近づくワールドカップ
スペイン地図を広げて、観戦計画を練っているが……。
スペインのワールドカップが近づいてきた。楽しみだなあ。
「アルゼンチンは、イギリスと戦争になりそうだから、ワールドカップに出ないんじゃないか」
なんて、バカなことをいうやつがいる。「ワールドカップがあるから戦争をやめるんじゃないか」と考えるのならわかるけどね。
さて、ぼくは1970年のメキシコ、1974年の西ドイツ、1978年のアルゼンチンに続いて、今回もスペインへ出かけて、あの興奮と陶酔の中に身を置きたいと、目下画策中である。スペインの地図をひろげ、試合日程をにらみながら「できるだけ、たくさん、いい試合を見るには、どうすればよいか」と頭をひねっている。
今回は、出場チームが24に増えた。1次リーグは、6グループに分かれて、13都市で36試合をする。1日に3試合ずつあるし、会場は、日本全土の1.5倍の国土に散在しているから、いいカードだけ拾って見ることは、むずかしい。
サッカー記者仲間で、ぼくと同じようにスペイン行きを画策しているヤツが何人かいる。彼らも、やはり頭をひねっている。
「マドリッドに根拠を定めて、そこから見たい試合の会場ヘ1試合ごとに飛行機で往復するのが、いちばん便利のようだな」
いいアイデアだけど、スペイン国内の飛行機賃だけで数十万円かかりそうで、ちょっと無理である。ぼくも、他の記者も休暇をとって自費で見に行って、できれば新聞に記事を載せてもらいたい、という画策をしているので、徹底的なケチケチ旅行でないとむずかしい。
「安くあげるには、一か所に腰を落ち着けて、安宿に泊まって、一つのグループの試合を追いかける手だね」
それには、西ドイツのいる第2組か、アルゼンチンのいる第3組がいい。一つのグループが2都市の会場を使うが、この第2組と第3組は、2都市の距離が近いので、交通費がかからないからである。
「おれは深夜バスを乗り継いででも、あちこち飛びまわって、いいカードは全部見るぞ。ブラジル対ソ連、イングランド対フランス、アルゼンチン対ハンガリー、スペイン対ユーゴ。みんな見たいね」
そうなると、お金の問題だけでない。自分の体力とも勝負である。
結局、ぼくは、地中海に面したアリカンテという町に腰をすえて、アルゼンチンの試合を中心に見る計画を立てた。
「マラドーナと心中するつもりだよ」
もっとも、これはまだ机上プランだ。スペイン行きのお金を借り、勤務先から40日間にわたるヒマをもらうという難問を、まず解決しなければならない。
アマチュア的な発言
審判にアピールすればトクというのは間違った考えだ
東京・国立競技場の日本リーグ開幕試合は、フジタ工業対読売クラブだった。昨年、優勝の決まった最終戦で、審判の不手ぎわがあった因縁のカードである。
今度は審判も、なかなか良くやった方だと、記者席のぼくはみたのだが、別の意見の人もいたようだ。
フジタの攻めで、左サイドからのライナーの送球が、ペナルティーエリアの中で、読売クラブのディフェンダーの腕に当たってはね返ったが、主審はペナルティーキックをとらなかった。
これは昨年の最終戦で、フジタの選手が高いボールを手でたたき落としたのとは、わけが違う。相手のけったボールが当たったので、主審が「故意でない」として、反則をとらなくても、おかしくはないケースだった。
そのあとに、読売クラブが1点をあげ、結局これが決勝点となった。この得点は、ゴール正面、ペナルティーエリアのすぐ外のフリーキックから生まれたが、このフリーキックの原因になった反則は、フジタのゴールキーパーがボールを前線に投げようとして、ボールを持った手がラインを越したためのハンドリングだった。これは反則をとられるのが当然のプレーである。
ここまでは、いいのだが、試合が終わったあと、読売クラブの某関係者のしゃべった言葉は良くなかった。
「フジタの選手は、何もアピールしなかったんですよ。こっちの場合は(選手が主審に)アピールしたから(相手の反則を)とってくれた」。
この考えは、間違っている。
読売クラブのディフンダーの腕にボールがぶつけられたケースは、かりにフジタの選手が、主審に訴えたとしても、取りあげてもらえなかっただろう。主審は、自分の判断で「故意でない」としたもので、アピールがあったからといって、その判断を変更する理由はない。
一方、フジタのゴールキーパーのライン踏み越しは、選手ががたがた言わなくても、主審はちゃんと笛を吹いただろう(このゴールキーパーは、ラインぎわで危なっかしいことをよくするので、審判にマークされていたらしい形跡がある)。
ともあれ、サッカーでは、競技規則によって、審判に直接アピールすることは禁止されている。アピールがあろうがなかろうが、審判は正しいと思った判断をするし、アピールした選手は警告を受けても、やむを得ない。これが建て前である。
かりに、心の中では(日本の審判はヘボだから、アピールした方がトクなんだ)と思ったとしても、それを公衆(新聞記者)の前で、口に出してしゃべるのは、アマチュアである。
プロならば、自分の発言の社会的影響を考えるはずである。
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