳の材料にはならない。やむを得ないけがもあるけれど、チーム力を維持するのも、監督の仕事である。 
 しかし、今回の天皇杯は、日本リーグ1部チームは、シーズンを中断して出場する形になったので、ハンデがあった。2部チームの方は、すでにシーズンを終わり、チームを作り直して挑戦してくる。 
 マツダとトヨタが、1部勢を連破して、ベスト4に進出してきた原因の一つは、これだったのではないか。 
 マツダの方には、2年前にオランダから招いたハンス・オフト・コーチの新戦法という話題もあった。この新戦法で、住友金属を破り、前回チャンピオンの読売クラブを破り、1部リーグで首位にいた古河電工を破った。 
 新戦法の概要は、こうである。 
 @守備ラインを押し上げ、前線との間隔を狭くして、相手の攻撃を狭い地域に押し込める(そのために、相手がオフサイドにかかるようにする)。
 A相手をオフサイドにかけ損なって、守備ラインの裏側の広いスペースをつかれた場合に備え、守備範囲の広いゴールキーパーを起用する(そのために、オランダのFCデン・ハーグからディルク・ハーフナーを連れて来ていた)。 
 B相手の攻撃を狭い地域に押し込めた上でボールを持っている敵は、きびしくマークする。
 C攻撃は、守から攻への切り換えのはやさを重視し、相手に攻めさせておいてその裏側を逆襲でつく。
 Dコーナーキック、フリーキックのチャンスを活用する。 
 ざっと、こんなところだろうと思われた。 
 これは、1974年の西ドイツ・ワールドカップのとき、オフト・コーチの母国であるオランダが使ったトータル・フットボールのやり方だから、新戦法とは呼べないかもしれないが、天皇杯で1部チームを相手に、このやり方が、つぎつぎに当たったのは、目新しかった。読売クラブは、逆襲速攻にやられ、古河はコーナーキックから2点をとられた。 
 準決勝の日産に対しては、このやり方は、うまくいかなかった。 日産にとられた1点目は、オフサイドをかけそこなって、浅いラインの裏側へ走り込まれたのが、もとになっている。 
 ゴールキーパーのハーフナーが、ペナルティーエリアから飛び出して、ボールをけり出したのは、作戦通りだったのだが、そのスローインから点をとられた。2点目はフリーキックからの失点だった。 
 前半に2点をとられたので、マツダは後半のはじめに、ストッパーを最前線にあげて、一か八かの勝負に出た。 
 これはオフト・コーチの失敗だった。たちまち日産にその裏側をつかれ、新戦法は完全に崩壊した。 
 トヨタは、神戸で行われた雨中の準決勝で、フジタから先取点をあげながら、植木の2ゴールに逆転された。
 ともあれ、マツダとトヨタの健闘は、1部と2部のレベルに、そう差がないことを示している。大部分の選手のテクニックのレベルは同じである。ただ、マツダにもトヨタにも木村和司のようなスターがいなかった。 
 マツダが日産に敗れたあと、オフト・コーチに「敗因はヨハン・クライフがいなかったことだろう」と冗談できいたら、「まったくそうだ」と大笑いした。しかし、その大笑いの裏に、本当のところをつかれた悔やしさがにじんでいた。 

協会への注文 
 大学チームは、今回もふがいなかった。大学サッカーの時代は、もう完全に去ったようだ。にもかかわらず、素質のある選手が大学チームに数多くしばられている。これを何とかしなければ、日本のサッカーは、なかなか良くならないのかもしれない。 
 最後に、毎年のことながら、天皇杯に対する注文をあげておこう。 
 毎年、少しずつ改善されてきてはいるが、なかなか良くならない点もある。あまりに仕事が遅いのは、仕事をしない以上の害をなすことがある。
 なぜ、やれないのかを日本サッカー協会の専務理事であり、天皇杯実施委員会の委員長である長沼健さんに説明してもらいたいものである。 
〔天皇杯への三つの提案〕 
 @元日の国立競技場を満員にするための特別対策委員会を作る。
 A準決勝と決勝までの間を、1週間前後あける。 
 B少なくとも日本リーグ1部チームについては、組み合わせ抽選のときにシード順位をつけない。 
 それぞれに、提案理由はあるが、ここには説明しない。それぞれ、何とかする必要があることを、関係者は知っているはずである。

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