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サッカーマガジン 1970年1月号

新春対談
篠島秀雄(三菱化成社長)副会長にきく
―クラーマーの爆弾提案について―
ききて・牛木素吉郎            (2/3)    
 

いかに広げ、いかに強くするか

■まず大衆のものに
 サッカーを大衆に広げることが、まず、たいせつなことでね。水泳に例をとっていえば、国民皆泳を非常にいっておって、昭和7年のロサンゼルス・オリンピックの水泳競技で、日の丸がたくさん上がった。いまでは、アメリカには、いたるところに、たくさんのプールがあって、アメリカの水泳は強い。こういうふうになれば、非常に結構なことだ。
 最初にいったように、サッカーを盛んにするということは、国民・国家の発展につながるものだから、サッカーの普及に努力しなければならない。国民皆蹴になって、そのうえで、日本のサッカーのレベルが向上するようになれば、国民はみなサッカーを見るようになって、ますます発展するんだ。
 そのためには、人を練成すること、競技場を作ること、このふたつだな。競技場といっても、ある程度の広さがあるハンディーなサッカー場が、たくさんあったほうがいい。
 昭和60年には、全人口の8割が、都会地に集まるようになる、といわれているが、そうなると、国民の利用できる広場なんか、とれなくなる。これは憂慮すべきことで、こういうところを、まず、なんとかしていかなくてはならない。
 こういう仕事をやっていくためには、いままでのような組織では無理だ。これは70年代の最初に考え直したらいい。

■底辺から頂点まで
 当面の問題のひとつは、日本の代表チームと、その次のグループの間にギャップがあることだろう。
 イギリスのオックスフォードとケンブリッジの大学連合チームが来て、日本の学生選抜と試合をしたのを見ても、向こうのほうが、意気があがっている。日本の若手はまるでなっていない。ヘタだとか、頭が悪いとかいうよりも、意欲がないように見える。結果的には、なんのために試合をしているのか、と思いたくなるような状態だな。
 いまの日本代表チームに続くものを、いかに練成するか、ということが問題だ。
 国際試合の経験を積ませるとか、激しい、高度な試合を、おたがいにやることのできるような状態を作るとか、やるべきこと、やれることは、分かっているはずだから、やれることから、どんどん、やっていかなくてはならない。
 学生についていえば、関東と関西以外の地域にもサッカーをやり得る大学は、たくさんあるはずだから、全国の800の大学全部にサッカー・チームができて、それがみな手をつないで、レベルをあげるように、学生サッカーの組織を育てるようにしなければならない。
 いまでは、サッカーは小・中学生のころからやっている。そういう底辺の拡充が必要で、それを頂点まで一貫したものに、つなぐような組織にしなくてはならない。

■ノンプロ体制で
 いまのアマチュアの立ち場を守っていると、日本のサッカーの限界は破れない、という問題もある。会社の仕事もある。サッカーばかりやっていては出世も遅れる、家族を養ってたまには家庭サービスもしなければならない、ということになると、サッカーに打ち込めない。これでは外国の連中に追いつけないということだ。
 クラーマーはさすがに、そういうことを、こまかい点まで検討して心配していた。ソウルのワールドカップに出たオーストラリアの若い選手たちは、みなセミプロで、ああいう連中の状態にくらべると、日本の選手は勝てる状態でない、というわけだ。
 しかし、この壁を破るために、いますぐ、プロを作っても、現在の状態では、ヘボな試合ばかり見せることになるから、まだ時期は早いぞ、ということにある。
 いまのところは、各会社がノンプロ的にサッカー選手を養成して、選手は仕事もやるけれども、ある期間は、サッカーに力を注ぐ。
 会社のほうは、インテンショナルに(意識的に)選手のために便宜をはかる、という体制を作っていけば、いい。現在でも、サッカー・チームを作って、やってみようという会社は相当あるから、こういうことならやれるだろう。
 社会の役に立つ、国民のためになるスポーツを普及させるための、奨励策のひとつとして、やるのだから、遠慮することはない。パチンコを奨励しようというのとは違うんだ。
  いま、日本リーグは8チームあるが、さらに同じレベルのチームが、8チーム出てくれば、しめたものだ。
 いまの日本代表選手くらいのが、ぞろぞろ出てくるようになれば、必ずプロが、無理なくできるだろう。

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