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サッカーマガジン 1978年8月10日号

時評 サッカージャーナル

ワールドカップの報道サービス

大規模なプレスセンター
 アルゼンチンまでワールドカップを見に行った友人がいう。
 「アルゼンチンは新聞記者を優遇しすぎるな。あれは行き過ぎだよ」          
 リパープレート・スタジアムで友人の席は正面スタンドだったそうだ。ぼくたち新聞記者の席は裏正面の三階建てになっているスタンドの2階のほとんど全部を占めている。友人のところからみると一般観衆の席は超満員なのに、記者席は、だだっ広くとっていて、しかも空席が目立つ。けしからんというわけだ。
 「しかし新聞記者は、アルゼンチンへ来られない世界の10億のファンに大会の模様を伝える義務を負っているんだからな。ブエノスアイレスまで来て、指定席で試合を見ている人に文句をいわれる筋合いはないよ」
 と、ここは軽くいなしておいた。
 リバープレート・スタジアムでは、75000人収容のスタンドに記者席とラジオ・テレビ用の席を合わせて5000人分とってある。これは地元の記者と世界各国から集まった報道関係者を合わせて、それだけの人数が登録されているからである。せっかくやって来て、開会式や決勝戦を見られないのでは気の毒だから全員の席をとってある。しかし1次リーグ、2次リーグのときには、記者たちは各地の会場に散るから、リバープレートでは空席が目立つわけである。
 もったいないと思うが、うまい解決策も思い浮かばない。
 たしかに、ワールドカップでは報道関係者は優遇されている。席が確保されているだけではなくて市の中心部にあるプレスセンターから競技場への往復には、無料のプレスバスが往復する。かばんやネクタイや記念品をくれたり、試合のない日には、パーティーや遊覧や観劇に招待されたりする。もっとも、実際には、みんなそれぞれ相当に忙しいから、こういうご招待に片っぱしから応じているわけではない。
 ご招待よりも、ぼくたちにとってありがたいのは、立派なプレスセンターが用意され、その中で原稿を書き、タイプを打ち、テレックスで送る設備が整っていることだ。センターの中には、郵便局や電話局や航空会社や銀行の出店もある。たいていのことは、この中で用を足せる。忙しい身には、これはありがたい。
 町に出れば、スペイン語がしゃべれなければ、食事をするくらいならともかく、むずかしい話になれば立ち往生である。しかしプレスセンターの中には、各国語の通訳ができる女性が多勢いて、困っているときには助けてくれる。今回は日本語の通訳はいなったから、ぼくたちは英語で用を足すほかはなかったが、1970年のメキシコ大会のときは、宮本さんというお嬢さんが、ほんの7人の日本記者とカメラマンのために働いてくれた。通訳というより、日本の報道陣のスタッフの一員として働いてくれたのは、非常に助かった。
 こういう大規獏なプレスセンターが設けられるのは、スポーツの大会では、オリンピックとサッカーのワールドカップぐらいのものだろう。国際会議やアメリカ大統領の外国訪問のときなどにも、プレスセンターができるけれども、取材陣の規模からいうと問題にならない。一つのエベントに5000人もの報道陣を集めるのは、サッカーだけである。
 プレスセンターでは、各国選手団の動静や各会場の試合記録や試合後の監督の記者会見の内容などをニューズ・レリーズの形で印刷して配ってくれる。記者会見の英語の翻訳をもらえるのは、こちらの勉強にもなる。

ブラジルの記者会見
 ワールドカップでは、大会当局だけでなく、参加各国チームの報道サービスも、たいしたものである。
 今回は、アルゼンチンやブラジルは。毎日のように練習を公開し記者会見をやっていた。もっとも警備上の問題もあるから、登録されている新聞記者やカメラマンだけに限られている。また、主として自国から同行してきている記者団のためのもので、記者会見にも通訳はつかない。ただ、今回はこういう各チームごとの記者会見の内容も、全部ではないがプレスセンターで配布された。
 カメラマンはともかく、ぼくたちにとっては言葉が通じないと記者会見に出ても、たいして役には立たない。しかし選手や監督の表情くらいは一度見ておこうと、1次リーグの期間中に、ブラジルの練習を見にいった。
 マルデルプラタの町の郊外の、森に囲まれた高級スポーツクラブといった場所で、選手たちが練習をしている。練習の合い間に、あるいは練習を終わって引きあげるときに、新聞記者たちがてんでに選手たちをつかまえてインタビューをしている。すこぶる開放的である。ただし、全部ポルトガル語だから、ぼくには、チンプンカンプンだ。
 このとき、リベリーノは第1戦で痛めた右足首が、丸太のようにはれあがっていた。左の足の甲もボールをけると痛いということだった。したがって練習はしなかったのだが、練習の途中に、トレーニングウェア姿で、足を引きずりながらあらわれた。
 たちまち記者たちが取り囲む。ラジオのアナウンサーがマイクをつきつける。テレビのインタビューがはじまる。それに、それぞれいやな顔ひとつしないでつきあっていた。
 重要な大会の最中で、しかも明らかに負傷しているのだから、部屋に引きこもっていても、言い訳はたつはずなのに、取材を受けるためにわざわざ外に出てきたのに感心した。もっとも350人もの新聞記者がブラジルからついてきているのだから、ちゃんと取材に応じないと、なかには、ひどいことを書くのも、いるのかもしれない。
 それはともあれ、将来、日本でワールドカップを開くとして、一番心配なのは、こういう報道サービスができるかどうかである。いまの日本サッカー協会の能力では、とても無理だとぼくは思う。サッカー協会の国内での報道サービスは、最近、だんだん悪くなっていく一方だからである。


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