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サッカーマガジン 1978年8月10日号

アルゼンチン・ワールドカップ総評
大衆の“サッカーへの愛情”で大成功を収めたアルゼンチン78

実を結んだ
アルゼンチンの“ひたむきサッカー”  
 (2/2)   

オレンジ旋風の限界
 オランダの決勝進出は、ぼくにとっては意外だった。1次リーグの組み合わせに恵まれていたから、上位に進出するだろうとは思っていたが2次リーグのグループ分けを見た時点では、決勝へ出るのはイタリアだと予想していた。 
 今回のイタリアでは、21歳のセンターフォワード、ロッシがすばらしい。若いホープのナンバーワンだと思う。後方からのパスを受けて突破する力強さもあるし、ふり返りざまシュートする巧さもある。 
 そのほか、ベテガ、カウジオ、ベネッティなど速さと巧さを兼ね備えた選手がそろっている。守りもいいが攻めもいい。チーム全体としては守りと攻めを戦略として使い分ける能力を持っているように思われた。 
 ところが2次リーグの第1戦では。西ドイツに0−0で引き分けた。西ドイツの守りは固かったが、チームの力はイタリアが上だったから、ここは勝っておかなければならないところだったと思う。
  オランダの決勝進出が決まったのは、6月21日にリバープレートで行われたオランダ−イタリアの試合だった。前半はイタリアが積極的に攻めて優勢、前半19分に先取点をあげた。記録上はオランダのフランツの自殺点だが、実質的には、こぼれ球を拾って突進したベテガの得点だったといっていい。 
 ところが後半になるとイタリアは守りにこだわり、逆にオランダが一転して攻めに出て2−1と逆転した。オランダの2点は、ともにロングシュートだった。 
 オランダの戦法は、4年前に“オレンジ旋風”を巻き起こしたときと同じ“トータル・フットボール”である。守りでは、ボールを持っている相手の選手のところに集中的に人数を集めて、しゃにむにボールを奪いとろうとする。そのために生じるあいたスペースへ縦パスを出されたときの対策は、オフサイド・トラップと、ゴールキーパーのヨングブルートの広い守備範囲である。 
 ただ、前回と違って、攻めにまわったときには、クライフがいなかった。ハッペル監督は、その弱点を積極的にカバーするために総攻撃戦法を考えたのではないかと思う。
 前回は、クライフのアイデアで中盤で攻めを組み立て、最後はクライフが前線に攻めあがってとどめを剌した。ポジション・チェンジが激しく、どの選手も前線に出る機会があったから「全員攻撃」のように見えたけれども、実際には、一人が攻めに出れば、一人が守りに下がる“ローテーションのサッカー”だった。だが、今回は総反撃のときには、ほとんど全員が、いっせいに前へ攻めあがった。文字どおりの総攻撃たった。 
 これは一種の“危険な賭け”である。90分間この総攻撃を続けるのは危険が多すぎるから、ハッペル監督は、特定の時間帯に、この総攻撃を指示していたようだ。 
 西ドイツと試合のとき、オランダは後半の終わり近くまで1−2とリードされていた。残り15分近くになってハッペル監督がベンチで立ち上がり、両手を大きく振って総攻撃を指示しているのが、テレビの画面に大映しになった。 
 残り7分に2−2の同点にしたあと、選手たちの間にホッとした気分が流れると、再びハッペル監督が立ち上がって手をふっている場面が映った。「引き分けではダメだ。勝て」という指示のように見えた。 
 この積極的な戦法がオランダを決勝戦に押し進めたことは間違いない。イタリアとの試合でオランダは後半に、この激しい集中守備と総攻撃を展開して成功したのである。 
 しかし、クライフのいない“トータル・サッカー”に、明らかな限界があったのも確かである。決勝までの7試合でオランダは得点15、失点10だった。得点も多いが失点も多すぎる。“危険な賭け”には、やはり危険な部分がある。 
 また、オランダは南米のチームに勝てなかった。1次リーグでペルーと0−0の引き分け、決勝でアルゼンチンに敗れた。 
 もちろん、勝負には運不運があり、決勝戦の後半終了寸前にレンセンブリンクのシュートが左ポストを叩く場面があった。あれがはいっていれば、オランダが優勝している。 
 しかし、結果として、決勝戦でオランダが延長戦に持ち込んだのは、たいしたものではあるけれども、最後にアルゼンチンが勝ったのは順当な結果だと思う。クライフのいないオランダは、ケンペスを持つアルゼンチンに敗れたのである。 
 現代のサッカーは、チームの総合力の勝負だが、それでも最後に勝つのは、傑出した個性と才能を持つ選手がいる側のチームである。 

