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サッカーマガジン 1985年3月号

第64回天皇杯総評
プロへの足がかり!? 読売クラブの優勝は
日本サッカーの夜明けだ!!       (2/2)

●その3 グーテンドルフ監督の考えていること
 2冠が決まったあとのインタビューで読売クラブのグーテンドルフ監督が「次の目標は、読売クラブを国際レベルのチームにすることだ」と話していた。 
 これは、実に、いい発言である。 
 日本リーグと天皇杯の二つのタイトルを二つともとった。これ以上のことはない、といいたいところだけれど、その時点でさらに上の目標をすぐに口にしたところが、なかなかいい。 
 決勝戦の試合ぶりを評して「アジアの国際レベルからも遅れている試合ぶり」という意味の記事を書いている新聞を見たけれども、ぼくの考えでは、これは少し違うと思う。 
 この試合は、あくまでも、天皇杯の決勝戦なのだから、両チームが、相手に勝つための試合をするのは当たり前のことである。 
 古河電工は、守りの強いチームだから、守りの試合に相手を引き込んで、勝機を求めようとするのは当然である。そして、哲也のスーパーゴールが出るまでは、それが成功していたと思う。大衆受けはしないだろうが、タイトルのかかった、しかも最後の試合だから、勝負にこだわらなければ、その方がおかしい。 
 一方、読売クラブの方には読売クラブとしての作戦がある。 
 古河の守りは堅いのだから、一気に攻め崩すことはむずかしい。しかし守りでは、労働の量が大きな比重を占めているので、攻勢を保ちながら時間がたてば、相手の守りに疲れから、ゆるみが出てくる可能性は高い。ただし、その間にこちらが失点をすれば、相手の士気が高まって守り切られるから、こちらもしっかり守りながら、ボールをキープする時間を相手より長くして、相手を疲れさせなくてはならない。 
 結果的には、そういう読売クラブの作戦が成功したわけである。 リーグとは違って、カップ戦の戦い方としては、これは当然で、その試合ぶりが「国際的に通用しない」というのなら、それは見当違いというものだ。 
 とはいえ、日本の単独クラブが、国際的に通用するレベルに達しなければならないということは、これとは別の問題として、いま緊急に必要なことである。 
 そういうわけだから、リーグと天皇杯の両方をとった時点で、グーテンドルフ監督が「次の目標は、読売クラブを国際レベルのクラブにすることだ」と、さらに高い理想を掲げたのは、実に適切だった。逆にいえば、これまでの日本人の優勝監督の口から、こういう言葉が聞けなかったのは、残念なことだった。 
 グーテンドルフ監督が「国際レベルのクラブ」として頭に描いているのは、自分が指揮したことのある西ドイツのハンブルガーSVとか、今度ゼロックススーパー・サッカーで来日したフランスのボルドーとか、トヨタカップに出たリバプールとかそういうレベルのチームである。
 こういうヨーロッパのプロの一流クラブの実力を考えれば、これは夢のような目標のように思われるが、西ドイツのブンデスリーガの有名監督として、それを知りつくしているグーテンドルフが、あえて夢のような目標を公言したところに、また意義がある。 
 また、グーテンドルフは、天皇杯チャンピオンとして、6月のジャパンカップに出て、ヨーロッパのプロと戦うことを、頭に置いている。6カ月の間に.読売クラブを国際的なプロのレベルに仕立てられると考えているわけではないけれども、ジャパンカップのときに、相手にひとあわ吹かせて、それを第一歩にしたいともくろんでいるわけである。
 実は、ジャパンカップはことしは「キリンカップ」と名前を変えることになっており、天皇杯チャンピオンに出場権を与えるかどうかも、まだ確定していないらしい。
 しかし、ジャパンカップでなくても、日本の単独チームが、外国のクラブチームと国際試合をする機会を.どんどん増やすべきである。
 読売クラブが2冠をとったことで、グーテンドルフ監督の功績がいろいろ取り上げられたが、外人監督を入れたことの本当の意味は、案外、知られていない。 
 グーテンドルフ監督のトレーニングの方法や試合のときの指示の内容は、これまで日本で行われてきたものと、たいして変わりばえしない。
 しかし、それを実行するときの考え方や発言の仕方は、日本人とは大いに違う。天皇杯優勝後のインタビューでの発言も、その一例である。 
 グーテンドルフに、風変わりなことや思い切った発言をしてもらって、固くなりがちな、こちらの頭の中を揺さぶってもらおう、というのが、外人監督を招いた本当の狙いで、2冠をとったグーテンドルフには、これからもますます、でかいことを言ってもらいたいと思う。

