●ワールドカップはオープンじゃない
西ドイツで開かれたサッカーのワールドカップを“オープン選手権”だと思っている人がいる。一部の日本の新聞にも、そんな表現が使ってあった。しかしワールドカップはオープンではない。
「でも、プロとアマチュアがいっしょに出場してるんだろ。ブラジルや西ドイツはプロ、ポーランドやザイールはアマチュア。だったら“オープン”じゃないか」
ゴルフの場合は、アマチュアだけ参加する日本選手権は日本アマ、プロだけが出場する日本選手権は日本プロ、そしてプロもアマも参加する選手権は日本オープン……。この流儀でいくと、プロもアマも出場するワールドカップは、サッカーの世界オープンだろう――と友人が思い込んでいるらしいので、ぼくが説明した。
「ゴルフの日本オープンは、日本ゴルフ協会が主催している。日本ゴルフ協会は本来、アマチュア・ゴルファーのための団体なんだ。それが部外者のプロを招待するからオープンというわけだ。つまりオープン大会は部外者に門を開いている大会だ」
“オープン”という、言葉が使われるのは、プロとアマが出場する場合とは限らない。たとえば卓球などに「イングランド・オープン・チャンビオンシップ」というのがある。イングランド卓球協会主催の選手権大会だけれども、外国選手にも門を開いているという意味である。プロの卓球選手が参加するわけじゃない。
「サッカーの場合は、プロもアマチュアもみな各国のサッカー協会に属している。各国のサッカー協会は、国際サッカー連盟(FIFA)に加盟している。ワールドカップは、そのFIFAが主催する世界選手権だ。参加するのは、プロだろうがアマチュアだろうが、みなFIFAの身内だ。身内の者だけが参加する大会は“オープン”とはいわないんだ」
ついでにいえば「サッカーは一つ」というのがFIFAの考え方である。
FIFAの憲章には、連盟の目的の一つとして、次のように書いてある。
「すべてのレベル――アマチュア、ノン・アマチュア、プロフェッショナル――のサッカー試合を奨励することによって、各国協会の役員選手の間の友好関係を強化する」
世界中の“すべてのレベル”のサッカーマンが、みなFIFAの仲間になって、同じルールで試合をする――それがサッカーの“哲学”である。したがってサッカーの世界には“部外者”はいないはずであり、部外者を招待するという意味での「オープン世界選手権」はありえない。
「サッカーでは、世界中の人がみな家族なんだ。ワールドカップは、でっかいホーム・パーティーさ」
といったら、友人は分かったような分からないような顔をした。
●パッ、パッ、パパパ……
どういうふうに紙の上に書いたらいいのだろうか? ひょっとしたら、音楽の素養のある人は、うまく表現する方法を知っているかも知れないか、ぼくはあいにく、音痴に近い。
パッ、パッ、パ、パ、パ、
パパ、パパッ、パ、パ
ざっと、こんな調子なんだけど――。
ヨーロッパの町で、スポーツの試合を見にいくと、必ず耳にする応援の手拍子である。
日本なら応援のリーダーが「よおーっ、選手のためにいーっ サンサンナナびょうしーっ」
とやる。この三三七拍子を、同じように片仮名で書いてみると次のようになる。
パッ、パッ、パ
パッ、パッ、パ
パッ、パッ、パッ、パ
パッ、パッ、パ
お分かりいただけたろうか。
日本の三三七拍子は、リーダーの掛け声ではじまらないとサマにならないし、拍手のリズムそのものも、ひどく整然とした感じだが、ヨーロッパの手拍子は、自然発生的にスタンドからわきあがってきて、調子も軽くリズミカルである。
前に、ポーランドとチェコの地方都市を、日本のバレーボール・チームといっしょに旅行していて、行くさぎざきで、この手拍子に迎えられた。
「あれは調子狂っちゃうよな。ふらふら踊り出したくなるようなリズムだな」
と、ある日本の選手が阿波踊りのような手つきで腰をふって笑った。たしかに、1ポイントごとに
「よしっ」と掛け声をかけあって気合いを入れる日本チームのムードには似合わないようだ。
もちろん、これは地元チームを応援するための手拍子で、地元チームが攻撃に出てムードが盛り上がってくると、だれからともなくはじまって、全スタンドに広がっていく。しかし、日本人のぼくがいるのに気がつくと、まわりの少年たちは、日本のためにやってくれた。
パッ、パッ、パ、パ、パ、
パパ、パパッ、パ、パ、ジャパン!
最後に応援するチームの名前を呼ぶわけだ。
日本のスポーツの律気で集団的な応援ぶりと、個人個人が楽しみながら一つのムードをつくる向こうの奔放な応援ぶりの違いが、手拍子のリズムにも出ているように思う。
●FIFA新会長と中国問題
ワールドカップの直前にフランクフルトで開かれたFIFA(国際サッカー連盟)総会で、ブラジルのジョアン・アベランジェ氏がFIFAの新会長に選ばれた。
この人はCBD(ブラジル体育協会、実質的にはサッカー協会)の会長であり、IOC(国際オリンピック委員会)の委員でもある。前会長のサー・スタンレー・ラウスが実務家上がりだったのに対し、アベランジェ新会長はブラジルの大金持ちで、いわばパトロンとしてサッカーの役員になっている人だ。
テクノクラートからパトロンへの役員交代は、社会の流れに逆行するような気もするが、その点を除けば、アベランジェ新会長の誕生は、やはりFIFAの新しい時代を示すものといえるだろう。一つには世代の点で、一つには地域の点で、そういうことがいえる。
アベランジェ新会長は58歳で、ラウス前会長の79歳にくらべると非常に若い。日本サッカー協会の野津謙会長は75歳である。これにくらべてもアベランジェ氏は非常に若い。スポーツ界の役員には定年がなく、としをとって経験を積めば積むほど「自分でなければやっていけない」という考えに、とらわれやすいのか、世代の交代がなかなか困難である。したがって比較的若い新会長の登場は、FIFA改革の好機である。
ラウス前会長は、昨年10月にブルガリアのバルナで開かれたオリンピック・コングレスのとき「私のように間もなくスポーツ界から去ろうとしている人間は……」と引退をほのめかすような発言をしていた。それにもかかわらず、今回の改選では4選を目ざして立候補し、再投票にまで持ち込んでアベランジェ氏と激しく争った。
ヨーロッパに他の適当な候補者がいないため「世界のサッカーのイニシアチブをヨーロッパ以外の手に握られてはならない」と執念を燃やしたらしい。世界のサッカーで最も重要なポストがヨーロッパを離れたのは、良い結果を生むかどうかは将来を見守らなければならないにしても、とにかく一つの改革である。
今回のFIFA会長改選には、台湾にかえて中国をFIFAに復帰させる問題が、からんでいた。ラウス前会長は、中国復帰に慎重な態度を示していたから、アジア・アフリカの中国支持グループの多くは、アベランジェ氏の方を支持したと思われる。結果として会長改選ではアベランジェ氏が勝ったのに、中国の復帰は否決された。これは、中国問題の表決に3分の2以上の支持が必要だったためでアベランジェ氏の当選は、中国問題の将来の解決には明るい見通しを与えるものだと思う。
ところで今回のFIFA総会に出席した日本の代表の態度は、どうだっただろうか。おそらく会長改選ではラウス前会長支持、中国問題では中国支持だっただろう、とぼくは推察している。
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