5月31日、イタリア対ブルガリアの試合で、1986メキシコ・ワールドカップが開幕した。すでに6月13日に予選リーグを終了したが、ブラジルとデンマークが3戦全勝で決勝トーナメント進出を果たした。またプラティニ率いるフランスはカナダ戦こそ苦戦したが、最終戦に快勝して予選リーグを突破した。アルゼンチン、ソ連、イタリア、西ドイツなどの強豪も順当に勝ち残った。予選リーグを振り返ってレポートする。
幻想の開会式
16年の間に何が変わったか!
巨大なアテスカ・スタジアムの記者席から緑のフィールドを見降ろして考えた。「この16年の間に、何が変わっただろうか?」と。 16年前、1970年の決勝戦のときにもこの記者席にいた。ブラジルが3度目の優勝をとげて黄金のジュール・リメ杯を永久に自国のものにした歴史的な日に、11万人のスタンドの上を覆う大屋根につるされたクス玉が割れて、金、銀、五色の紙吹雪が、歓呼のるつぼの中に舞い降りた。「ファンタスティコ!」――これが、その日の地元の夕刊1面の大見出しだった。
いま――。
1986年5月31日。同じアステカ・スタジアムの大屋根につるされた星形のメキシコのクス玉「ピンツーラ」が割れて、緑、赤、銀の紙吹雪が舞った。
ファンタスティコ!
16年の歳月が、まるで幻のように思える。
しかし、この間に、サッカーの世界が変わっていないはずはない。それを見極めるために。ぼくは再び、ここにいる。
ワールドカップを見に来たのは、あのMEXICO70(メヒコ・セテンタ)以米、5度目である。
その間に、ペレが去り、クライフとベッケンバウアーが登場し、いまマラドーナやプラティニがいる。
スーパースターは移り変わった。
しかし世界のサッカーの熱狂は変わらない。
MEXICO86(メヒコ・オチェンタイセイス)の開会式は、午前10時に、音楽と踊りの「フィエスタ・メヒカーナ」で始まった。 参加24チームの選手たちは、すでに、それぞれの会場に散っている。
グアダラハラの男女の大学生による民族舞踊、マリアッチ、子供たちの踊り……。
入場行進は24チームのユニホームを着たいろいろな年代の少年たちだった。士官学校の生徒たちに護衛された旗手は、女性だった。 午前11時25分、デラマドリ大統領の開会宣言。権力を持つ者に対する大衆のブーイング。
メキシコ国歌吹奏。11万人の大衆は、みな立ち上がって、大きな声で歌った。
大鉄傘にこだまする拍手。「メヒコ! メヒコ!」の大合唱。
さあ、いよいよ、ぼくにとって5度目のワールドカップが始まろうとしている。
ブラジル
黄金の中盤は復活するか?
開会式に引き続いて行われた開幕試合の、イタリア対ブルガリアは引き分けだった。しかし内容のある引き分けだった。
ワールドカップの開幕試合は引き分けが多い。前回の優勝チームが登場する好カードを組んでも、はじめから手の内をさらして戦うことはないと、お互いに慎重になるからである。
だが、今度の開幕試合は違った。前半は多少、慎重に構えたところもあったが、イタリアは、コンティの足わざからアルトベリのシュート力を生かそうと、かなり積極的だった。この2人は4年前の決勝戦の殊勲者コンビである。4年前の得点王ロッシは、ベンチを温めただけだった。
43分に中盤からのフリーキックを生かして、アルトベリが、みごとなボレーシュート。後半もイタリアが積極的に攻めて、60分のシレアのシュート、72分のカブリーニのヘディングシュートなど、守備ラインの大物が攻め上がってのチャンスがあった。
あまり積極的だったために、ブルガリアにその裏側をつかれ、タイムアップ5分前に逆襲で同点にされて引き分けたのだが、1点を守ろうとせずに、さらに得点を狙ったのが、これまでの開幕試合の恒例とは違っていた。
「今回の予選リーグは面白そうだぞ」という予感がした。
開幕試合のあと、その夜に飛行機でグアダラハラに飛んだ。翌日のブラジルの第1戦を見るためである。
実は、大会の取材計画をたてたときに、無理をして、このメキシコ第2の都市まで飛ぶべきかどうか、非常に迷った。というのは、ブラジル対スペインの試合は、0対0の引き分けだろう。それなら飛行機で見に行くほどの価値はない――と思ったからである。
予選リーグの第1戦で有力チーム同士が当たった場合、無理して勝ちに出なくても、引き分けておいて、残り2試合の策を考えた方が、やりやすい。だから、お互いに守りを固めて引き分けるのではないか、と予想したわけである。
予想は、半分当たって半分はずれた。
ブラジルは予想通り、手の内をさらさないで戦った。ジーコがベンチにいただけだったのは、右ひざの負傷のためだが、ファルカンも最後の10分間に顔見せをしただけだった。
チームの中心はソクラテスで、中盤でジュニオールと組んで、いい形は作ったが、4年前の黄金の中盤の4人にくらべれば、1.5人というところである。
しかし、結果は引き分けではなく、1対0でブラジルの勝ちだった。
得点は、後半のはじめの方の61分。ジュニオールからのパスを受けてカレッカがシュートし、バーに当たって、はね返ったところにソクラテスがいた。
無理してとった点ではなく、たまたまのチャンスを生かした感じだったが、ブラジルにとって、第1戦として理想的な勝ち方だったといっていい。
その夜、いったんメキシコ市に帰り、5日後に再びグアダラハラに行って、ブラジルの第2戦を見た。
相手はアルジェリアで、結果はやはり1対0。
