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サッカーマガジン 1985年3月号

ビバ!! サッカー!! ワイド版

‘84年度は長崎の当たり年
地方での少年サッカーの底辺拡大の成果

島原商、バンザーイ
多比良、国見中、島原商とつながった長崎県の当たり年

 高校選手権で初優勝した島原商のために、ビバ!すなわちバンザイを三唱したい。
 九州のサッカーに栄光あれ! バンザーイ!
 地方でタレントを育てた少年サッカーに栄えあれ! バンザーイ!
 ゴールキーパーの植村修一君に未来あれ! バンザーイ!
 なぜ植村君だけ個人的に取り上げて、えこひいきするかというと、これには深いわけがある.
 ちょうど1年前の、このページに手違いで、植村君の写真が載ったことがある。ぼくは、原稿の中には個人の名前を書かないように配慮したのに、レイアウトをした人は、そんな心配りには気付かなかったようである。
 こういう手違いは、改めて取り上げると、かえって逆効果なので、やむなく、そのままにしておいたが、1年たったいま、植村君が大会ナンバーワンのゴールキーパーとして活躍し、高校サッカーの優勝旗が関門海峡を渡るという歴史的快挙に大きく貢献したので、こんどは改めて、植村君の晴れがましい写真を大きくこのページに掲載してくれるよう、編集長に要請したしだいである。
 植村君に対しては、今回の栄光にテングになることなく、心豊かなスポーツマンとして成長することを期待するしだいである。
 ことのついでに、島原商のサッカーのために、いま1度、ビバ!三唱したい。
 島原の隣りの国見町の多比良サッカースポーツ少年団バンザーイ!
 同じく国見中学校サッカー部バンザーイ!
 島原商のサッカーを育てた小嶺忠敏先生バンザーイ!
 1984年度に、多比良少年団は全日本少年サッカー大会で準優勝した。
 国見中は全国中学校大会で優勝した。
 そして高校は島原商の初優勝。つまり、この1年は、長崎のサッカーの当たり年だった。
 島原商の選手に、多比良と国見中の出身者がたくさんいるというわけではない。
 しかし島原商の優勝の背景に、多比良や国見中の活躍に象徴されるような、地方での少年サッカーの底辺拡大があることは疑いない。
 小嶺先生については、いまさら説明するまでもないと思うけど、長年にわたって島原商のサッカー部の監督を務め、いまでも選手たちを自宅に合宿させている文字通り、育ての親である。
 国見高に転任になったために、今回から、教え子の堀口雅彦監督に代わったが、島原商の優勝をいちばん喜んだのは小嶺先生だろう。準決勝のあとも、決勝のあとも、涙で目を赤くしていた。
 長崎県のサッカーを盛んにした熱心な指導者は、小嶺先生だけではないだろうけれど、代表して小嶺先生のためにバンザイを唱えるしだいである。
 そして最後に、堀口雅彦新監督にもバンザーイ! 試合後のインタビューの話しっぷりは、筋道が通り、節度があった。高校界に、若い、新しい指導者が、つぎつぎに登場してきているのは頼もしい限りである。

帝京の斉藤君に敢闘賞
読みのいい守りで優勝に貢献したことを評価したい!

