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サッカーマガジン 1974年8月号

完全現地取材! 衝撃のワールドカップ ’74大特集
幕開いた世界の大衆のお祭りワールドカップ!!
1次リーグ総まくり
WM’74の熱狂を現地に追う!!      (3/3)   

4 東欧の台頭――速攻時代が来るのか?
 西ドイツを破った東ドイツの1点は、見事な逆襲の速攻である。右サイド後方からハマンのあげた縦パスに、左サイド寄りからシュパルワッサーが走り込み、ワン・タッチで相手バック1人をかわし、さらに守備網の中に割って入ってすばやい足わざで1人を抜き、カバーしたフォクツのタックルをかわし、飛び出したゴールキーパーの脇の下をついてシュートを決めたものだった。
 固い守備からの逆襲の速攻は、それまでにも、しばしば東ドイツがねらっていたものだけに、この1点をラッキーだったということはできない。これは最初から東ドイツが意図していたサッカーだった。
 同じようなサッカーを、1次リーグでもっと完全にやり遂げてみせたのは、第4グループのポーランドである。
 ポーランドは6月15日シュツッツガルトの第1戦でまずアルゼンチンを破った。最初の15分間にポーランドが早ばやと2点を取りアルゼンチンが追いかけたが、ポーランドは追いつかれそうになるとまた引き離し3−2で勝った。
 この試合はハノーバーでウルグアイ−オランダ戦を見たあと、競技場近くのプレスセンターでテレビ観戦したのだが、テレビで見た限りでも、ポーランドの速攻は素晴らしかった。
 中盤からのパスを、タッチラインぞいに走りながら片足をあげて空中で受け、そのままコントロールして、ほとんどスピードを落とさずに走り抜ける。あるいは相手のバックの間に割り込んでスルーパスを受け、ワンタッチでコントロールしてシュートする。そのスピードと、速さの頂点で発揮される足わざのみごとさが、テレビでも分かった。
 ポーランドは、そのあと第2戦でハイチに7−0で大勝し、6月23日にシュツッツガルトでイタリアと対戦した。この試合には優勝候補イタリアの2次リーグ進出がかかっていたから、ハンブルクで東西ドイツの対決を見た翌日、急行列車を乗り継いで8時間がかりで駆けつけた。
 イタリアにとっては絶対に負けられない試合であり、シュツッツガルトはドイツ南部で比較的イタリアに近いから、ネッカー・スタジアムは、イタリア人応援団の歓声で耳が破れんばかりである。圧倒的な“イタリア・ムード”の、しかもポーランドはすでに2次リーグ進出を決定している立場だったが、ポーランドは鋭い速攻の手をゆるめなかった。
 実際にポーランドのプレーぶりを見て特に気がついたのは、サイドチェンジの長いパスを有効に駆使し、しかも、それが速攻に結びついていることである。相手のボールを奪う。同じサイドでの短い縦パス、あるいはちょっとしたドリブル。相手が速攻に備えて、そのサイド目ざして戻りかけたときに逆サイドヘクロスに送る。オープン・スペースに走り込んだ味方が、走りながらコントロールしてすぐロングシュート。そんな場面が何度かあった。
 逆サイドヘ大きなパスを正確にすばやく送るキック力と、攻守の切り換えを早くして疾走できる体力、機敏なボールコントロールと鍛えぬかれたシュート力――そういった総合的な体力と技術が一体となって、ポーランドの速攻戦術を作り上げている。
 ポーランドは、この試合に2−1で勝ち、1次リーグでただ一つ3戦全勝の成績を残した。イングランドとの予選を勝ち抜いたのが単なる幸運でなかったことを、このワールドカップの立派な成績が証明している。
 幅広く組織された底辺の中からスピードのある素材を選び抜き、鍛え抜いて作り出した速攻のサッカー。それがポーランドや東ドイツの今回のサッカーである。社会主義の東欧のサッカーが、オリンピックだけでなく、ワールドカップで、西側のプロフェッショナルを脅やかす時代になったのだろうか?
 これは、次のワールドカップまでの4年間の大きなテーマになりそうだ。

