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サッカーマガジン 1982年8月号

特集 ワールドカップ スペイン’82
始まった29日間の世界のお祭り
波乱含みのスタートに感じた
80年代の新しい才能の登場     (2/2)

アルゼンチンの敗因
 国王の開幕宣言、国際サッカー連盟(FIFA)アベランジェ会長のあいさつなどは、ショーの終わったあと試合の始まるまでのほんの数分の間に押し込められていた。 
 ファン・カルロス国王のスピーチは、短いが、声ほがらかで堂々としていた。しかしスタンドの観衆はほとんど耳を傾けていないようだった。なにしろ、開幕試合のアルゼンチンとベルギーの選手たちがもうフィールドに出てくるのだ。 
 開幕を迎えた町のムードは穏やかで開会式は楽しく美しかったが、試合のほうは波乱だった。前回のチャンピオン、アルゼンチンが敗れたのだ。 
 ベルギーの勝利を幸運だったと見る人もいるだろう。62分、左サイドから上がったロビングは、オフサイドトラップをかけたアルゼンチン守備ラインの裏側におちた。とび出したバンデンベーグはまったくフリーだった。胸でボールをおとす。コントロールが巧妙だったので、アルゼンチンのゴールキーパーのフィジョールはとび出しかけたが、とび出しきれなかった。いつシュートされるかわからないからだ。バンデンベーグのシュートは、難なくネットをゆるがせた。この場面だけを見れば、ベルギーに幸運があったということはできる。アルゼンチンのオフサイドトラップの失敗だが、実際は、オフサイドだったのかもしれない、微妙なケースだった。アルゼンチンの守備の中心であるパサレラは不満そうだった。 
 しかし、どんな勝負も勝つ側に幸運はある。その前にも、また、試合終了の直前にも、ベルギーのチャンスがオフサイドの笛でつぶされる場面があった。記者席からは明らかにオフサイドではないように見えた。試合全体を通してみれば、運、不運はどちらにもついてまわっているのだ。 
 この試合についていえば、アルゼンチンには明らかに敗因があり、ベルギーには明らかに勝因があった。 
 まず、アルゼンチンの敗因をみよう。
 アルゼンチンは、4年前の優勝チームのメンバーがほとんどで、中盤とトップをつなぐ攻めの幹線に若いマラドーナとディアスが加わっていた。 
 アルゼンチンのたのみは、この2人だった。ワールドカップでは、4年前のサッカーはもう通用しない。4年間に、それはあらゆる角度から研究しつくされるからである。 
 したがって、アルゼンチンには何か新しいものをもっていなければならなかった。その新しいものは、若い2人、とくに21歳のマラドーナから生まれるはずだった。 
 ところが、マラドーナは、初めてのワールドカップにひどく神経質になっていた。

挑戦者のベルギー
 アルゼンチンは中盤で徹底的にマラドーナにボールを集めた。始めのうちはマラドーナからの判断のいいパスが、よくチャンスをつくった。 
 やがてベルギーのマラドーナに対するチェックがきびしくなってきた。最初相手に自由にさせておいて、やり方を見てマラドーナが軸だとわかってからチェックにかかる。巧みなやり方である。 
 ベルギーのマラドーナ対策はマンツーマンでしつこくつきまとうというやりかたではなかった。 
 中盤でそれほどつきまといはしないが、必ず2、3人が周辺にいて網をはっている。マラドーナにボールが渡ろうとすると、急にきゅっと網をしぼるように2、3人が寄り、チェックする。反則も多かったが、マラドーナは思うようにパスが出せなくなって、いらだちはじめた。 
 相手が反則覚悟で体当たりをしてくるのだから、アルゼンチンは、フリーキックからゴールを狙わなければならない。実際にゴール正面のフリーキックが何度もあったのだが、あまりいい攻めをつくれなかった。75分、マラドーナのけったのがバーにはね返り、ケンペスが拾ってシュートして右にはずれたのが、惜しい場面だった。
  神経質になっているのは、マラドーナだけではなかった。期待のディアスも不発だった。ベルトーニのミスも目立った。  
 アルゼンチンは、2月中旬から長期のトレーニングをして体調は充分のはずだったが、欧州勢のきびしいチェックに対する感覚を第1戦だけに、充分に思いだせなかったかもしれない。また祖国の友人たちがマルビナス(フォークランド)戦争で戦っていることが、選手たちの心理面に影をおとしていたのかもしれない。  
 戦術的には、オフサイドトラップを使いすぎたことや、中央突破ばかりを狙ってサイドからの攻めの少なかったことを指摘できるだろう。 
 しかし、アルゼンチンの敗因の最大のものは、心理的なものだったように思われた。 
 これに対して、ベルギーは挑戦者の立場だった。チャンピオンのサッカーを充分に研究して対策を立て、落ちついて伸び伸びとたち向かった。ベルギーの選手たちは、欧州勢にしては柔軟な足わざがあり、スピードがあり、若さがあった。 
 中盤のベルコーテルンと右バックのゲレツの積極的な攻め上がり、チェルニアチンスキとバンデルミッセンの判断の早さが目立っていた。 
 今回のベルギーが、1980年欧州選手権2位のサッカーに何か新しいものを加えているかどうかはまだわからない。 
 新しいものをもっていないのであれば、挑戦者の立場で南米勢に挑んだ場合と違って、欧州勢相手ではかえって苦戦するだろう。欧州の中だけなら、この2年間の間に欧州2位のサッカーを充分に研究してくるだろうからだ。

80年代の先がけ
 ムードは静かに、内容は波乱含みで、スタートした大会は1カ月の間にどんな展開を見せるのだろうか。 
 前回のアルゼンチン大会のような熱狂的な盛り上がりになるかどうかはまだわからないけれども、技術的・戦術的に、きわめて高度な戦いになることは充分に予測できる。開幕試合では、欧州勢と南米勢にレベルの差はまったく感じられなかった。 
 テクニックでは南米勢にスピードでは欧州勢にそれぞれやや分のあることには変わりないけれども、ひとつひとつの局面で勝負を決めているのは、中盤のスタープレーヤーの戦術的判断力である。回りをあらかじめ見てフィールド全体の状況を頭の中にいつもいつも入れておいて一瞬のうちに最も鋭い攻めを選択する。そういう才能を天からさずかった若い選手が80年代の世界に何人か続けて出てくる。エスパーニャ82は、その先がけのワールドカップになるのではないだろうか。 
 その一番手のマラドーナは、開幕試合終了の笛がなると、相手選手の握手もユニホーム交換の誘いも振りきるようにしてまっすぐ、フィールドを出た。 
 タッチラインをまたぐときに小さく胸で十字を切ったのは、次の試合での幸連を祈ったのだろうか。

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