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サッカーマガジン 1978年7月25日号

1次リーグを終わって
可能性を示したイタリア、
     だが2次リーグは激戦だ  
  (2/2)   

1次でがんばりすぎた若きアルゼンチン 
 アルゼンチン・ワールドカップの序盤戦を爆発的に盛りあげたのは、地元アルゼンチンのすばらしいスタート・ダッシュと、それを一丸となって熱狂的に声援した大衆のサポートである。残念ながら、ブラジルを追ってマルデルプラタに居すわっていたので、このアルゼンチンの試合ぶりを、ブエノスアイレスのリバープレート競技場で見ることはできなかった。しかし、1次リーグでのアルゼンチンの3試合は全部テレビで見た。アルゼンチンの出る試合は午後7時15分からのナイターである。他の会場の試合は午後1時45分からと午後4時45分からだから、1日に4試合行われるうち、1試合をスタジアムで見て、あと2試合をテレビで見られるわけである。 
 アルゼンチンの第1戦、6月2日のハンガリーとの試合をテレビで見た感じでは、まず中盤での守りの良さが印象的だった。きびしくチェックして相手を追い込み、こぼれ出るボールを他の選手がよく動いてとっている。また攻めは、相手の正面へ、ぐんぐん突っ込んでいって突破しようとし、相手のタックルにあってこぼれ出たボールを他の選手がかけ寄って拾って攻めようとする。要するに動きの激しさが、ブラウン管を通じて感じられた。 
 精神的にも士気の高さはナンバーワンである。開始10分のハンガリーの先取点にたちまち追いつき、なおもしつこく攻め続けて、ついに逆転したあたり、チームが一つになり闘志がほとばしっているようだった。 
 これは当然のことで、地元での開催だから十分な準備をし、体力的にも精神的にもベストの状態で大会に臨んだにちがいない。 
 ただ、この試合ぶりを見て、心配な点を二つ感じた。 
 一つは、激しく攻めているわりに得点になりそうな場面が少ないことである。相手のゴール正面へ向かっての突っ込みが多く、攻めに変化が少ない。前半15分のルーケの同点ゴールはフリーキックからのこぼれに突っ込んだもの。後半39分の決勝点はスローインからの攻めで、これも、こぼれ球への突っ込みだった。 
 このままでは、守りの厚いチームを攻め崩すのは、むずかしいのではないかと思われた。  
 もう一つは、こんなに激しく動くサッカーを、大会の最後まで続けられるものかということがある。優勝するためには、25日間に7試合を戦い抜かなければならない。これは、体力的にも精神的にも、かなりきびしい日程である。だから最初からフルスピードで飛ばしては息切れする。優勝するチームは必ず慎重にスタートし、途中で息を抜くところもつくるものである。途中で息を抜いてもゆるみっぱなしになることかく、締めるところは締められるような余裕のあるチームでなければ優勝はむずかしい。  
 しかし、今回のアルゼンチンは、最初からフルスピードで飛ばしている。地元の国民的な期待が、あまりにも熱狂的で手を抜くわけにはいかない、ということもある。また選手たちの年齢が比較的若いということもある。だが、何よりも1次リーグの第1組は強敵ばかりで、一戦必勝でいくしかなかったのが本当だろう。
 6月6日の第2戦、フランスとの試合はワールドカップの歴史に残る白熱の好試合だった。フランスは中盤でのチェックがきびしく、攻めては足わざのすばやい選手のそろった好チームである。アルゼンチンは、このフランスと中盤で激しく競り合い、後半28分に、ルーケの見事な個人技によるシュートで決勝リーグ進出を決めた。
 1−1の同点だった後半の18分に、バレンシアに代わってアロンソが出場した。アロンソのシュート力でなんとか決勝点をというねらいだったのだろう。ところが、そのアロンソが10分もたたないうちに足を痛めて倒れ、オルティスと交代しなければならなかった。
 28分に2−1とリードしたあと、37分には殊勲の決勝点をあげたルーケが左腕を脱臼して退いた。すでに2回の交代をしているため残りの8分間をアルゼンチンは10人で守り抜かなければならなかった。  
 この試合は、名勝負であり、アルゼンチンにとって貴重な勝利だったけれども、はらった犠牲もまた大きかった。体力と精神力を燃焼させ、重要な戦力を負傷させた。  
 1次リーグ最後のイタリア戦の前に、アルゼンチンのメノッティ監督は、一度選手たちを家庭に帰して休養させている。気分転換をして、精神力のバッテリーに充電しようというねらいだろう。これは地元だからできることである。  
 イタリア戦は、双方とも2次リーグ進出がすでに決まっていたから、息を抜いてもいいところだったが、双方とも、そうはしなかった。  
 アルゼンチンは、この試合に勝ってグループの1位になり、そのままブエノスアイレスに居すわってリバープレートで2次リーグの試合をしたかった。また、双方とも決勝で再び顔を合わせることを想定しただろうから、選手たちへの心理的影響を考えて、ここはむざむざとは負けられないところだっただろう。
 左腕脱臼のルーケを欠くアルゼンチンは、またも懸命にがんばったがイタリアの厚い守りからの逆襲に1−0で敗れた。アルゼンチンは優勝の可能性を持つ強いチームだが、1次リーグ3試合の激闘は、ハンディキャップである。優勝するためには2次リーグでかなりの幸運に恵まれなければならないだろう。 