●その4 古河電工には、幸運も、不運もあった
 読売クラブ以外の話にも、かけ足でふれよう。 
 準優勝の古河電工は、実によく戦ったと思う。清雲新監督のこれからの成長に、大いに期待したい。 
 古河は、中盤がよく動いて守り、守備ラインは岡田の読みのよい出足を中心に、しっかりしていた。 
 攻めの方は、ベテランの永井が頼りで、あとはコーナーキック、フリーキックからしか攻め手がなかった。しかし、戦力を精一杯生かしてよく決勝へ出た。守備ラインから進出する金子久のヘディング、中盤からの19歳の越後のミドルシュートも楽しめた。 
 準決勝の日産との試合では、幸運もあった。相手の日産のエース木村が、準々決勝の田辺との試合で左足首ねんざ、水沼も、この試合の途中で負傷退場した。それでも古河は勝つことはできなかったが、PK戦で決勝へ出ることができた。 
 この準決勝の延長戦は、決勝では不運となった。 
 これまで、30日の準決勝を関西でやったチームは、新幹線で東京まで戻ってこなければならない分だけ体力的に不利になっていた。神戸で準決勝をした読売クラブは、それを気にしていたのだが、国立の古河は延長戦をしたので、ハンデは少なくとも同じにはなり、決勝戦で古河に後半、疲れが出る一因になった。 
 グーテンドルフ監督は「準決勝と決勝との間が1日しかあいてないのは、ばかげている。1週間前に準決勝をやったらどうか」と言っていたが、これは考慮に価すると思う。1週間の余裕があれば、カードが決まってから、決勝戦の前売券をさばくことができるという利点もある。 
 日産については、準々決勝の田辺との試合で木村が左足首を痛めたとき、無理して使ったのが疑問だった。田辺の方が1点リードしており結果的には、無理して使った木村を起点に逆転したのだが、準決勝では、木村はほとんど戦力にならず、PK戦では2番手にけって、左ポストに当ててはずした。 
 2部の田辺を相手に、木村がいないから勝てないようでは、天皇杯はとれない。どうせ消えるなら準々決勝で負けても、準決勝で負けても同じ――と割り切って、思い切りよく木村を引っこめて、田辺と勝負してみる手もあったのではないか。ねんざしたとき、すぐ引っ込めて、なおかつ田辺を逆転できていたら、木村のねんざは、それほど悪化しなかったのではないかと思う。 
 とはいえ、以上はチームの内情を知らない外からの観察に過ぎない。 
 今回の天皇杯で比較的いい試合をしたのは、以上にあげたチームのほかでは、フジタとヤマハぐらいだった。2部の田辺以外は、ほぼリーグのときの実力どおりで、波乱の少ない大会だったといえるだろう。 
 1回戦で筑波大が本田と2−2、福岡大が三菱と1−1だったのは、大学勢の健闘のようにみえるが、日本リーグの下位チームの元気がなさ過ぎるといった方が適当なようだ。
 運営面では、決勝大会が32チームに増えて1回戦不戦勝のチームをなくしたのは、大きな改善だった。 
 組み合わせ抽選の作り方は、それまでは前年度のリーグ順立でシードしていたのを、その年度のリーグの12節現在のリーグの順位でシードした。 
 これは、なるべく最近の順位でシードしたいという趣旨で考え方としてはいい。リーグが終わってからシードを決めるのは、グラウンドなどの関係で間に合わないらしい。 
 しかし、32チームにして1回戦不戦勝がなくなったのだから、もう日本リーグ1部チームの配分については、無作為抽選にしてはどうだろうか。その方が、いろんな意味で公平だと思う。 
 最後に、毎年のことながら観客動員について。 
 ことしもまた、決勝戦は、お天気に恵まれたにもかかわらず、満員にならなかった。 
 サッカーマガジン誌上で、ぼくが「元日の国立競技場を満員にしよう」と叫び続けて、何年になるだろうか。そのために、日本サッカー協会は、いったい何をしたというのだろうか。

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