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サッカーマガジン 1984年2月号

ビバ!! サッカー!! ワイド版

育て!パーソナリティー
4年のうちに、少なくともアジアのトップに!

クーバー方式の指導法
名選手の技術をもとに、若い選手を育てる元名監督!

 オランダの名監督、ウィール・クーバー氏が、トヨタ・カップを見に来日したのを機会に、指導法の公開デモンストレーションを、やってもらった。かつて読売クラブの監督だったフランス・ファン・バルコムさんが一緒に来たので“旧知の先輩”というわけで、ぼくが滞在中の世話をしたが、クーバーさんの指導法も、考え方も、とても興味深かった。
 クーバーさんは、フェイエノールトの監督として1974年に欧州のクラブ3大タイトルの一つ、UEFAカップをとっているが、その後、2度にわたる心臓の大手術をして、5年間、サッカー界から退いていた.
 「その間に、名選手といわれた人の技術をじっくり研究して、それを若い人たちに教える方法を考えることができた。だから病気をしたのはかえって幸いだったと思っている」と、クーバーさんは言う。
 サッカーに復帰したクーバーさんは、5年間の研究をもとに、若い選手を育てる指導法の開発と普及に情熱を燃やし、いま欧州で高い評価を得ている。自国のオランダだけでなく、西ドイツやデンマークやアメリカのコーチたちに、その指導法を教えてまわっており、各国の協会やクラブから引っぱりだこで、4月から11月までは、スケジュールが、ぎっしりだそうだ。12月は、寒さのため戸外の指導ができないので、トヨタ・カップを見にくるひまができた――ということだった。
 クーバー方式の指導法は、相手をドリブルで抜く(打ち負かす)技術から始まる。名選手の技術をやってみせるのが、まず第一歩で「スタンリー・マシューズからマラドーナまで」とご本人がいうように、その間の名選手のフェイントを、巧みにまねして見せる。ペレやベッケンバウアーやクライフの技術が、みな手の内にはいっている。
 まず、ゆっくりやってみせ、ゆっくりやらせる。次に早くやってみせ、早くやらせる。さらに相手をつけてやる、シングルからダブルへと変化をつけて複雑にしてやる、2種類以上の技術を組み合わせる、というように段階を追ってやってみせる。すでに59歳だが、年齢を感じさせない切れの良さで、まず自分でやってみせるところが、すばらしい。
 それぞれの技術をマスターするためのスモールゲーム(少人数でのゲーム)が用意されている。これが大きな特色である。スモールゲームの規模は、最初は1対1、2対2というような少人数で、習熟するにつれて広げていく。「そうすれば、しだいに、5メートル先、15メートル先が見えるようになり、戦術的能力が身につく」という。
 ほとんどの練習が、1人に1個ずつボールを持ってする技術練習である。「まず技術をマスターすることだ。体力作りは、ボールを使う練習の中でもできる。とくに若いうちに技術をマスターしなければ、サッカーの楽しさを知ることはできない」というのが持論である。
 このクーバーさんの、まったく新しい練習法は、たくさんの写真を使った本になっており、すでに6カ国で訳されている。また4時間のビデオにもなっている。本の中には、75種類の技術と350種類の練習法が収録されている。
 「私の本の日本語版を出して欲しい。ビデオの方は、君のところに送るようにしよう」
 クーバーさんは、こう言い残してトヨタ・カップの翌日に、オランダヘ帰った。