5 2次リーグヘ――地域的バランス
 イタリアはポーランドに敗れて1次リーグで姿を消した。イタリア−ポーランド戦は、1次リーグの名勝負の一つであり、イタリアのマッツォーラを中心とする戦いぶりも、すばらしかった。しかしリーバとリベラを負傷で欠いた不運もあり、こういう大会の常として、力のあるチームがはやばやと消え去ることは、珍しいことではない。
 6月13日に開幕して、23日までの11日間に、1次リーグの24試合が終わった。参加16チームを4グループに分けてのリーグ戦で、ベスト8の2次リーグに残ったのは、西ヨーロッパ3、東ヨーロッパ3、南米2となって、結果的にはほぼ地域的なバランスのとれた組み合わせになった。
 しかし、1次リーグの内容を見ると、南米勢特に前回のチャンピオン、ブラジルの退潮が目立っている。
 ブラジルは第1戦の対ユーゴ、第1戦の対スコットランドともに無得点の引き分けだった。スコットランドとユーゴも引き分けて、第2グループの4チームのうち、ザイールを除く3チームの対戦がみな引き分けになり、結局、ザイールに対して、いかに多くの得点をあげたかによって順位が決まった。
 スコットランドは、第1戦でザイールと当たり、2点しかあげられなかったのが不運だった。初出場のザイールのようなチームは、全力をつくして強敵にぶつかってみるほかはないから、第1戦がすべである。ユーゴは、第1戦で力を出し尽くしたザイールから9点をもぎとって、楽にグループのトップに立った。
 ブラジルは、最後にザイールに当たりながら、2次リーグ進出にぎりぎり必要な3点しかとれなかった。終了11分前に、やっと3点目をあげ、抱き合って喜んでいる写真が新聞にのっていたが、世界に名をとどろかせたブラジルのサッカーの戦いぶりとしては情ない。ペレを失った痛手は、それほどにも大きいのだろうか。
 アルゼンチンは、イタリアと同勝ち点で、得失点差によって2次リーグヘ出た。この第4グループでも初出場のハイチからの得点の多少が大きく響いた。
 第3グループでトップになったオランダは、クライフの華やかな活躍が注目の的だった。ペレの去ったあと、世界のサッカーの中心スターの座は、スペインのバルセロナでプレーしているこの27歳のタレントが占めることになるかも知れない。
 オランダ・チームが記者たちに配ったプレスガイドには「テクニック、スピード、決定的シュート力および判断力の点で、無限の可能性を持つ」プレーヤーであると解説してあったが、1次リーグでのプレーぶりは、まったく、その通りだった。
 このグループでは、ウルグアイの目をおおうばかりの不振で、スウェーデンがオランダに次いで2次リーグに出た。
 しかし、1次リーグのスコアだけをみて、南米のサッカーの時代が去り、ヨーロッパの時代が来たと速断するのは間違っている。ブラジルは、いぜんとして個人のテクニックでは世界一であり、アルゼンチンの攻撃的サッカーには新しい魅力がある。次回のワールドカップ開催国はアルゼンチンだけに、今後のアルゼンチンのナショナル・チーム強化は、世界のサッカーの動向に大きな影響を与えるに違いない。
 比較的弱いと見られていたチームの中で、日本と同じ予選地域から出たオーストラリアは、すばらしい進歩を見せていた。北中米代表のハイチとアフリカ代表のザイールは、コーナーキックなどに対する守備がまったくできていなかったために、大会の興味をそぐような負けっぷりも見せたが、1人1人の選手の才能には無限の可能性を秘めていた。
 将来、世界のサッカーは、地域的バランスをとりつつ発展させなければならないし、その可能性は1次リーグの24試合からだけでも、十分に読みとれた。日本のサッカーだけが、取り残されることのないように――これはワールドカップの渦のさ中にいて、痛切に胸をさす思いである。

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