アルジェリアが、よく攻めたので好試合になり、ブラジルのゾーンの守りの良さも見ることが出来た。しかし、ブラジルが本当にエンジンをかけたのは、前後半、それぞれ20分間くらいずつである。 得点は、後半なかば過ぎの65分。交代ではいったミューレルが、右から送ったボールを、ゴール前でアルジェリアのディフェンダーが、からぶり。逆サイドへ抜けたのを、カレッカが決めた。
これも第1戦と同じく、たまたまのチャンスをしっかり生かした感じだが、20歳のミューレル、25歳のカレッカがなかなか良かった。若い力がワールドカップのムードに慣れたころに、黄金の中盤か復活して加わるようなら――ブラジルは断然の優勝候補である。
ブラジルの第3戦は6月12日。これは北アイルランドに3対0で快勝した。
だが、これも全力を出したわけでなく、先発には若手を主力に起用した。ジーコが、最後の23分間だけ出て3点目をアシストしたが、まだ本調子ではないようだ。
しかし、ブラジルの3点は、いずれもみごとなものだった。ただし、これはテレビで見ての感想である。
優勝を狙っているチームは、1次リーグから全速でとばすようなことはない。1カ月の戦いを見通して、前半戦ではセーブし、テストする。
今回のブラジルもそうだし、フランスもそうだった。ただし、前半抑えたつもりが、後半になっても爆発しないケースも、ないわけではない。
フランス
まだ半分の力を残している
1次リーグでエンジンの出力を極力抑えたのは、フランスも同じだった。
第1戦でカナダに1対0で辛勝したあと、第2戦は6月5日、レオンのスタジアム。相手のソ連は、第1戦ではハンガリーに6対0と大勝している。
フランスとしては、この試合は勝っておきたいところだった。引き分けると最後に得失点差で、ソ連にグループの1位を譲る可能性が強い。
今回の大会の方式は、ちょっと複雑で、C組の場合は1位になると、決勝トーナメントの1回戦をレオンに居座って戦うことができる。しかも相手は他のグループの3位のチームになる。
だからフランスは、ここでソ連に勝って、グループの1位を確保したかった。そのために、ここでは力をセーブするわけにはいかなかった。
フランスの中盤は、それぞれに違う個性が優雅に輝く宝石箱である。
プラティニのひらめきのパスが前線に、きらりと光を投げかける。
ジレスがリスのように走り、身を躍らせる。
ティガナが追い、すばやく獲物をつかまえる。
形勢は、ずっとフランスが優勢だった。中盤では、80パーセント近い出力だった。
ただ、シュートが少ない。
ソ連は、押されながらも、チャンスをみて、中盤からザバロフとヤコベンコが突進した。直線的だが攻めに速さがあり、シュートに結びついていた。
先取点はソ連。後半はじまって間もなくの53分にラッツの第2線からのシュート。
その8分後にフランスが同点。中盤から前線へ出たフェルナンデスへ、ジレスからの浮き球の縦パスがぴたりと合った。
終盤にフランスに疲れがみえて、ソ連が攻勢に出たが、結局そのまま1対1。この引き分けはソ連には満足、フランスには不満である。
しかし試合の内容を点検してみると、必ずしも、そうとばかりはいえない。
ソ連は、ハンガリーから6点を奪った速攻のすばらしさで、にわかに株をあげていたが、この試合では、フランスのコンビネーションの良い守りを崩すことはできなかった。6点もとったのは、ハンガリーの守り方が間違っていたためではないか。
またソ連の守りは、フランスの中盤からの攻め上がりを止めるのに、反則を繰り返していた。そのため、プラティニのフリーキックに何度もゴールを脅かされていた。
この二つの点を見ると、今後、ゾーンの守りと足わざの攻めの南米勢と当たったときに、ソ連の特徴は、かなり殺されるのではないだろうかと思われた。
一方、フランスの方は、プラティニがまだ90分間のうちの、40分間くらいしか、本気でプレーしていないにもかかわらず、中盤ではソ連にまったく支配を許さなかった。
守備ラインも、ソ連の攻めを許したのは、前半の10分過ぎからの数分間、後半の終わりごろの35分過ぎからだけだった。
プラティニと守備ラインが、90分間フル回転しなかったのを不安材料だと思うのは、当たっていない。
これから調子を上げていって、後半戦になってトップギアに入れられるようになれば、望みは非常に大きい――というように見た方がいい。
フランスの第3戦は6月9日、レオンだった。相手は不振のハンガリー。30分に、中盤のジレスの好パスを受けて、右サイドからアヤシュが食い込み、そのセンタリングをストピラがヘディングで決めて1点目。
後半にも、62分に、守備ラインまで下がっていた、ロシュトーにはじまり、中盤でティガナとプラティニがからみ、最後はティガナに終わった攻めで2点目。この攻めは、フランスの隠し持つ力の一端をみせたみごとなものだった。(図)
84分にも、プラティニ−ロシュトーで追加点をあげて、フランスは3対0で勝った。
試合のあとスタンドで、デットマール・クラーマーさんに、ばったり会った。1960年代に、東京オリンピックに出場するチームを指導するために日本に来て、日本のサッカーに革命を起こした人である。国際サッカー連盟(FIFA)の技術研究グループの委員に指名されて、このC組を担当しているのだという。
「フランスもプラティニも、まだ力の半分しか出していない。これからもっと、もっと良くなるだろう」
クラーマーさんの意見は、ぼくとまったく同じだった。
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