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サッカーマガジン 1985年2月号

ビバ!! サッカー!! ワイド版

ビバ!大賞84は預りおきで!!
リーグ2連覇の読売クに、今回は中賞を

代表強化は不振だが
森孝慈監督は高価な経験を生かして再スタートせよ!

 ビバサッカー!恒例の「日本サッカー大賞」のときがやってきた。
 「ハッハッハッ! 今回こそ、さすがのお前も、該当者なしだろう。1984年の日本サッカーには、ろくなことがなかったからな」
 例によって、ものを冷ややかに見たがる友人が、あざ笑う。
 この友人のようなタイプの人物は、口では得意げに、あざ笑っていても心の中では、すごく落ち込んでいるものだ。
 1年前の正月には、今度こそ森孝慈監督の率いるわが日本代表が、アジアの強敵を連破して、ロサンゼルス・オリンピックに堂々と出場するものと確信していたくせに、4月のシンガポールでの予選で、どうしようもないくらい惨めな負け方をすると、もう、とたんに世の中まっ暗になって、日本のサッカーには、いいものが何もないように思い込んで、それが現在まで続いている、というわけだ。
 ぼくは、そういうふうには物を見ない。世の中すべて表と裏がある。日本代表が負けて、がっかりだったことは確かだが、その裹には、きっと将来につながるいいこともあったに違いない。すばやく、いいことの方に目をつけて、明るく、楽しく生きたいね。
 日本サッカー協会では、強化の実力者だった平木隆三氏が技術委員長を辞任し、再建のための新技術委員長に長沼健専務理事、副委員長に岡野俊一郎理事が決まった。いまは遠い夢となったメキシコ・オリンピック銅メダルのときの監督、コーチのコンビで、変わりばえはしないけど、まあ、いいだろう。その後の手の打ち方が「すばやく」とはいかないのが気がかりだけれど、お手並拝見である。
 日本代表チームの方は、森孝慈監督の留任でいくらしい。ぼくは、オリンピック予選敗退のあとに、直接の責任者である監督は辞めるのが筋だと主張したが、あれは、あくまで筋道がそうだ、ということであって、当時も書いたように、森孝慈の人物力量に反対しているわけではない。高価な授業料を払って得た経験を生かして、もう1度トライするのならそれも結構だ。
 ただ、将来のために一言付け加えると、日本代表チームの監督は、代表チームで経験を積むのではなく、単独チームの監督として経験を積み、力量を示したうえで、日本代表チームの監督になってもらいたい。
 そういう意味で、日本代表チームのコーチだった花岡英光氏が、フジタの監督になったことに注目したい。代表チームのコーチにふさわしい力量の持ち主だったことを、単独チームで証明してもらいたい、ということもあるけど、指導者として優秀な素材であれば、単独チームで経験を積み、実績を残して欲しいからである。
 話が横の方に行ってしまった。大賞の方に戻ろう。      
 1984年は、ユース代表の方もさんざんだったし、日本サッカー協会の強化部門の方には、残念ながら受賞侯補はないようだ    

