ふがいない他のチーム
新風は読売クとヤマハだけ
古河は準々決勝では、日立に3−2の勝ち。3点先取して試合を決めたかにみえながら、最後の7分間で2点を返されて浮き足だったのは危うかったが、あとの試合のために、いい勉強にもなっただろう。
準決勝のフジタ工業との試合は4−0の完勝だった。ここでは動きの量と質のよさが、ディフェンス面によく出ていた。
後半8分の先取点は、清雲のインターセプトからである。奥寺−永井と縦に渡って、永井かゴールに背を向け、相手のバックを引きつけながら、右サイドを攻め上がった木口に短く渡してシュートさせた。この得点は、古河の若い選手たちの個性的なセンスが、チームプレーに結びついた典型だったように思われる。この1点でフジタは、がっくり、となった。
35分の2点目は永井の個人技から。これもゴールに背を向けてバックを引きつけ、中盤左寄りからの田辺の浮き球のパスを受けると、自分の左側にボールをまわし、すばやくまわり込んでシュートした。才能をもった選手が、自分で工夫した得意のプレーを、のびのびと出せるところに、いまの古河のよさがある。
39分の3点目は木口のインターセプトから川本、43分の4点目は永井のパスを川本が決めた。
試合が終わってから、フジタの石井監督はつぎのようにいっていた。「古河のディフェンスが、よく間合いをつめて、カルバリオやマリーニョにボールをもたせてくれなかった。完敗でした」
これで古河は、優勝へ勢いにのった。
どの試合をみても、古河の攻めには、先に述べた「ちょっとしたドリブル」の織り込み方のうまさが目についた。またスローインやコーナーキックからのセットプレーも、よくゴールに結びついている。
チームの得点王である川本を、準々決勝と準決勝では後半から使って点を取らせ、決勝では最初から使って勝負をかけた。この作戦もあざやかに当たった。
いま各チームに、いわゆる“クラーマー以後”の監督、コーチたちがつぎつぎに登場している。そういう若手のコーチ陣のレースの中で、古河の鎌田監督はトップをきっている。そのことが証明されたのも、今回の天皇杯の一つの意味である。
古河以外のチームはふがいなかった。
ヤンマーが決勝に出られたのは、組み合わせに恵まれたのと、鬼武監督の精いっぱいの努力の結果である。決勝戦では、それまでバックラインで使っていたジョージ小林を中盤に上げたが、これは「まともにいっては勝てない」とみての一つの賭けだっただろうと思う。しかし、それが裏目に出て、バックラインの乱れが直接、敗因につながった。
日立はスコアの上では、まずまずの成績だったが、よさは出せなかった。三菱は2回戦で早大に勝った試合ぶりをみて、ダメだと思った。手なれたコーナーキックからのプレーで、やっと1点を取ったものの、内容は押されっぱなしだった。ベテランの森と細谷の経験と頭脳に頼りっぱなしになっている。これではなんとか勝負にもち込むことはできても勝ち抜くことは、むずかしい。
ベスト8は、5年連続で、またも日本リーグ1部チームばかりだった。波乱が売り物のはずの“カップ戦”の特色は、まだ日本では出てきていない。
わずかに新風を吹き込んだのは、読売クラブとヤマハである。
杉山隆一監督の率いる静岡のヤマハ発動機は、来季から東海リーグに上がるが、1回戦で日大を破り、2回戦で日本リーグ1部の新日鉄と引き分けた。PK戦でベスト8入りをのがしたけれども、この成績はヤマハが「なにか」をもっているチームであることを示している。
日本リーグ2部の読売クラブは、1回戦で1部チームの日本鋼管を3−1で破った。試合内容は一方的といっていいくらいで、ジョージ与那城の最短距離を直線的に抜くドリブルが、あざやかに効果を発揮した。この与那城の突破をくいとめるために、鋼管の藤島はタイミングの遅れた反則を繰り返したが、どちらが上位チー厶だかわからなかった。
ヤマハにせよ、読売クラブにせよ、これまでの日本のサッカーの考え方とは違う、新しい形のチームづくりをしているところである。まだトップクラスの選手はいないが、一人ひとりの個性を伸ばし、個性を生かすようなプレーをしている。
そういうチー厶が、まがりなりにも成果をあげてきたことを、1部のチームや大学のトップクラスに考えてみてほしいと思う。
観客数はふえたけれど
まだまだ努力の余地はある
最後に、毎年のことながら、天皇杯の運営面についてふれておこう。
元日の決勝戦のスタンドは、昨年よりも1万人多かった。日本髪の着かざったお嬢さんや初もうで帰りの破魔矢を持った若者の姿が目をひくのは、もうすっかり定着した新春のスタンド風景である。
それに今年は、有名なメーカーのトレーニング・ウェアやヤッケを着た少年たちが特に多かった。これは天皇杯決勝戦の前に、午前11時半から同じ競技場で行われた高校選手権開会式の影響である。午前11時半までに入場した小学生は特に無料にしたからである。
しかし――。
まだまだ、お客さんの数は少ないと思う。「元日の天皇杯決勝で、7万人の国立競技場のスタンドを満員にしよう」と書いたのは、何年前のことだっただろうか。
日本のサッカーの底辺の広がりを考えれば、この夢はほんとうは今年あたり実現していなければならないはずだ。「天皇杯決勝戦の入場券は、10月ごろから売り出してみたらどうかね」
どんどんふくらんでいくスタンドを見上げながら、こう考えた。
元日がお天気になるかどうかは、あらかじめわからないのだから、前売券を大量にさばくのは、無理だろう。大部分のファンは、当日の天候を見て、スタンドに行くか、茶の間でテレビを見るかを決めるにちがいない。
しかし、メーンスタンドの屋根のある部分の切符を、たとえば5000枚のうち半分の2500枚をプレイガイドに出し、2500枚を加盟チームや後援会を通じて買ってもらう。それ以外の席の切符も、同じように東京近辺の加盟チームには、あらかじめ配布して、できるだけ買ってもらう。このようなアイデアはどうだろうか、と思うわけである。
元日から7万人のスタンドがあふれんばかりになったら、マスコミのサッカーに対する扱いは、がらりと変わってくると思うのだが、どうだろう。
こういうことを考えたのは、今年から首都圏開催になった高校選手権大会で、観客動員のために関係者が猛烈な努力をし、その成果があったのを見たからである。その話は、いずれあらためて紹介することにして天皇杯決勝でも同じような努力をしてみたらどうだろうか。
決勝大会の出場チームを、32チームにふやすことなど、懸案の問題も、まだまだ、たくさんある。
こういうことを専門に考えて、実行するために、日本サッカー協会の専門委員会の一つとして天皇杯委員会をつくるべきではないだろうかと思う。
イングランドの協会にも、FAカップ委員会があるし、FIFAにはワールドカップ委員会がある。
日本サッカー協会にとっては、天皇杯はもっとも大切な、最高の競技会であることを、制度の上でも示すことは、なかなか大事なことではないかと思う。
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