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サッカーマガジン 1976年11月25日号

静かに動き出した
      日本サッカーの大改造
     (2/2)   

3 1億円の赤字をどう解消したら良いか
  日本サッカー後援会の発足と協会財政の基盤作り


 東京霞ヶ関の三井ビル内にあるちょっと豪華なクラブの一室で、10月13日に「日本サッカー後援会」が発足した。 
 発起人は次の七氏である。 
 山下勇(三井造船社長)、玉井操(玉井商船社長)、竹腰重丸(元日本サッカー協会理 事長)、大谷一二(東洋紡社長)、種田孝一(住友金属副社長)、田中昌司(渋沢倉庫社長)、密田博孝(大協石油会長) 
 そして、後援会の会長には、東京高師付属中学(現在の教育大付属高)と旧制浦和高のサッカーOBである山下勇氏が選ばれ、理事長に日本サッカーリーグの評議員だったことのある三菱重工の島田秀夫氏が就任した。 
 日本サッカー後援会の仕事は「日本のサッカーの普及と強化に、物心両面の援助をすること」だという。しかし緊急にしなければならないのは、慢性の赤字に悩んでいる財団法人日本サッカー協会のために、お金を集めてやることに違いない。そのために、財界を中心に、各界のサッカーOBとファンの力を集めようというわけである。 
 法人は1口5万円、個人は1口1万円の年会費で、年間に1億2000万円を目標にしたいと、発起人会のあとの記者会見で説明があった。 
 協会は、いま約1億1000万円の赤字にあえいでいる。銀行から借りているのが3000万円、航空会社などへの未払金が8000万円ということである。 
 「サッカーの人気が落ちたから赤字が増えたのか」とよくいわれる。だが、実際には逆のようだ。 
 サッカーが盛んになった。チーム数が激増した。それだけ協会のやらなくてはならない仕事がふえる。コーチや審判の研修会が必要になる。代表チームのレベルも上がった。それを維持するためには海外遠征のチャンスをのがせない。ファンの目もこえている。外国のギャラの高いチームを招かないと観衆が集まらない。 
 そういう事情が積み重なって出費がふえていくのが実情のようだ。  
 それでは、どうすればよいのか。  
 長沼専務理事は、協会の財政の立て直しを次の三つの柱でやろうとしている。
  @会を構成している人たちの自己負担。つまり選手たちの個人登録費。  
  A国際試合の収入。
  B日本サッカー後援会からの援助。  
  第一の個人登録制については、前に説明したとおりである。  
 現在の協会の加盟費収入は年間約800万円。事務費の4分の1にしかならない。ほかの収入からの埋め合わせで、全国のサッカーのために仕事が行われているわけだが、まず、自分たちのための費用は、自分たちで負担するつもりがなければ、ほかの援助を求めることはできないだろう。  
 第二の国際試合の収入は、いまの協会の大きな財源である。  
 しかし、入場料収入は雨にたたられると大きく落ち込むから、逆に大きな赤字のもとにもなりかねない。それに日本の国際試合は、無報酬で、会社を休んで出場する日本代表チームの犠牲の上に成り立っている。したがって、この収入はまずなによりも、日本代表チームの合宿や海外遠征の費用にあてられるべきものである。 
 以上の@とAの収入だけでは、協会の財政をまかないきれないことは明らかである。 
 まず、個人登録の会費を、ユース以下の若い、収入のない選手から取り立てるには、むずかしい問題があり、とるにしてもカード代の実費程度になるだろうから、その分をおとなが理めてやらなければならないからである。 
 また、日本代表チームの強化費にしても、日本の現状では、国際試合の収入では間に合わないのが当然である。 
 というのは、外国からチームを招くときは航空運賃や1試合当たり何百万円ものギャラを日本側が負担しなければならないのに対し、日本代表チームがヨーロッパや南米に出かけるときは、航空運賃はこっち持ちで、向こうからは現地経費程度の金額しか受けとれないのが、ふつうだからだ。 
 このような経費の不足分を、サッカーのOBや熱意のある愛好者が出し合い、若い少年たちのサッカーを育成し、国際的なトップレベルにはまだ差のある日本代表チームを強化しよう――というのが、第三の日本サッカー後援会の趣旨でなければならない。 
 この財政立て直しの三本柱がうまくいくかどうかは、日本のサッカー改造計画のカギでもある。     

