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サッカーマガジン 1986年2月号

世界一の技が激突!!
史上最高の熱戦
ユーベントス、欧州に栄冠       (1/2)

 1985年度のトヨタ・ヨーロッパ・サウスアメリカ・カップは史上最高だった。12月8日、日曜日。正午から東京の国立で行われた試合に満足しなかった人はいないだろう。
 欧州チャンピオンのイタリアの名門、ユーベントスは、いま世界最高の中盤プレーヤー、ミシェル・プラティニを擁して、現代のサッカーのすべてを見せ、アルゼンチンから来た南米チャンピオンのアルヘンチノス・ジュニアーズは、21歳の新鋭クラウディオ・ボルギを61カ国で放映されたテレビを通じて世界の舞台に衝撃的に送り出した。 
 2−2の同点で30分間の延長戦。120分の戦いのすえに、PK戦でカップはユーベントスに渡ったが、高度で濃密な試合内容からみれば、カップの行方に大きな意味はない。欧州と南米のラテン対決は、引き分けだったといっていい。ただ、記録のために付け加えれば、この事実上の世界クラブ選手権試合が、トヨタカップとして東京で開かれるようになってから6度目で、欧州代表が初めてカップを持ち帰った。
 それ以前のホーム・アンド・アウェーで行われていた当時から通算すると、欧州勢のカップ獲得は、1976年に、あのフランツ・ベッケンバウアーのバイエルン・ミュンヘンが勝って以来、9年ぶり(途中1回中止)だった。 
 最優秀選手賞は、プラティニが獲得した。誰が見ても、文句のない選考だった。

試合はプラティニから始まった
 2日前の夜から前日の朝にかけて降った雨模様が多少残って天候はくもり。グラウンドは湿っていたが、芝生はしっかりしていた。気温9度。この時期としては。まず恵まれたコンディションだった。 
 6万2千人収容のスタンドが定員いっぱいにぎっしり埋まり、ユーベントスの白と黒、アルヘンチノス・ジュニアーズの赤と青の大きな旗が、いたるところで打ち振られる。絶え間のないホーンの響き、歓声……。
 外国のサッカー場に来ているかのような雰囲気だ。このスタンドのムードのすばらしさもまた、最高の試合を生んだ一つの要素だったといっていいだろう。 
 午後零時1分30秒。アルヘンチノス・ジュニアーズがキックオフ。攻め込んだボールをユーベントスが奪い、左サイドのプラティニに渡す。プラティニが、前方左ラインぞいのオープンスペースヘ走り込むラウドルップに釣り糸を投げかけるようなミドルパス。試合は、プラティニのすばらしい中盤のパスさばきから始まった。
 前半は、アルヘンチノス・ジュニアーズがどんどん攻めた。味方がボールをとると、ほとんど全員が相手陣内に攻め込む。ユーベントスがボールをとると、小柄なコミッソが、体を張って激しくタックルする。 
 だが、ゴール前でのチャンスの数は、ユーベントスの方が多かった。そのチャンスのほとんどが、やはりプラティニから生まれた。
  14分、中央から右へ振ったプラティニのパスにセレナがヘディングで飛び込んだがオフサイド。 
 18分、後方で右ヘプラティニが出したパスから攻め込み、ゴール前でセレナのヘディングが左へ出たが、ラウドルップがダイレクトシュートに失敗。21分、左から回ったセレナのパスに、プラティニが右寄りから走り込んだが、わずかに合わない。 
 27分、後方からのフリーキックをプラティニが長く出し、セレナのヘディングから混戦に。 
 29分、プラティニがバチスタを抜いて突進、さらにドメネッチとオルギンが加わって防ごうとするのをかわして左ヘシュート。主なものだけ拾い出してみても、こんなチャンスをプラティニが作り出している。
 前半の終わりの10分間くらいに、アルヘンチノスも、何度かいい形を作りかけたが、前半はおおむね、プラティニの多彩な才能のお披露目だったといっていい。そして、これは後半の爆発的なサッカーヘのプレリュードだった。