 高校サッカー決勝戦のあとで。大会の優秀選手30人が発表された。1人で全試合、全チームを見ることはできないから、その顔ぶれが妥当かどうかを判断することはできないが、手分けして取材した仲間の話を総合したところ、選ばれた選手は、みな優秀選手にふさわしいようだ。
 しかし、この30人以外にも、ぼくたちの印象に残った選手はいる。たとえば、帝京のセンターバックの斉藤勝範選手は、その1人である。帝京の試合は準々決勝から決勝まで3試合見たが、ぼくの見た限り、斉藤君は読みのいい守りでよくピンチを食い止め、チャンスは少なかったが、攻め上がったときにはなかなかいい攻撃的ドリブルを見せていた。
 こういう選手を選ぶときには、各会場に分かれて評価をしている技術委員の先生方のサッカー観が、だいぶ影響するんじゃないかと思う。
 千葉の競技場の記者席で、準々決勝の帝京−北陽の試合を見ていたら近くで2、3人かたまって観戦している先生たちの話が聞こえてきた。
 「帝京のセンターバックはマークが甘いね。相手を離し過ぎる」
 うーんとぼくはうなった。
 ぼくの見たところは、そうではない。
 帝京はサイドバックの守りに弱点があり、相手のウイングからよく攻められた。そのため、帝京の守備ラインの中央を守っている斉藤と岩井の2人は、常にサイドからの突破に対するカバーを心がけていた。
 また、この2人は、一応、岩井がストッパー、斉藤がスイーパーという役割にはなっていたようだが、かなり流動的に役割を交代しながら、カバーし合っていた。
 こういう守り方が好きでなく、守備ラインの4人のうち3人が相手を1人ずつ、きびしくマークし、スイーパーが1人でカバーする守り方を本道だと考える人には、このときの帝京の守りは甘いと映ったのではないだろうか。
 これは、見る立ち場としては、それぞれのサッカー観の問題で、好きずきだとも言えるけれど、試合をする立ち場では、それでうまく守れたかどうかが問題である。
 少なくとも、ぼくの見た帝京の3試合では、うまく守ったように見えた。2、3回戦については、見ていないので何ともいえない。
 帝京は優勝を分けたチームなのだから、優勝に貢献した斉藤君の守りの良さを評価しても良かったと思うにもかかわらず優秀選手にははいらなかったので、例によって、ぼくの独断と偏見をもって、斉藤君には誌上で敢闘賞を贈ることにする。
 千葉の競技場では、習志野高の監督として全国優勝した経歴を持つ西堂就先生が、大会委員として頑張っておられた。
 「もう高校チームも、ゾーンディフェンスの時代だよ。ただやみくもに体当たりしてちゃ、みな抜かれちゃうよ。頭脳で守ることを知らなきゃだめだよ」
 これが帝京の試合を見たあとの西堂先生の意見だった。
 西堂先生が相変わらずお元気で、しかも頭脳柔軟なのは、誠に慶賀の至りで、うれしかった。

PK戦功罪あれこれ
抽選の代わりだから勝っても大喜びしないで欲しい

 今回の高校選手権では、47試合の中に、PK戦が9試合あった。決勝戦も、帝京と島原商の両校優勝だったから、引き分けは10試合である。
 決勝戦が両校優勝になったあと、スタンドから「PK戦をやれっ!」とヤジが飛んでいた。決勝では20分(10分ハーフ)の延長戦があったが「なぜ再延長をやらないのか」という声もあった。
 決勝戦についていえば、理想は引き分け再試合だが、高校選手権で「1週間後にもう1度」というわけにはいかないだろう。
 決勝でもPK戦で結着をつけて、トロフィーの行方を決めることは、最近、ヨーロッパでは、よくやっているが、ぼくの気持としては賛成でき兼ねる。
 サッカーの試合は、フィールド全体でやるもので、延長でも同点だったら、両方優勝の方がいい。PK戦は、次のラウンドに進むチームを決めなければならないために、やむなく行うもので、抽選の代わりに過ぎないと考えたい。
 そういう考えだから、PK戦に勝って大喜びして抱き合ったり、悔やしがって涙を流すのを見ると、ちょっと、にがにがしい思いがする。PK戦の結果よりも、もともとの試合に勝てなかったことの方に、こだわって、ここはぐっと、苦虫をかみつぶしたような顔をするのが男だと思う。
 もっとも、こんなことを言うと、相当に古い、こちこち頭だと思われることは請け合いである。テレビでラグビーの高校選手権を見ていたら引き分け後の抽選の結果で、大喜びしたり、泣き出したりした場面があった。コインの裏表の泣き笑いは、こっけいだと思うが、当人たちにとっては、そうでもないらしい。
 高校サッカーでは、決勝戦以外は延長なしのPK戦になっている。
 これには二つ理由があって、一つは連日のトーナメントであるために高校生の体力を考えてのことだが、もう一つの理由は、テレビ中継だ。
 テレビ中継は一定の時間枠に納まらないと都合が悪い。そこで80分で勝負が決まった試合の場合は、勝利チームの監督とヒーローのインタビューを試合後に放映し、引き分けの場合は、インタビューの中継をやめて、RK戦を画面に載せる、というやり方で処理している。
 この上にさらに、延長後PK戦ということになると、テレビの時間枠はやりくりがつかなくなるわけである。ともあれ、いまではこのやり方が定着してきて、多くのPK戦のやり方を研究してきているチームも多い。
 2回戦の北陽−広島工の試合、0−0のあとPK戦になり、6人目で北陽が勝った。このとき北陽は6人とも1、2年生がけった。
 野々村監督は「練習試合でも、勝敗にかかわらず試合後にPK戦の練習をさせてもらっています。そのときも1、2年生のオーダーです」と話していた。 
 一方、負けた広島工の方は、3番手と6番手に足を痛めている選手を入れ、その2人はともにはずした。
 抽選の代わり、とはいっても、明暗を分けるだけのものが、そこにあったようだ。


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