8万人の大合唱
 3位決定戦では、ブラジルが2−1でイタリアを破った。イタリアはまたも逆転負けである。足首の負傷のため、今回はほとんど出番のなかったブラジルのリベリーノが、最後の25分間だけ出場し、ディルセウの逆転シュートにつながる好パスを出した。中盤でボールを集め、攻めを組み立てるタイプの選手としては、なお世界のナンバーワンである。 
 ブラジルは、16チームの中で、もっとも技術と戦術的能力の高い選手をそろえたチームで、実力ナンバーワンといっても、おかしくはなかった。1次リーグの会場のグラウンドが悪く、負傷者が続出する不運もあったが、上位に出るために術策を使いすぎ、タレントの力を有効に結集できなかったところに、3位に甘んじた原因があると思う。 
 さて、決勝戦は6月25日の日曜日。ブエノスアイレスの空は前日に続いて曇りだった。貴賓席にはビデラ大統領をはじめ軍事評議会の全閣僚がずらりと並んでいたけれども、客席は本当にサッカーが好きな大衆で埋まっていた。25日前の開会式のときに、着飾った上品な家族連れの人たちが多かったのと対照的である。やはり、こちらのほうが、サッカーらしい、ワールドカップらしい雰囲気である。  
 アルゼンチンの選手たちの登場とともに、グラウンドを取り囲む3階建てのスタンドの全部から紙吹雪と紙テープが滝のように舞い落ちる。 
 アルゼンチンの試合のたびに、スタジアムでもテレビでも、もう見慣れた光景だけれども、見るたびにファンタスチックで、すばらしい。  
 決勝戦の試合の内容もすばらしかった。前半はアルゼンチンが総力をあげて攻撃し、38分にケンペスが先制点をあげた。  
 後半はオランダが、得意の集中守備と総攻撃でアルゼンチンを守り一方に追い込んだ。  
  後半36分、ルネ・ファン・デ・ケルクホフの右からのセンタリングをナニンガがヘディングでたたき込んで同点。残り9分を守り切れなかったアルゼンチンの選手たちは、首をうなだれてハーフラインに戻った。  
 このとき、一瞬シーンとなっていたスタンドのあちらこちらから、だれがいい出すともなく「アル・ヘン・チーナ」「「アル・ヘン・チーナ」の叫びが起きた。それはたちまち、8万人の大合唱になった。「くじけるな、起て。君たちには、われわれがついているぞ」――2500万のアルゼンチンの全大衆の声を代表する大合唱だった。  
 決勝戦の中で、これは、もっとも感動的な場面だった。  
 15分ハーフの延長戦。選手たちの体力はもう限界に近くなり、気力の勝負になっていた。アルゼンチンのチームは、大観衆の声援に励まされ、延長前半の15分、ケンペスが密集の中に割ってはいり、2人のスライディングタックルをはずし、ゴールキーパーに当たってこぼれ出たボールをなおも追って執念の決勝点。スタンドの歓喜の爆発は、千の雷鳴が同時にとどろいたようだった。 
 延長後半の9分にも、ケンペスからのパスを受けてベルトーニが3点目を追加した。3−1。アルゼンチンの3点は。いずれもケンペスの強引で、しかも技巧的なドリブルによる密集突破から生まれたものだった。ケンペスは通算6点で大会の得点王になり、同時に最優秀選手にも選ばれたが、これは衆目の一致するところだっただろう。 
 アルゼンチンのチームは、大会の初めから、ひたむきに攻め続ける“攻めのサッカー”で押し通してきた。あまりにも精力的に攻め続けてゆるめるところがないので「これで25日間に7試合を戦い抜けるだろうか」と心配だった。また、相手のゴール正面へ、あくまでも強引に突っ込んでいく攻めが単純過ぎるのではないか、という気もした。 
 しかし、大会が終わってみると、アルゼンチンの術策をもてあそばない“ひたむきのサッカー”が頂上へのルートであったことは明らかだ。術策を使いすぎたブラジルやイタリアは、力を持ちながら、その報いを受けた。 
 いま、ブエノスアイレスから東京へ戻る飛行機の中で、この原稿を書いている。大会の技術や戦術的な内容、あるいは審判上の問題などを分析するには、もう少し時間が必要だろうと思う。ただ「西ドイツ大会に比べて、レベルは低かった」という意見については、ぼくは必ずしも賛成できない。クライフやベッケンバウアーのような円熟したスーパースターの活躍はなかったが、そのかわりケンペスやロッシのような若いスターが台頭している。好試合の数も、前大会に劣らないと思う。  
 西ドイツ、オランダ、ポーランドに注目して、前大会の影を追った人たちは失望したかもしれないが、ワールドカップでは、常に、新しく台頭するものに目を向けなくてはならない。この大会で新しいものを見せようとしたのは、前大会のベスト3ではなく、アルゼンチン、ブラジル、それにイタリアだったのではないだろうか。
  ともあれ、アルゼンチンのワールドカップは、アルゼンチンの優勝によって、一つのスポーツ大会としてこれまでに例の少ない大成功のうちに幕を閉じた。それを支えたのは心からサッカーを愛しているアルゼンチンの大衆の力だった。  
 閉会式のあとで、黄金のFIFAワールドカップをわしづかみにしたパサレラ主将がファンに肩車されてフィールドを一周するのを見たとき、ブエノスアイレスの繁華街が人と車で埋め尽くされ、勝利を祝う「アル・ヘン・チーナ! カンペオン!」の合唱が夜を徹して続くのを聞いたとき、サッカーは大衆のものであり、ワールドカップが大衆の祭典であることを、改めて感じさせられたのだった。

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