敢闘日産、技能杉山隆一                 
釜本サヨナラゲームの推進者には殊勲賞を差し上げる

 目を単独チームの方に転ずれば、わが日本サッカー大賞の候補は、いくつかある。           
  例によって独断と偏見に満ちた友人たちを集めて、選考委員会を開くことにした。
 「単独チームとなれば、これはやはり、V2の読売クラブだよな。既成勢力のあらゆる妨害と偏見に屈することなく、日本リーグで見事に優勝した。これを置いてほかにはない」
 と楽天家の友人。
 「1984年の大賞ということであれば日産も候補じゃないか。84年元日の天皇杯をとったんだから」と慎重派の友人。
 ここまできて、別の友人がハタと気がついた。
 「確か去年は4月号で大賞の選考をしたんじゃなかったか。それで1983-84年のシーズンということで、天皇杯に優勝した日産の加茂周監督に技能賞を出したはずだ」
 そう、そのとおり。前回は監督特集で、大賞に帝京高の古沼監督、殊勲賞に読売クラブの千葉進監督代行、敢闘賞に清水東高の勝沢要監督を選び、さらに釜本邦茂に特別賞を出して引退試合を提唱している。
 それだのに、なぜ今回は天皇杯と高校選手権の結果を待たずに、早目に選考するのか?
 「それはサッカーマガジンの編集長が、今月号はサッカー大賞でやれと命じたからだ」
 と、ぼくが説明した。
 わがサッカー大賞は、賞金も、賞状も、トロフィーも出さずに、勝手気ままに選考し、外部のいかなる権威にもわずらわされることなく、独自の風格を保っているが、ただ、誌面を提供してもらっている関係上、サッカーマガジンの編集長の注文にだけは屈するほかはない。
 それに、この表彰は、何月から何月までなんて、こまかいことは言わないのだ。そのときの都合によって融通自在だ。
 とはいえ天皇杯優勝の日産は、前回の対象になっているので、やはり今回ははずすべきだろう
 「でも、84年の日本リーグで敢闘した日産を表彰するんなら、いいじゃないか。本当は日本リーグも日産が優勝してたんだ。ただ、シーズン中の大事なときに日本代表の日韓定期戦があり、そこで木村和司がけがをした。そのために優勝できなかったんだ。いわば日本代表に優勝を妨害されたようなもんなんだ」
 この友人の発言に、たちまち同情票が集まって、まず日産チームに敢闘賞をやることが決まった。
 「ついでにヤマハの杉山隆一監督に技能賞をやろうや。読売クラブにも日産にも外人選手がいるけど、ヤマハは純国産チームで、最後まで日本リーグの優勝を争った。これはたいしたことだよ」
 賛成、賛成。
 それでは、敢闘、技能が決まったので、殊勲賞を――。
 「これは釜本邦茂のサヨナラゲームを推進して、国立競技場を満員にした黒幕の、某広告大企業にやることにしたい。何しろ、われわれの提言を実現してくれたんだから」とぼく。 
  その大企業は、われわれから表彰されても喜ぶようなところではないので、名前は公表しない。

読売クラブに“中賞”を
大賞のうちの半分は、来シーズン終了後まで預っておく

 さて、いよいよ「日本サッカー大賞」。
 ジャジャーン!
 と鳴物を入れたいところだけれど、どうも今回はドラが響かない。
 というのは、「V2の読売サッカークラブにやるべきだ」ということでみなの心の中は一致しているんだけれど、やはり、あれがひっかかっているようだ。
 「あまりビバでない話を何度も言いたくないけど、あの古河との試合のあとのトラブルは、ひっかかるな。世間がなんというかなあ」
 慎重派の友人が心配した。
 楽天派の友人が反論する。
 「世間ていなどを気にすることはないぞ。よかったものを正当に評価するのが、われわれの方針じゃないか」
 中立派の友人も同調した。
 「そうだな。読売クラブが優勝したとき、読売以外の新聞の報道ぶりは不当に小さかったよ。あのトラブルが響いたんだろうけど、だからといってクラブ組織のチームが2年連続優勝して、日本のスポーツ界に、クラブのスポーツの良さを認識させたという歴史に残る価値を低く見るのはおかしい」
 そういえば、1984年の日本スポーツ賞(読売新聞社制定)のサッカー部門の候補の推薦を、日本サッカー協会は辞退した。
 本来なら、V2の読売クラブを推薦するところだったのだろうけれども、やっぱり、あの件がひっかかり、さりとて読売クラブをさし置いて推薦するだけの候補はない、ということだろう。
 「そういうことなら、なおさら読売クラブに、やりたいね。ほかではやれないようなことをやるのが、わがサッカー大賞のあり方だろう」
 楽天派の友人が、ますます、がんばった。そこで「待て、待て」と、ぼくが割ってはいる。
 「将来になって、日本のサッカーの歴史を振り返れば、クラブ組織のチームの2連覇は、一つの区切りをなす出来事になるだろうと思う。そういう意味で、歴代の日本サッカー大賞受賞者の中に、読売サッカークラブの名前を残しておきたい」
 「そうだ、そうだ」と楽天派。
 「でも、あまり波風を立てたくはないよ」と慎重派。
 ぼくが続ける。
 「しかしだ。黙って読売サッカークラブにグランプリをやると、ビバ!サッカー!では、ああいうトラブルを容認しているのか、と誤解されるおそれがある」
 そこで名案がある。
 「1984年の日本サッカー大賞は読売サッカークラブとする。しかしうち半分は、ビバ!サッカー!において預り置き、とりあえず、日本サッカー中賞とする」
 「なんだ、それは?」
 「来シーズンに、子供たちがお手本にできるような立派なマナーで試合をしたら、預っておいた半分を返して大賞にしよう」
 なにしろ誌面の上で表彰するだけだから、どんなやり方でも自由自在である。


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