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サッカーマガジン 1982年8月号

特集 ワールドカップ スペイン’82
始まった29日間の世界のお祭り
波乱含みのスタートに感じた
80年代の新しい才能の登場     (1/2)

 快適で静かで、本音をいうとちょっともの足りないオープニング。ワールドカップ・スペイン82は、どんな大会として、将来歴史に残ることになるのだろう――。バルセロナのノウ・カンプ・スタジアムでぼくは考えた……。

オープニング・セレモニーの「平和」と王者アルゼンチンの敗因

快適な幕開き、だが……
 南欧の港町にお祭りの日がきた。
 1982年6月13日、スペインの東部、黄金海岸に沿ったカタルーニャ地方の首都バルセロナは快晴だった。「地球をゆるがす」といわれる熱狂のワールドカップ第12回サッカー世界選手権大会の開幕日である。 
 その前の2、3日は日本の梅雨と同じような蒸し暑い日が続いていたが、開幕日はすこぶる快適だった。日差しが強かったが、地中海の風がさわやかに渡った。開会式に出席した盛装のおエラがたには、ありがたかっただろう。ロイヤルボックスには、ファン・カルロス国王、ソフィア王妃、フィリペ王子がこられる。地方の富豪である国際オリンピック委員会(IOC)のサラマンチ会長も出席していた。
 ペレも白い背広にきちっとネクタイをしめて、テレビの解説をしていた。もっとも、記者席のぼくたちは半袖の軽装である。正面スタンドの最上段にいると、吹きぬける風が涼しすぎるほどだった。快適ではあったが、開幕のムードは、これまでの大会に比べるとずいぶん、おとなしかったように思う。開幕日はVIPが出席し、入場料が高くて上層階級しか切符を買えないから、サッカーのイベントにしては、上品なものであるが、今回はまた特別だった。地元の大衆の間から燃え上がる熱気があまり感じられなかった。これからスペインがどんどん勝ち進めば、また違ってくるのだろうか――。
  厚い緑のじゅうたんの上で、華やかにくり広げられる開会式のショーをながめながら考えた。「このワールドカップはどんな大会として歴史に残ることになるのだろうか」と。ワールドカップの歴史を読んでみると、これまでの大会は、それぞれ、独特の性格の大会として浮き彫りにされている。 
 たとえば――。
 1938年のフランス大会は第2次世界大戦直前の暗い影が覆いかぶさっていた大会だった。1954年のスイス大会は、敗戦国の西ドイツが優勝し、奇跡のきっかけになった大会だった。        
 続いて1958年のスウェーデン大会は、ペレが登場してブラジル黄金時代の幕をあけた大会だった。 
 まだ記憶に新しい1978年のアルゼンチン大会は、大衆の熱狂がインフレと軍事政権の圧制を忘れさせた大会だった。
 「エスパーニャ82」は、どうなるのだろうか。 
 全国で1カ月にわたって開かれる大会だから、ひとつの地方都市でひとつの開会式とひとつの開幕試合を見ただけでは、何ともいえないのが本当だろうが………。 

平和をテーマに
 開会式のテーマは「平和」だった。 
 ワールドカップの開会式はセレモニーというよりもショーである。参加チームは、すでに1次リーグの行われる全国の会場都市に散っているから、オリンピックや国民体育大会のような選手の入場行進はない。試合が始まる前の1時間、サッカー場の芝生をいっぱいに使って音楽と踊りとマスゲームが、楽しい祭りの始まりをつげる。
 今度のエスパーニャ82もそれは同じだった。 
 高さ5メートル近くのキングとクィーンの大きな人形が20組。狂言回しになって開会式が始まった。 
 民族舞踊のショーが、くり広げられている最中にファン・カルロス国王が到着される。ショーが一時中断して全員起立して国歌吹奏。終わると、何事もなかったようにまたまたショーが続いていく。形式張らずに、くだけたところが、ワールドカップのよさであり、サッカーのおもしろさである。「平和」のテーマは、ショーの終わりのほうになって表れた。
 数千人の青年たちが白一色のユニホームで登場し、緑の芝生をカンバスに白いハトの絵をかく。このバルセロナで育ったピカソの、有名な「平和のハト」である。
 白い若者たちが大きく左右に割れてサッカーフィールドの両サイドに分かれ、それぞれのフィールドを埋めて相対する。
 ハーフラインのところにあいた両サイドの間の緑のすき間に、スペインのユニホームを着た少年選手が手に白黒のサッカーボールをもって登場、静かに、しかしちょっとひょうきんな足どりで進んでくる。 
  センターサークルの中まできたとき、少年のもっていたボールの中から本物のハトが飛び立ってスタジアムの上空に飛び去っていった。 
  平和は人間の大きな夢である。平和はしばしば、破れて両サイドに分かれての対立をまねく。 
 しかし、サッカーは「世界のスポーツ」として世界のどこの国でも大衆に愛され、対立の間に割ってはいって人びとを結んできた。国際政治の荒波の中では、しばしば小さな少年のように無力に見えたが、最後には雄々しく生き残り、大きく育ってきた。 
 ワールドカップは、そのサッカーの4年に1度の祭典である。 
 開会式のマスゲームは、みごとな伴奏の音楽とともにそんなことを語っているようだった。 
 ちょうど南米大陸の南端では、小さな島をめぐってアルゼンチンとイギリスの間で人間性を無視した戦闘が続き、中東のレバノンではイスラエルとパレスチナの対立が新しい戦争をひきおこしている。 
 そんなときだけに、世界120カ国ヘテレビ中継されたワールドカップ開会式の平和アピールは、心に残るものがあった。  


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