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サッカーマガジン 1974年5月号

特別座談会
朝鮮の4.25チームを迎えて       (3/4)    

クラブの組織
岡野 ちょっと妙なことを、お聞きしたいんだけれど、皆さんが日本に来られている間の給与はどうなっているんですか。

リ・チャンソン監督 わが国では、キム・イルソン主席のスポーツや文化に対する配慮によって、職場で働きながらスポーツができるようになっています。スポーツをするために給与を削られるようなことはありません。

リ・ハンボク責任指導員 わが国の社会制度では、働いている者には年に1ヵ月の有給休暇があります。遠征に出ている間の生活を心配する必要はありません。

岡野 もう一つ、ピョンヤン4.25チームは昨年、国内リーグでチャンピオンだったのですか。

リ・ハンボク責任指導員 この前のシーズン(1973年秋)に優勝しました。春のシーズンは、東南アジアに行っていたので国内のリーグには出場できませんでした。

岡野 優勝したときの戦績は?

リ・ハンボク責任指導員 1部リーグ15チームで総当たりをして10勝2引き分け2敗でした。

岡野 その2敗の相手は何というチームですか。

リ・チャンソン監督
 「2・8クラブ」と「アムロッカン(鴨緑江)」の両チームに敗れました。

長沼 「4.25」に勝つチームがあるの?それは困ったなあ(笑い)。

リ・ハンボク責任指導員 国内の試合は なかなか激しいものです。勝つためには相当のことをやらなければなりません。

岡野 パク・ドイク・コーチに聞きたいんだけれど、素質のある選手をどうやって集めるんですか?

パク・ドイク指導員 コーチが、このようなサッカーをしたいと思えば、それに合うような選手たちを使うわけですが、一級の選手たちは、二級、三級から上がってくるのです。一、二級になれば、よそのクラブに移ることは、ほとんどありません。

牛木 クラブで技術的な指導はパク・ドイク・コーチが責任を持ってやっているわけですね。

リ・ハンボク責任指導員 そうです。それでクラブの選手たちは、パク・ドイク指導員の真似をして似たようなタイプの選手が多くなっています。キム・ジョンミン、ホワン・ソンナム、ヤン・ソングクなどは、パク・ドイウク・コーチのタイプです。

リーチャンソン監督 クラブの組織をすこしくわしく説明しますと「4.25クラブ」には200人余りの選手がいて、年齢別、技術別に一級から四級までに分かれてチームを作っています。一、二級の選手は事務員、労働者が多く、四級は主に生徒です。「4.25クラブ」の任務は二つあって、一つは自分のチームを強くすること、もう一つは良い選手を育てることです。

岡野 どの選手が、どのクラブに入るかはどのようにして決めるんですか。

リ・ハンボク責任指導員 三、四級に入るのは本人の希望です。生徒は放課後に練習に来るわけですから、近くのクラブに入ることになります。
牛木 地域別のクラブというわけだね。

パク・ドイク指導員 でも少年たちに人気のあるのは「4.25」「2・8」「アムロッカン」「機関車」「ピョンヤン市」などのクラブです。

リ・ハンボク責任指導員 それは青少年がどうしても強いチームにあこがれるからですね。

牛木 パク・ドイクコーチには、ぼくは1972年の10月にピョンヤンヘ行ったときにお会いしたんですが、当時はたしか 「アムロッカン」のコーチでしたね。

パク・ドイク指導員 その後に「4.25」に移ったんです。

岡野 パク・ドイクコーチは、サッカークラブの指導員がお仕亊なんですか。

パク・ドイク指導員 そうです。各チームには私のような専任コーチが2、3人ずついまず。

長沼 それで給与はどこから? 国家からですか?

パク・ドイク指導員 そうです。

長沼 リーグの試合の入場料は?

リ・チャンソン監督 80銭(日本円で約100円)くらいです。これは国家にはいります。

牛木 朝鮮民主主義人民共和国は、日本とは社会制度がまったく違う。それにクラブの制度も日本では発達していませんから、お話をうかがっても、なかなか理解できないんですね。ぼくも1972年に2度、行って見るまでは分からなかった。岡野さん、長沼さんも一度行って見てくるといい。

リ・チャンソン監督 来年は日本のチームが来るそうだから、そのときに来て見て下さい。

岡野 だけど、日本じゃ仕事を休んで出かけると収入が減るからな。(笑い)

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