4 日本代表チームを強くするために
  二宮全日本を支える新しい技術員会

 登録制度の改革や財政の立て直しとともに、協会組織の改編も進められている。 
 たとえば、協会理事会の下でいろいろな仕事をする委員会を作り直すことなどである。 
 ここでは、その中で多くの人たちがいちばん興味をもっていると思われる技術委員会について紹介しよう。 
 今年の春までの技術委員会は、日本代表チームを編成し、強化することが主な仕事で、代表チームの長沼健監督が委員長であり、同時に協会理事だった。つまり、技術委員長は行政官とコーチを兼ねていた。プロ野球の球団にたとえると、ベンチで実戦の指揮をとる監督が、球団を経営するフロントを兼ねているようなものだった。
 新しい技術委員会は、ちょっと、ようすが違うらしい。技術委員長には、今年の春に長沼新体制がスタートしたとき、岡野俊一郎氏が就任している。岡野委員長は、同時に、協会の理事でもある。 
 岡野委員長の下で、新しい技術委員会は「指導部」と「強化部」の二つに分かれる。 
 「指導部」は、日本のサッカー全体のレベルアップについて、意見を出しあい、必要な仕事をするセクションのようだ。コーチの研修会、公認コーチ制度などは、指導部の担当になるだろう。 
 指導部は、すでにメンバーも決まって、第1回の会合を開いている。前日本代表チーム・コーチの平木隆三氏を部長に、日本リーグから日立の高橋英辰監督、フジタの下村幸男総監督、高校の指導者の中から浦和南高の松本暁司監督、少年サッカーの指導者の代表として静岡県清水市で活躍しておられる堀田哲爾先生が加わっている。 
 さて、日本代表チームのほうは「強化部」の担当になる。強化部長は当然、日本代表チーム監督の二宮寛氏である。強化部は、ユース、ジュニアを含めて“日本代表”と名のつくチームの編成、強化だけを扱おうという方針である。 
 今季はすでにユースを松本育夫氏(東洋工業監督)、ジュニアに当たる大学選抜を鎌田光夫氏(古河電工監督)が率いて海外遠征をしている。したがって、この2人は当然、現在の強化部のスタッフとして考えられる。このほかに、たとえば関西地域を担当するメンバーが加えられることになるようだ。 
 しかし、二宮監督は「強化部のスタッフはごく少数でいい」といっている。 
 日本代表チームについては、二宮監督が自分で陣頭に立って指揮をとる。選手の選び方も任せてもらう。もちろんほかの人たちの意見を聞き、協力も求めなければならないだろうが、それは、そのときどきで指導部のスタッフを含め、あるいは必要な場合には外部の人にも加わってもらって考えたい。しかし「合議制」ではない。あくまでも最終的な責任と権限は、日本代表チームに関しては、自分にもたせてもらう――二宮監督は、こういうふうに考えている。 
 イングランドのレビーや西ドイツのシェーンがそうであるように、二宮監督は日本代表チームを協会から任され、協会に対して責任を負う、という姿勢のようである。そうであれば、協会側の技術委員会担当理事である岡野技術委員長は、二宮監督に必要な選手を提供し、適切なトレーニング期間を準備してやる義務があるだろう。
  一方、二宮監督が十分に責任を果たせないようであれば、協会は技術委員長の意見を聞いて監督を解任することもできる。 
 そんな極端なケースは、日本では起きそうにはないけれども、責任体制が明確になったのは前進といえるだろう。 
 これまでの体制では、行政官と現場の区別が明らかでなく、権限も任務もあいまいな技術委員が、なんとなく名前を並べていた。 
 新しい体制では、二宮監督がみずから、そのあいまいさを払いのけ、さっそうと自分自身の責任をはっきりさせている。 
 以上のような改革は、見る人によっては、ほんのちょっとした手直しに過ぎないかもしれない。長沼専務理事は現実を忘れずに、できることから実行していくというステップ・バイ・ステップの方針だという。 
 だが、改革の量よりも、その方向に注目すべきではないだろうか。 
 学校や企業中心のスポーツから大衆のスポーツへ。 
 中央依存の運営から、自分のことは自分で責任をもつ自主的な分権へ。 
 あいまいな、なれ合い体制から、責任と権限の明確な近代的組織へ。
 小さくても、これが前向きの第一歩になることを期待したい。 

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