苦戦している強豪チーム だが2次リーグは混戦だ 
 前回優勝の西ドイツ、2位のオランダ、3位のポーランドは今回の1次リーグでは、やはりテレビで見ただけである。この三つのチームは順当に勝ち上がって2次リーグで見られるだろう、と考えただけでなく前回見たこの三つの国のサッカーに、今回新たにつけ加えられているものはなさそうだ、と思ったからである。 
 テレビで見た限りでは、この予想は間違っていなかったようだ。極端ないい方をすれば、1次リーグのこの三つのチームは「74年大会の影」にすぎなかったのではないかと思う。
 オランダの「トータル・サッカー」は、前回のやり方と同じだった。相手がボールを持っているときは、ボールのあるところに人数を集めてボールを奪う。ボールを奪うと、すぐボールをつないで速攻をかける。あのやり方である。 
 だが今回は、ヨハン・クライフがいない。特に、ゴール前でのクライフの個人的なテクニックがないのは大きなマイナスである。それにミケルス監督の計画的な構想力と実行力に代わるものを、今回のハッペル監督が持っているかどうかも疑問である。 
 オランダ−ペルーの試合に、それがよくあらわれていたように思う。この試合は、形の上ではオランダが攻めているようでも、試合のリズムは7割方ペルーが握っていた。  
 ペルーは、70年メキシコ大会以来のベテラン、クビヤスが攻めの主力である。オランダの集中守備の中を、個人的なドリブルで無理やり突破しようとする。だが1人、2人は抜いても、集中守備の3人目、4人目をかわすことは、個人技では無理だ。これがペルーの点をとれなかった理由である。 
 ペルーの攻めは、このように個人の力に頼るものだから、そんなに人数を要しない。その分だけ、バックに多くの人員を残しておいて厚く守った。ペルーとしては、世界2位のオランダを相手に、まず守りを固めるつもりだったのだろう。オランダは、ボールを奪って速攻をかけてもペルーが厚く網を張って待っているために攻め破れない。そこで中長距離のシュートを外側から打つと、ポジションと読みのいいペルーのゴールキーパーに吸いこまれるように取られるというようなしだいだった。これがオランダの得点できなかった原因だ。結局、0−0の引き分け。クライフなきトータル・サッカーの限界のように思えた、がどうだろう。 
 西ドイツとポーランドも、前回よりマイナスはあってもプラスはないようだった。西ドイツは、開幕試合でポーランドと引き分けたあとフィッシャーとディーター・ミュラーをトップに並べて態勢を立て直そうとしたが、チュニジアと0−0の引き分けである。中盤でパスをまわしても攻めきれず、ドリブルで攻めると鋭さがない。フィッシャーの調子が戻らないのも響いているようだ。 
 チュニジアには、ポーランドも苦戦した。デイナ−ラトをつなぐ得意の逆襲速攻で点をあげたが、それだけである。後半なかば過ぎからは、チュニジアのほうが優勢だった。 
 もっとも、西ドイツ、オランダ、ポーランドに新鮮味がないといっても、2次リーグになれば、やはり手ごわいところを見せるにちがいない。健闘したといっても、チュニジアやイランは、やはり格下である。格下のチームは1次リーグにすべてをかけて勝負してくる。だが優勝をねらうチームは25日間の戦いを構想しながら力を配分している。だから1次リーグの格下の相手との試合ですべてを評価することはできない。 
 結局、1次リーグを3戦全勝でベスト8に勝ち残ったのは、イタリアだけだった。最激戦の第1組でこの成績を残したのだから価値がある。
 ベネッティが攻守の中心で、攻めではベテガの個人技がすばらしい。ハンガリーとの試合の2点目、前半35分にカウジオからのパスを受け、浮き球で2人を抜いてシュートを決めたのは見事だった。アルゼンチンとの試合の決勝点、後半22分のシュー卜も、タランティニのスライディング・タックルの鼻先で一瞬早くけり込んだものだった。トップに立っているロッシのドリブルも速さと技巧がぴたりと合っている点でナンバーワンである。 
 強豪ひしめきあって2次リーグは空前の激闘になりそうだ。だが、どのチームも、それぞれ弱点を抱えている。その中を勝ち抜けるチームは、最終的には個人技のすぐれた選手を、バランスよくそろえているチームではないだろうか。そうだとしたら、イタリアにもっとも可能性がある――マルデルプラタからブエノスアイレスに戻る飛行機の中でそう考えた。

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