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サッカーマガジン 1967年2月号

アジア一の実力を示した日本

アジア大会総まくり  (4/4)  

準決勝−決勝

12月18日(日)
▽準決勝戦
イラン 1(1−0、0−0)0 日本
ビルマ 2(0−0、2−0)0 シンガポール

 9日間に6試合、そして3連戦の最後の日に、もっとも重要な試合がきた。八重樫はついに立てず、中盤をあずかる小城と宮本輝は疲労のどん底だ。とくに宮本輝は過労で発熱したのを押さえての出場である。
 試合の模様は新聞にも載ったからくわしくは書かない。前半33分イランが1点をあげ、杉山の足に頼る日本の反撃を、がっちり防いだ。
 日本の敗因は何だったか。不条理な日程による連戦、暑さ、乱暴なプレー、そのために起きた故障者の続出。
 結果論をいえば、もっとも大切な試合を、最悪の条件で迎えたという、チーム・コンディションの見通しの誤算があげられるだろう。しかし、これは全力を尽した結果なのだ。
 日本はイランに1次リーグでは勝っている。7試合で6勝1敗の成績は参加チーム中一番いい。日本のサッカーが、優勝できるだけの力を持っていることは、明らかに証明された。準決勝で敗れ、銅メダルに止まったのは不運である。
 悪条件のもとで、運・不運を克服して、なお絶対に勝つには、圧倒的な力の差がなければならない。
 世界でもっとも普及したこのスポーツで、あらゆる国に対して、それほどの差をつけるのを求めるのは無理である。もちろん、今の日本のサッカーには、改善の余地がたくさんあるけれども……。
 この日本−イランの準決勝は、事実上の決勝戦だと思われた。日本が思っただけでなく、外国の新聞記者もそう書いている。
 ところが、その勝者であるイランも、決勝では、1次リーグ・2次リーグを悪戦苦闘してきたビルマに敗れるのである。

12月19日(月)
▽3位決定戦
日本 2(0−0、2−0)0 シンガポール
 
  銅メダルをかけた試合。日本はゴール・キーパー横山に代わり浜崎が初出場。日本は前日の敗戦の落胆と疲労の色がかくせなかったが、後半はじめに杉山が2人抜きを演じて木村にシュートさせ、終了間ぎわに釜本が2点目をあげて、最後の試合をかざった。日本のサッカーにとっては、アジア大会では、第1回大会についで2度目の銅メダル獲得である。

12月20日(火)
▽決勝戦
ビルマ 1(0−0、1−0)0 イラン

  午後4時、約3万の観衆の中にプミポン国王、シリキット王妃をお迎えして、決勝戦が行なわれた。サッカーの決勝が閉会式の直前に、その一部として行なわれるのは、アジア大会の恒例である。
 しかし、決勝戦は「こんどの大会で、もっとも失望させられた試合」だったと、外電は表現している。後半22分、ビルマが混戦の中からこぼれダマを拾って、あっけない決勝点。イランには、対日本で見せたよさは、ひとかけらもなかった。
 イランは11日間に7試合、ビルマは6試合をした。その1試合の疲労の差が、明暗を分けたのだという説がある。
 またビルマは、バンコクに近いだけ、気候になれていたのが有利だったとする見方もある。暑さになれている連中でも、最後には疲労度が勝負を決めたのだとしたら、寒い国から遠征した日本が苦しんだのは当然だろう。
 ビルマは初の金メダル。正確なパスで、東南アジアのチームにしては、スピードのある組織的サッカーをしたようだ。日本がこのビルマと対戦する機会のなかったのは、実に惜しい。きっと好試合になり、日本のサッカーの良さが、ぞんぶんに発揮されたに違いない。このアジア大会の金メダル・チームを、一度日本に招いて、実力ナンバー・ワンを決める試合を、見せてもらえないものだろうか。

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