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サッカーマガジン 1982年7月号

ワールドカップ スペイン’82
スーパースターはマラドーナ、
大会はブラジルかアルゼンチン、
南米勢が ジンクスを破って優勝だ!!   (2/2)

欧州対南米の歴史
 角度を変えて、もう一つ、別の見方で大会を展望してみよう。
 スペインのワールドカップの試合は、大会期間中、NHKを通じて、日本に16試合がテレビ中継される。
 1次リーグは6試合が中継される。これは試合のある日のほぼ半分だ。2次リーグ以降は、試合のある日には、必ず中継がある。これは、実にすばらしい。画期的なことだ。NHKの担当者は、お祭りに浮かれることなく、物見遊山の気分にならず、あらかじめしっかり勉強して、見当違いの放送をしないように気合いを入れて、前回をはるかに上まわる、いい中継(アナウンスと解説)をしてもらいたい。 
 それはさておき――。 
 放映予定をみると、好カードの試合は、ほとんど全部含まれている。これも、すばらしい。欧州と南米のトップクラスのサッカーは、ほとんど、日本にいながらにして、見られるわけである。
 ただ、いいチームはすべて紹介される反面、一つのチームを追いかけて見ることは、できない。 
 たとえば、前回優勝のアルゼンチンの試合は、1次リーグでは、開幕試合の対ベルギーだけしかみられない。しかも、開幕試合は、お互いに手の内を隠して様子をみるため、無得点引き分けが続いている。今回もそうであれば、アルゼンチンのいいところは、はじめのうちは、映像では、ほとんど見られないことになる。まして、マラドーナが世界のスーパースターへの階段を一歩一歩あがっていくところを(そうなればの話だが)、刻明に追いかけて見るのは、むずかしい。 
 ワールドカップを徹底的に楽しむ、もっともいい方法は、一つのチームを徹底的に応援し、そのサッカーに入れあげることだ。もちろん、日本が出場していて、どんどん勝ち進んでくれれば、言うことはない。そうであれば、NHKも日本の試合ばかり中継するだろうが、いまのところは。そういうことは夢のまた夢だ。 
 その代わり、といっては、具合が悪いかもしれないが、いろいろな国のサッカーが見られるのは、経済大国でありながら、サッカーの弱い日本なればこそである。 
 そういうわけで、テレビ中継でスペインのワールドカップを楽しむことになると、各国のサッカーのスタイルや戦いぶりの違いを、比べてみること、つまり、技術的、戦術的な見方が、主になるのではないか。そして、技術的、戦術的にワールドカップを見ることになれば、二つの軸を重ねて焦点を合わせることが、どうしても必要である。その二つの軸とは、一つは、地域による各国のサッカーの違いであり、もう一つは、歴史的なサッカーの移り変わりである。
  詳しいことは、専門の本に譲るほかはないけれど、ここで簡単にいえは、1930年にワールドカップが始まったのは、南米のウルグアイのサッカーが、オリンピックで活躍し、それまで南米のサッカーについて、ほとんど、知らなかった欧州を驚かせたのが、動機だった。それ以来、南米と欧州の対決が、ワールドカップの大きな見どころであり、それはいまも変わっていない。 
 そして、欧州と南米の対決を通じて、サッカーの技術と戦術は、どんどん進歩した。ワールドカップは、4年に一度、その進歩の様子を披露する世界サッカー博覧会である。
 1958年、ペレの登場したスウェーデン大会から、世界のサッカーは新しい時代にはいったと、ぼくは考えている。 
 60年代を支配したブラジルのサッカーは、個人技を、スケールの大きいチームプレーに結びつけていた。 
 欧州のチームは、これに対抗して、70年代の前半にかけて、南米の個人技の良さ、攻めの組み立ての柔軟さを取り入れながら、欧州の特微である体力的な強さと激しさを生かそうとした。それが、1974年大会の決勝に出た西ドイツとオランダの二つのタイプに完成された。 
 前回、78年のアルゼンチンは、逆に欧州の強さ、激しさに対抗しながら、個人技を生かすサッカーを作った。相手の守りの密集する中へ、高いスピードで突っこみながら、正確なボールコントロールを失わない攻撃、高速と密集の中の個人技の攻撃が、アルゼンチンの特徴だった。 
 こういう歴史的な流れと、地域的な特徴をからめて、80年代の世界のサッカーを見つけようとするのも、スペイン大会の一つの見方だろうと思う。 

ぼくは南米に賭ける 
 そういう見方からは、ぼくはブラジルに賭けてみたい。 
 ぼくの予想では、2次リーグを勝ち抜いてベスト4に残るのは、アルゼンチン、ブラジル、西ドイツ、スペインである。中でも、ブラジルのベスト4進出の確率は、かなり高いように思う。 
 ブラジルのテレ・サンターナ監督は、今回の代表チームを「夢のチームだ」と言っているそうだ。これは 「理想的に完成されたチーム」という意味ではなく、いろいろな夢を描くことのできる「可能性を秘めたチーム」という意味らしい。 
 その可能性は、中盤のジーコ、トニーニョ・セレーゾ、ソクラテスの奔放なアイデアから生まれてくる。世界一の個人技が、変幻自在な中盤のコンピューターに操られて、高速密集のサッカーに、さらにスケールの大きさを加えた、新しい80年代のサッカーを展開するのではないか。 
 ブラジルでなければ――。
 それはアルゼンチンだ。マラドーナとディアス。3年前、日本で開かれたワールドユースのヒーローだった、この若い2人の攻撃陣が、新しいものを作り出す可能性はある。
 そういえば、3年前のワールドユースのとき、日本のファンの前で活躍したタレントたちが、その後、どのように成長したかを見るのも、楽しみの一つだろう。アルゼンチンのカルデロン、ユーゴスラビアのグデリ、スペインのテンディーリョ、ポーランドのブンツォルなどの名前がみられることだろう。 
 欧州勢はどうか。 
 欧州で開かれる大会は欧州が、南米の大会は南米が優勝するのが、これまでの例だった。1958年スウェーデン大会のブラジルだけが例外だった。だが、今回はもう一つの例外になりそうな気がする。
  南米の人たちにとって、スペインは祖先の国である。言葉は同じ(ブラジルはポルトガル語だが)だし、暖かい気候もなじみやすい。スペインの大衆のサポートも期待できる。今回は、南米チームに不利はない。 
 欧州勢が優勝するとすれば、やはり西ドイツだろう。タフな精神力がものをいった場合だが、ぼくは、いまのところ、欧州勢に期待はしていない。 
 これから1カ月、ぼくは、あえて南米のサッカーに照準を合わせようと思っている。

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