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サッカーマガジン 1978年7月10日号

時評 サッカージャーナル

単独チームの強化を

ジャパン・カップに思う
 ジャパン・カップを見ながら考えた。日本のサッカーを強くするためには、代表チームの強化よりも、単独チームのレベルをあげるほうが先ではないかと――。
 そのために、次のようなアイデアは、どうだろう。
 今回のジャパン・カップにはヨーロッパと南米からはプロの単独チームが参加し、アジアからは日本の2チームも含めて各国の選抜チームが参加した。これを全部単独チームにして、たとえば日本も、東日本からフジタエ業、西日本からヤンマーが出場するようにする。そうすれば、フジタやヤンマーが、より高いレベルへの強化の意欲を燃やすのではないか。
 「それは無理だろ。1FCケルンやボルシア・メンヘングラッドバッハを相手にして、日本の単独チームじゃ試合にならんよ」
 たちまち同僚が異議を唱えた。
 「それじゃ、ためしに一つは日本選抜に、もう一つをフジタにしたら?」
 「フジタの主力3人は外人じゃないか。カルバリオやマリーニョにチャンスを与えても、日本のサッカーを強くすることにはつながらないんじゃないの?」
 今度のジャパン・カップもそうだったけれど、外国のプロ・チームを招いて試合するときの大義名分は必ず「日本代表チーム強化のため」となっている。「オリンピック代表候補選手たちに、強い相手との試合の経験を積ませて、レベルアップに役立てたい」というわけである。こんな名目をつけないと、日本体育協会のアマチュア委員長あたりが納得しないんだろう。
 そういう立場からみれば、カルバリオやマリーニョに試合の経験を積ませても、日本代表チームの強化に役立たないから、フジタをジャパン・カップに参加させるのは意味がない。
 だが、そこんところで見方をちょっと変えてもらいたい。日本代表選手を直接強化する前に、選手たちを抱えているチームのレベルアップを大義名分にしてはいけないのだろうかと。
 天皇杯に勝ち、日本リーグに勝ったチームが、ジャパン・カップに出られる――ということになれば、そのチームは、ジャパン・カップで外国チームに勝つことを目標にして努力するにちがいない。
 外人選手は3人に制限されているのだから、チーム全体のレベルをあげるためには、外人だけに頼るわけにはいかない。国内試合で通用するだけでなく、ジャパン・カップの国際試合で使える日本人の選手を、チームで育てようとするだろう。つまり、単独チームに国際試合のチャンスを与えることによって、レベルアップの意欲を剌激し、インターナショナルな選手を育てるように仕向けるわけである。
 それが結局、まわり道のようでも、日本代表チームの強化につながるのではないだろうか。
 ジャパン・カップは、試合ごとに外国チームにはギャラが支払われている。
 金額は秘密にされているが、かりに1次リーグは1試合500万円とすると、どのチームも1500万円もらえるわけである。
 準決勝は1試合1000万円、決勝は3000万円とすれば、最後まで勝ち抜いた場合、5500万円をもらえることになる。
 これを日本の参加チームにも支払うことにする。ギャラだというと、またアマチュア何とかがうるさいだろうが、これは日本のサッカーを強化するための、単独チームへの奨励金である。まあ、強化費補助だと思ってもらいたい。

わきでる井戸を掘ろう
 代表チームを直接強化することだけを考えるのは、サイの河原で石を積むようなものである。一時的に幸運に恵まれて高く積みあげることができても、崩れ落ちればそれっきりだ。もう一度積みあげるのは容易でない。クラーマーさんが育てたメキシコ・オリンピック銅メダル・チームの崩壊が、そのいい例である。
 本当に代表チームを強くしようと思うのなら、一つ一つの石をみがいて積みあげる方式では長続きしない。はじめは少し面倒でも、しっかりした井戸を掘って、こんこんとわき出る水をすくって飲むようにしなければならない。
 しっかりした井戸――というのは、国際的な選手を育てることのできる単独チーム(クラブ)のことである。そういうチームがたくさん出てきて、いい選手を育ててくれれば、代表チームの監督は、それをすくって、飲めばいいわけである。
 極端に単純化していえば、選手を育てるのは、サッカー協会の仕事でもないし、代表チームの監督の仕事でもない。それは、選手をそれぞれ保有している単独チームの仕事である。
 協会は、単独チームがインターナショナルな選手を育てられるように環境づくりをする義務がある。ジャパン・カップに単独チームを参加させよう、というのは。そのための一案である。代表チームの監督は、育てられた選手をすくいあげて、チームをまとめ、国際試合を戦うのが仕事である。
 クラーマーさんが、メキシコの銅メダル・チームをつくったのは、サイの河原の石積み方式だった。これは、クラーマーさんが1961年に日本に来たとき、日本には、こんこんとわき出る井戸がなく、しかも3年後に東京オリンピックが迫っていて、井戸を掘る時間的な余裕がなかったからである。クラーマーさんは、やむをえず石積み方式をとり、危険な賭けに成功したのだった。
 クラーマーさんは、しかし、石積み方式では長続きしないことを知っていた。だから、その後の日本のサッカーを心配して、日本リーグの創設やコーチ制度の確立など「日本のサッカーの構造改革」を提案したのである。
 クラーマーさんの具体的な提案がみな正しいとはぼくは思わない。しかし、東京オリンピック後に日本のサッカーの井戸を掘ろうとしたクラーマーさんの意図を、現状に即した形で生かさなければならないのではないだろうか。


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