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サッカーマガジン 1970年1月号

新春対談
篠島秀雄(三菱化成社長)副会長にきく
―クラーマーの爆弾提案について―
ききて・牛木素吉郎            (1/3)    

インタビューの理由
 西ドイツのデットマール・クラーマー・コーチが、FIFAコーチング・スクールの指導を終えて、11月はじめに日本を出発するとき、日本のサッカー界に爆弾を落としていった。出発の前の日、11月6日の日本蹴球協会理事会で、1時間半にわたる大演説をしたのである。
 「日本のサッカーを向上させるために、技術的になし得ることは、すべてした。これ以上、日本のサッカーを発展させようと思うなら、日本のサッカーの組織に革命を起こすほかはない。日本蹴球協会の機構を改革し、若い人材が意欲を燃やして仕事をできるようにしなければならない」
 これがクラーマー氏の主張である。
 この主張を実現するために、クラーマー氏は、具体的ないくつかの提案を残していった。だが、彼の落としていった爆弾を爆発させ、そのあとに、新しい日本のサッカーを建設するのは、日本人の仕事である。
 クラーマー氏は、爆弾提案の前に、日本蹴球協会副会長の篠島秀雄氏に会って、熱心に自分の考えを説いた。この事実を知って、クラーマーの爆弾提案が実現するか、どうかのカギは、篠島副会長が握っているのかも知れないと、考えた。これが、このインタビューを試みた理由である。

社会の役に立つスポーツ
 いちばん先にいっておきたいのは、サッカーという競技が、役に立つスポーツだということだな。これが考え方のベースでね。サッカーが、いいスポーツだということを認識してもらって、だから、これを奨励するんだということでないといけない。
 サッカーをやると、全体と個の関係を、からだで覚える。ボールをゴールに入れるという単一の目的のために、みんなが有機的につながって、動いている。これは、会社のような組織の中でも、もっとも、だいじなことだ。
 野球は、ポジション・プレーでね。右翼手がセンターにいくようなことは、たまにしかない。サッカーは、それぞれ一応のポジションはあるが、みんなが全体のことを知っていて、全部ができなくてはならない。投手と捕手のプレーが、守備全体の8割を占めているなんてことはない。いまの青年たちに欠けている社会連帯意識を養うのには、サッカーがいい。
 それに野球は、アメリカなど一部の国のスポーツだが、サッカーは国際的な競技だ。サッカーをはじめて、やめた国はどこにもない。あらゆる国、あらゆる民族でやっている。
 これから、ますます国際的なつながりが重要になっていく時代に、国民的な資質、教養のレベルをあげるためには、サッカーがいちばん適当なスポーツだということなんだ。 

■クラーマーの心配
 サッカーをはじめて、やめた国や民族はない。だから日本でも、サッカーは、ますます盛んになっていくと思うが。しかし、これは社会のために必要なスポーツなんだから、適切な奨励法を講じて、ますます盛んにするようにしなければならない。
 そのためには、興味をつなぐために、いろいろなことをやることも悪くはない。サッカーは、もともとアトラクティブなものなんだから、それを大いに宣伝する必要はある。
 しかし、サッカーを奨励しようということの基本的な方策は、日本蹴球協会や各地の蹴球協会の理事者というか、世話役が、じっくり考えて、確実に実行しなければならない。
 ところが、現在は、さあ次はアジア大会だ、次はメキシコ・オリンピックだと、目先きのことだけに、ちゃらちゃらして、組織的な、時間的な長さのある計画を持っていない。メキシコの次には、ミュンヘンでオリンピックがあるということを見通した連続的な計画がない。これが、クラーマーが大いに心配していることなんだな。
 ドイツなどは、サッカーが、もう十分に普及しているから心配はないだろうが、日本はまだまだ火がついたばかりだから、もうひと腰も、ふた腰も入れなくてはならない。いまのままでは、日本は世界のスピードに追いつかないと、クラーマーはいうわけだ。

 


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