二つの絶妙のパス、二つの幻のゴール 
 後半開始早々に、センターサークル付近のヘディングのせり合いから、こぼれ出たボールを、ラウドルップが拾ってドリブルし、ゴールキーパーをかわして入れたが、これはその前に、オフサイドの笛が鳴っていた。 
 52分にはアルヘンチノス・ジュニアーズに惜しい場面があった。逆襲速攻から左サイドでタテパスがカストロ−ビデラ−ボルギと渡り、ボルギがロングシュートを放ったが、ユーベントスのGKタッコーニがよく捕った。 
 そして55分、南米代表がついに先制点。 
 中盤でボールを拾ったビデラが、すぐに敵の守備ラインの裏側へ浮き球をあげ、そこへ右外側からコミッソ、その内側からエレロスが走り込み、エレロスが、そのまま、ぽんと浮かせて、前に出かかったゴールキーパーの頭を越した。 
 このあと62分に、アルヘンチノス・ジュニアーズに幻のゴールがあった。 
 右サイドからボルギが、1人、2人とかわしてゴールへ突進する。トップスピードで敵を抜きながらも、左から走り寄るエレロスがフリーになったのを見のがさずに絶好のパスを出す。エレロスがそのままシュートすれば貴重な追加点になっただろうが、さらに中央から走り込んだカストロにパスしてシュートさせたために、ボールはゴールを割ったものの僅かなオフサイドをとられた。 
 ユーベントスの同点ゴールは63分。プラティニのペナルティーキックだった。 
 このペナルティーキックは、プラティニが左から逆サイドに振ったパスがセレナに渡り、セレナがそのまま抜け出そうになったところをオルギンが腕でつかんで止めた反則によるものだった。 
 このときプラティニは、ボールを受けるとワントラップしてすぐ逆サイドに振っている。アルヘンチノス・ジュニアーズの先制点のときのビデラのパスと同じように、あらかじめ周りを見て、次のプレーを予測する目の鋭さがすばらしかった。 
 その5分後、68分に、この試合の最大の話題になったプラティニの幻のスーパーゴールがあった。 
 右コーナーキックを敵のバックがヘディングで防ぎ、それを拾ったボニーニが、ゴール前の密集の中にいるプラティニに渡した。 
 プラティニはボールを胸でさばいて振り返り、右足で浮かせて4人の敵をかわし、左足のボレーでゴールヘたたき込んだ。このシュートのときに、前に出ていた選手がいたためにオフサイドとなったが、密集の中でポン、ポン、ポンとボールを宙でさばいたプレーは、文句のつけようのないものだった。

未来を秘めたボルギの才能
 試合はにわかに盛り上がった。 
 この時点で、すでに、この試合がトヨタカップ史上、最高のものであることは疑いなかった。いや、これまで日本で行われたサッカーの試合の中でも、最高のものだった。 
 双方ともにテクニックの限りを尽くし、頭脳をフル回転させ、体力のすべてを注ぎ込もうとしていた。 
 欧州と南米のラテンのサッカーの激突が、世界一のタイトルを争うのに、もっともふさわしいものであることを、双方が証明しようとしていた。 
 75分に、アルヘンチノス・ジュニアーズが勝ち越しのゴールをあげた。 
 アルヘンチノス・ジュニアーズの陣内から逆襲のボールが、ビデラ−ボルギと渡る。 
 はじめは、ゆっくりとボールを持ったボルギだったが、ゴールの方を向くと急に加速して突進しはじめる。 
 追いかけたマンフレドニアがタックルにはいる瞬間に、ボルギは、相手のバックの間を抜けて、その背後に抜ける絶妙のスルーパスを出して、走り込むカストロに合わせた。カストロのシュートは、ゴールキーパーの頭上を越えて逆のサイドいっぱいにはいった。 
 この場面は、攻めの組み立て役としてのボルギの才能を、まざまざと示してくれた。 
 センターフォワードの位置から大きく下がってフリーになり、前があけばゴールへ向かって、まっしぐらに突進し、全速でドリブルしながらも味方の動きを頭の中に入れ、敵のもっとも弱いところに絶妙のラストパスを入れる。62分の幻のゴールのときと同じだった。
 ボルギは、5カ月前に2軍から引き上げられたばかりの選手である。昨年のリーグの得点王だったパスクリをイタリアの「レッチェ」にトレードしたので、その穴埋めだった。
 ところが、1軍にあがると、みるみる才能を発揮し、全国選手権優勝の立て役者になり、南米クラブ選手権リベルタドーレス杯の得点王になり、このトヨタカップ直前のアルゼンチン代表のロサンゼルス、メキシコ(プエブラ)遠征で初めて国の代表になった。 
 足が速く、身長182センチと大きいのに、ボールテクニックがいい、敵を抜いてシュートする才能がある、という評判だった。 
 まったく、その評判通りだったが、さらにこのトヨタカップでは、中盤で周りを見てパスを出す目のすばらしいことを披露してくれた。 
 順調にいけば、5カ月後のワールドカップのあと、世界のスーパースターになる可能性は十分ある。このトヨタカップは、そのスタート台だったといえるかもしれない。


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