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ビバ!サッカー研究会・ワールドカップ座談会
サポーターズアイ 「私たち、ぼくたちのワールドカップ」

【 グループ A 】
2006年8月25日 @渋谷・ウィメンズプラザ
牛木素吉郎(司会)、栗山 裕司、近藤 詩月、山内 純子、山田 晃、藤田 直樹

<その3>

☆運営について

◆普段どおり、しっかり

牛木 大会の運営について気づいたことは?
 
山内 すっきり、ムダなく、つぼを抑えた運営だったと思います。ドイツの組織委員会は、何をしたら、ワールドカップの機会にドイツに来た人たちに、喜んでもらえるのか、よく知っていたのだと思う。

牛木 そのとおり。組織委員会の方針がしっかりしていたと感じました。

山内 ドイツはサッカー大会開催に慣れている感じでしたね。いつものように、やっているようだった。それに比べると、前大会の日本と韓国は、世界のお客さんを迎えて、ちゃんとワールドカップを成功させなくてはならないと緊張していた。
 
牛木 日韓は肩に力が入っていたね。
 
山内 私は2004年のアテネ・オリンピックも行ってみたんですけど、ドイツとアテネは非常に違いました。アテネ・オリンピックでは、主催当局は張り切って大会を成功させようとしていたけど、一般の国民は外国人がおおぜい来ていても、あまり関心がない。ふだんどおりの生活をしていました。しかし、ドイツは、ふだんどおりにやっているけれど、重要な大会の開催国の国民であることを、みなが意識していた。そんな印象でした。またドイツ人は、他国のチームやサッカー自体を見ることを楽しんでいるようでした。

牛木 オリンピックでは、競技が一般の国民と関係なく行われていたけど、ワールドカップでは、国民がみな関心を持っていたというわけですね。

近藤さん
ミュンヘン・アリアンツアレナをバックに
地元の子どもと記念撮影する近藤さん

近藤 ドイツ人のホスピタリティに感心しました。欧州に行ったのは、初めてだったんですけど、ドイツ人が、あんなに外国人に親切だとは思いませんでした。

山田 大会ごとにテーマがありますね。94年米国大会では、Making Soccer History でした。今回は、Time to make friends (友だちを作るとき)だった。それを、ちゃんと実現していました。
 
牛木 対戦するチームのサポーター同士が、ファン・フェスタの会場で、ミニサッカーで対戦して楽しんでいるような光景も見ましたね。
 
山田 イングランドが準々決勝を戦ったゲルゼンキルヘンでは、他の試合会場の都市とは違って警官がヘルメットをかぶって厳重に警備はしていた。でも騒ぎは見かけなかったな。浴びるようにビールを飲む人は、たくさんいたけど……。

牛木 フーリガンの騒ぎは、2度ほど新聞に載っていました。イングランドとドイツの若者の衝突だったようです。
 
山田 イングランドのサポーターは、日本人に好意的でしたね。ポルトガル戦を見たときの席は、まわりはイングランドのサポーターばかりだった。「日本から来た」と言ったら頭をなぜられた。2002年の大会で日本に行ってよかったと言っている人がいました。

牛木 日本から見ていて、運営面はどういう印象でしたか?
 
藤田 全体的にうまくいっていたんじゃないでしょうか。特に、試合の開始時刻が正確なことは驚きました。
 
牛木 いまは、テレビが世界中に生中継されるから、タイムテーブルは、厳重に守られるようになっていますね。1978年のアルゼンチン大会のときには、キックオフが30分以上、遅れるようなこともあったけど……。
 
栗山 全体的な運営には、そつがなかったと、現地観戦した友人たちから聞いています。
 
山田 今大会は、BGMの使い方が実にうまかった。過去のユーロや各国のサポーターソングを試合の合間に大音響でかける。特に Football is coming home なんかがかかると、サポーターが踊りだしていた。あと、口笛が印象的なLove generation とか。
 98年フランス大会のとき、日本対ジャマイカ戦のスタジアムで、安室奈美恵の Can you celebrate? がながれていたことを考えると隔世の感があった。
 でも、PK戦の前に「ケ・セラ・セラ」を流すことだけはやめてほしかった。生きるか死ぬかのような表情の選手に失礼にあたるし、応援するほうも力が抜けてしまう。

◆ドイツ国内の移動

牛木 ドイツの12都市で試合が行われたので、見て歩くには主として鉄道で移動したわけですね。IC、ICE(特急)が便利だったと思ったけど……。
 
近藤 鉄道(DB)の窓口は日本と似ていました。臨機応変に対応するのは不得意のようでした。

山田 日本の試合当日に会場都市に行く列車は、座席指定をとっていないと、立ちっぱなしでした。列車の本数が少ない。

近藤 フランス大会のときは会場都市の間を移動するために、列車が増発されて便利だったと聞いていたけど、ドイツでは事情が違っていました。
 
牛木 大会期間中の臨時列車は、大会前から決まっていて、あらかじめ時刻表に載っていたけれど、開幕後の実情に合わせて柔軟に対応するようなことはなかったかもしれませんね。
 日本が2試合をしたカイザースラウテルンから、フランクフルトやケルンに戻る列車の本数が少なく、殺人的混雑でした。
 
山田 特急(IC)以外は冷房がなかった。近距離列車は暑かった。
 旧東ドイツの地域では、列車がよく遅れた。ベルリン ― ライプチッヒ1時間のはずが2時間30分、ライプチッヒ ― ニュルンベルグ3時間20分のはずが、4時間30分かかった。フランスのTGV(新幹線)のほうが正確だった。
 
◆ファン・フェスタ

牛木 試合会場になった12都市で、組織委員会が「ファン・フェスタ」を大会期間中、通しで開催しました。試合のパブリック・ビューイングにほかのイベントを組み合わせたお祭りなんだけど、都市によって、それぞれ特徴があったのは、おもしろいと思いました。


「ライプチッヒのファン・フェスタは
抜群だった」という山内さん

山内 ファン・フェスタの会場は、フランクフルトとライプチッヒを見てきました。フランクフルトは、市の真ん中を流れるマイン川の両岸の河川敷が会場になっていて、パブリック・ビューイングの巨大なスクリーンが川の中に立ててあった。ビジュアル的にはインパクトは大きかったけど、スクリーンが川の中なので見にくかった。
 ライプチッヒの会場は抜群。広場に舞台を作って、映画館を乗せた感じでした。日本なら、パブリック・ビューイングを公民館や体育館のような箱物があるところで行うけど、ドイツでは屋外で行ったのが目新しかった。
 
近藤 ケルンではファン・フェスタを2ヵ所でやっていました。1ヵ所ではコンサートをやっていていました。もう1ヵ所は大聖堂の前にスクリーンを設置していました。パブリック・ビューイングは、ドイツ人であふれていました。
 
藤田 テレビ中継では、試合以外の周辺の様子があまり伝えられていなかったように思います。公式スポンサー以外の広告などが、紛れ込むのを恐れて、映像に規制がかかっていたのではないかと思います。
 
牛木 スタンドの観客を大写しにすると、広告を持っていたりする心配があるからでしょうかね。
 
藤田 日韓大会のときあたりから、スタンド風景を写すとき、カメラが取捨選択して、メッセージ性のあるものは映さない方針になったようですね。

栗山 サポーターの雰囲気をかもし出す映像が少なかったね。
 でも、4年前の大会のときに大分スタジアムでギターを弾いていたセネガルのサポーターが、今大会のガーナ戦でテレビに写ったのには驚いた(笑い)。

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