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サッカーマガジン 1987年1月号

短期集中連載★強豪チーム技術分析
<5>ソ連
キエフ中心で
 スピードとチームワーク生かす     (2/2)

ベルギーと延長の激闘
 ほとんどディナモ・キエフ単独といってもいいチームで、若い選手のイマジネーションとテクニックを、伝統のスピードの中に生かして戦おう――というソ連チームの狙いは、1次リーグではみごとに成功した。 
 これは待望の80年代の新しいサッカーではないか? ソ連は、この勢いで決勝にまで勝ち進むのではないか? こんな声さえ聞かれるほどだった。 
 しかし、これはソ連のサッカーに対する過大評価だった。そのことは、決勝トーナメントにはいるとたちまち、6月15日にレオンで行われた1回戦(1/8ファイナル)で証明され、延長の激闘の末ではあったが、ソ連はベルギーのプロフェッショナル軍団の粘りと駆け引きに屈して姿を消した。
 「ソ連は不運だった」という声もある。後半ソ連が2−1とリードしたあとのベルギーの同点ゴールは「本当はオフサイドだったから」というのが、その根拠である。 
 結論を先に言えば、同点ゴールがオフサイドだったかどうかは別として「ソ連は最善を尽くしたが、これか限界だった」といえると思う。この大会のソ連は、その中に未来を予感させるものを持っていたにしても、まだ西側のプロに対抗して、ワールドカップの優勝を争うほどのチームではなかった。 
 ディナモ・キエフの選手を9人並べたソ連は、立ち上がりから激しいポジションチェンジを繰り返して、猛烈に動きまわった。
 「もうここまできたら体力勝負」といった感じだった。そして27分にベラノフの好シュートで先取点をあげた。 
 ベルギーの方は明らかに、ソ連のやり方を研究し尽くしていた。クラエセンをトップに残し、守備ラインに常に5人を残している厚い守りの布陣である。その厚い守りを攻め破ったザバロフとベラノフの動きは目まぐるしく激しかった。 
 ソ連はリードしても、攻め手をゆるめなかった。一方、リードされたベルギーは反攻に出なければならなかったから、試合はにわかに面白くなった。 
 後半11分にベルギーが最初の同点ゴールをあげる。左後方からベルコーテルンのあげたロビングに、右サイドのシーフォが走りこんだものだった。オフサイドぎりぎりだったが、これはパスが上がった瞬間にヤコベンコの背後からするすると走り出たシーフォの勝ちだった。 
 ソ連は25分にベラノフのシュートで再びリードする。これはヤコベンコがベルギーの選手の不用意なドリブルを横取りしたのに始まった攻めからで、ちょっとラッキーなゴールだった。 
 そして31分に問題の同点ゴールだ。ハーフラインの手前から、デモルがペナルティーエリアへ大きくあげたボールを、クーレマンスがゴールに背を向けたまま胸で落とし、振り返りざまに叩きこんだ。このシュートそのものは、みごとだったのだが、線審は明らかに一度旗を上げていた。しかし、フレドリクソン主審(スウェーデン)は認めず、延長戦となった。 
 これが本当のオフサイドだったのかどうかの議論はむずかしい。後方からの長いロビングの滞空時間はかなりあったから、その間にクーレマンスが前に出たのかもしれない。ただ線審の態度があいまいで、主審との連係も明確でないようにみえた、としかいえない。
 延長にはいってベルギーが2点をあげて勝負が決まり、その後にソ連がペナルティーキックを得て4−3の1点差でソ連が敗退した。

ソ連はなぜ消えたか 
 後半の半ばから延長戦にかけて、ソ連の選手は明らかに疲れていた。動きが鈍く、集中力が衰えていた。延長になってからの失点はそれが原因である。 
 なぜベルギー以上にソ連が疲れたのか。それは立ち上がりから、ここを先途と激しく動き回ったからである。これに対してベルギーは、ソ連の出方を見抜いて、守りを固めて逆襲を狙い、持久戦に持ち込んだ。その点でベルギーのプロフェッショナルらしい駆け引きがまさっていた。 
 しかし、だからといってソ連の作戦が間違っていたということはできない。
 ソ連は、ディナモ・キエフの若い選手の才気とスピードをともに生かしながら、1次リーグを戦ってきた。そのやり方を決勝トーナメントで続ければ勝てただろうか。 
 答えは、おそらくノーである。 
 決勝トーナメントに出てくる西欧のプロフェッショナルは、インテリジェンスの点でもテクニックの点でも、ソ連の若手を上回るスタープレーヤーを持っている。緩急自在な駆け引きにも長じている。それにソ連のやり方を1次リーグで十分に研究している。 
 そういう相手に、1次リーグと同じ戦法で向かっていっても、相手のペースにはまるだけである。 
 だから、ここは、こちらの有利な部分、つまり体力にものをいわせてぶつかっていくことに活路を見出すほかはない。
  だからソ連がベルギーに対して、立ち上がりから激しく動きまわって体力勝負に出ようとした戦法は、間違っていなかった。そして、その戦法は七分通り成功していた。最後に力尽きて敗れたのは、不運ともいえるし、ベルギーのしぶとさの方が上だったのだともいえるだろう。 
 そういう意味で、ソ連のチームは最善を尽くし、そしてここまでが、せいいっぱいだった。    
 しかし大会直前に監督を変え、ディナモ・キエフ主力に切替えた大英断の成功は、これからのサッカーを考えるために貴重な示唆を含んでいたのではないだろうか。

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