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サッカーマガジン 1984年3月号

第63回天皇杯総評
ニューパワーの台頭で日本サッカーに新時代
日産、“攻撃的に”初優勝         (2/2)

マリーニョをめぐって
 攻めに比べると日産の守りには弱点がある。だから守りの強いチームは、日産の攻めを堅い守りでしのいでおいて、チャンスをみて、日産の守りの弱点をつこうとする。相手にそうさせないためには、日産は早めに先取点をあげるといい。相手が反撃に出て、攻め合いになれば、日産の思う壺である。
 準決勝のフジタとの試合は、そんな展開にみえた。日産が16分に木村−金田で先制。リードされたフジタが積極的に攻めに出て、攻め合いになった。フジタの攻めがよく頑張って結果は3−2の1点差だったが、日産ペースの試合だった。もっとも、試合のあとできいたところによると、フジタは、はじめから積極的に攻めに出るつもりだったという。
 この試合では、日産のマリーニョのプレーが目立っていた。中盤でボールを持つことの多いマリーニョに対して、フジタは2人がかり、3人がかりでつぶしに出ていた。それを持ちこたえて、味方に渡すことができたために日産にチャンスができた。
 このマリーニョは、もともとフジタにいた選手である。
 事情があってフジタをやめたとき、表向きは引退ということになっていたが、本人は他のチームでプレーしたがっていた。しかし他のチームに対しても手がまわっていて、マリーニョは移籍できなかった。
 そのために、セルジオ越後のところに身を寄せて、サッカー教室のコーチとして生計を立てていた。
 ほとぼりがさめて、他のチームにはいろうとしたとき、今度は「コーチとして生計を立てていたのはプロだから、すぐに復帰はまかりならん」と横やりがはいった。
 確かに日本サッカー協会には、そんな規則がある。日本独特のつまらない規則である。人材を有効に生かせるように、また、すべての人が「いつでも、どこでも、誰とでも」サッカーを楽しめるように、日本のサッカーでも、移籍の制度、プロ登録の制度を、国際的なものに合わせて欲しいと思う。
 マリーニョは結局、日産が拾って規則通り1年間眠らせたうえで、58年度からプレーヤーとして復帰させた。そして、日産の攻撃を支える貴重な戦力になった。
 マリーニョのようなタイプの選手が日本のサッカーの間から育ってきていないのは、一つの問題点である。
 マリーニョは、ブラジルから来た選手だが、札幌大、フジタと日本での経歴がかなり長い。その戦術的能力の多くは、日本で伸ばしている。
 日本生まれの選手でも、同じように才能を伸ばすことができるはずだが、問題児扱いされる選手は、日本人だと大学や会社チームの中で“飼い殺し”にされるのかもしれない。

ヤンマーに不運があった
 決勝戦のヤンマーは、守りを堅めつつ、相手の守りの弱点をつこうとする作戦だった。守りの方に自信のあるチームとすれば、これは定石である。 
 マリーニョには楚輪がついた。楚輪はヤンマーの攻撃の起点である。それがマリーニョ封じにエネルギーをさけば、攻めにマイナスはあるが、それは覚悟の上だ。 
 ヤンマーの作戦は成功していた。 
 前半は0−0。草木の2本のシュートなどいいチャンスもあった。 
 だがヤンマーには、不運があった。 
 後半にはいって間もなく、金田をマークしていた貴志が負傷して、選手交代をしなければならなくなった。 
 ヤンマーは前半34分に、水沼をマークしていた梶野の負傷ですでに一度、選手交代をしている。したがって、これが最後の選手交代となる。 
 ベンチにいた監督兼任の釜本が登場するとすれば、この機会しかない。 
 53分、午後2時33分に釜本が登場した。そして、その5分後に日産の1点目がはいった。
 ヤンマーのゴールキーパー坪田は、釜本登場の直前、日産の二つのシュートを連続してみごとな守りで防いでいた。58分の木村のむつかしいボールも、よく止めたのだが、体勢が崩れてボールの強さに押され、前へこぼした。それを柱谷に拾われた。 
 2人の負傷がなければ、ヤンマーはもう少し持ちこたえ、残り15分くらいに釜本が登場して、その圧力で勝負に出ることが、できたかもしれない。 
 それが早目に登場しなければならなくなり、しかもその直後に、好守の坪田の手から水がもれたのは実に残念だっただろう。これが釜本邦茂の最後の試合であってほしくない、とぼくは感じた。 
 加茂監督は、
 「今度の優勝には、いろいろ幸運もありました」 
 と話していた。これはもちろん、謙虚さの表れで、運があっても力がなければ勝てないのだが.天皇杯のような勝ち抜き戦では、運も勝つための大きな要素である。 
 相手の大事なプレーヤーが負傷していたり、三菱が富士通に延長戦で負け、その富士通は準々決勝で退場者を出して、日産相手に10人で戦う、というようなことがあった。
 だが、何といっても大きかったのは、日本リーグ優勝の読売クラブが、準々決勝でフジタと引き分け、PK戦で姿を消したことだろう。読売クラブは、日産の攻めを防ぐだけの守りの力を持っていて、しかも攻撃的である。日産にとって、一番の強敵なのに、それが当たる前に消えたのは有利だった。 
 さらに、守りのフジタが、日産との試合では攻めて出てきた。これもついていた。

なぜ改革をしぶるのか
 今回の天皇杯決勝大会の組み合わせでは、日本リーグ上位の読売クラブ、日産、フジタが同じサイドのブロックにはいっていた。これは、前年度の、つまり1年以上前の日本リーグの順位で1部チームをシードしているためである。1年以上たてば、チームの力は大きく変わるのだから、これではシードしても意味がない。
 この不合理は、しばしばサッカーマガジン誌上で指摘したのに、日本サッカー協会が耳を傾けようとしないのは不思議である。
 読売クラブのグーテンドルフ監督も、この不合理にはびっくりしていた。
 「公開抽選会をやって、くじ引きで組み合わせを決めたらどうか。抽選会そのものがマスコミにとり上げられるようにすればPRにもなる」
 というのが、グーテンドルフ氏の意見である。
 決勝大会進出チームを32チームにして、1回戦不戦勝のチームが出ないようにすることも、毎回のように指摘しているが、これも協会は耳を傾けようとしなかった。まことに頑迷というか、無能というか、やる気がないというか――。
 以上の二点については、協会内にもようやく、改めようという声は出はじめているらしい。
 この機会に、これも毎年のように指摘していることだけれど、改めて、ここでもう一つ提案しておきたい。
 それは、元日の天皇杯決勝で国立競技場のスタンドが埋め尽くされるように、観客動員を考え、実行するためのプロジェクトチー厶を、いますぐ作ることである。
 高校選手権の決勝では、同じスタジアムにお客さんがはいり切れないほどになるのに、全日本選手権では、その3分の1ほどしか集まらない。
 これで、日本サッカー協会の役員の皆さんは、恥ずかしくないのだろうか。

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