パーソナリティーとは
日本に欠けているのはこれだ、とクーバーさんは指摘

 「日本のサッカーに欠けているものはただ一つ、パーソナリティーだけだ」
 オランダから来て新しい指導法を公開したウィール・クーバーさんはこう言っていた。
 クーバーさんは、12月6日に東京巣鴨の三菱養和スポーツクラブで日本サッカー協会のコーチャーズアソシエーションのメンバーを相手にデモンストレーションをした。このときは、帝京高校の選手たちがモデルになってくれた。
 翌7日には筑波大学でデモンストレーションをした。このときは風間八宏君など全部員が参加した。そして8日から3日間、帝京高のコーチをした。
 「日本の選手たちは実にすばらしい。すでに相当の技術がある。頭もいい。態度も立派だ。いま、オランダにも西ドイツにも、これだけのすぐれた若い選手は揃っていない」
 クーバーさんは、日本の選手のレベルを、非常に高く評価した。
 「これだけの素材があり、環境もよく、経済力もある。適切な指導をすれば、少なくとも4年のうちに、少なくともアジアのトップになる。簡単だよ」
 とクーバーさんは保証した。
 ただし、欧州や南米のプロのトップレベルに並ぶためには、欠けているものがある。それは「パーソナリティーだ」と言う。
 クーバーさんのいう「パーソナリティー」とは「試合を支配する人間的迫力」とでもいったらいいだろうか。局面、局面に応じて、もっとも適切な判断をし、もっとも適切にボールを動かし、味方を動かすことのできる能力である。これは、技術や戦術やインテリジェンスやハートだけの問題ではなく、それらを全部ひっくるめた人間そのものである。
 「ペレ、ボビー・チャールトン、ベッケンバウアー、アルディレスにはパーソナリティーがある。マラドーナには、可能性はあるが、まだ試合を支配するほどのパーソナリティーは確立されていない」という表現で、少しは理解していただけるだろうか。
 「日本を含めてアジアのサッカーでは、パーソナリティーが育たないようだ。礼儀正しく、つつましいのは社会生活では美徳だが、グラウンドでもそうしていては、パーソナリティーは育たない」
 それでは、どうすればパーソナリティーが育つのだろうか。
 まず第一は技術である。技術があって、ボールを支配し、相手を支配し、試合を支配することができるようになれば、自信がふくらみ、パーソナリティーが育つ。
 「ペレは小さな子供のとき、裏通りのハダシのサッカーの王様だった。小さなクラブの少年チームでも、その中の王様だった。サントスにはいって2軍にはいれば2軍の王様だった。いつも恐れることなく、自信満満でプレーしてパーソナリティーが育って、ついに世界の王様になった」
 筑波大で風間八宏君を見て、こう言った。
 「こういう若い才能のある選手に機会を与える。オーケー、きょうのゲームはお前にやる、好きなように試合を動かしてみろ、という。そうやって勝ったら、どんなに自信がふくらむだろうか。そういう経験によってパーソナリティーが育つんだ」
 日本のサッカーの弱点を、ぐさりと突いた指摘だと、ぼくは思った。
 できれば、3月の末から4月にかけて、クーバーさんにもう1度、日本に来てもらいたいと考えている。

プロサッカーヘ前進
正力松太郎翁の雄大な指示から出発した読売クラブ!

 日本リーグで読売クラブが優勝した。創立15年目の初優勝、クラブ組織のチームが大企業のチームを抑えた意義ある優勝である。クラブ創立当時の事情を知っているぼくとしては、感慨無量だ。
 あれは、確か昭和43年、メキシコ・オリンピックの年の12月だったと思う。
 当時、日本テレビの運動部副部長だった笹浪昭平氏(現在、読売クラブ強化担当)と読売新聞社事業本部の村上徳之総務が、日本サッカー協会の野津謙会長、小野卓爾理事を、有楽町駅前、そごうデパートのある読売会館の8階の読売新聞社主室に連れていって、日本のプロ野球の父といわれた正力松太郎氏に会ってもらった。
 正力翁は、かねてから「日本にもサッカーのプロを」との考えだったので、それを具体化するため、協会の野津会長と小野理事から「プロの母体となるべきサッカークラブを読売で創設してもらいたい」と、頼んでもらったのである。ぼくの知る限りでは、この考えを推進したのは笹浪氏で、正力翁と協会首脳部を会わせるようにしたのは、村上氏だったということだ。
 サッカークラブには、まずグラウンドが必要だ。
 「グラウンドは、どれくらい必要なのか」
 と正力翁がきいた。
 「イギリスのロンドン郊外には、100面以上のサッカー場のあるところがありますな」
 と野津会長。
 「それでは、100面のグラウンドを作るように」
 と正力翁。
 これには、グラウンドの敷地を提供することになっていた“よみうりランド”の首脳があわてた。
 「いや、とても、そんなには土地はありません」
 「土地が足りなければ買いなさい」
 東京近郊でサッカー場100面の土地を新たに買い入れることは、もとより不可能に近い。しかし、正力翁の構想の雄大さに、みんな打たれた。
 その結果、いま読売クラブの練習グラウンドであるとともに少年サッカーのメッカになっている「読売サッカー場」の4面のグラウンドができた。そのうちの1面は陸上のトラックを兼ねていたが、現在はテニスクラブになっている。
 さて、クラブには指導者と選手が必要である。
 ヨーロッパのクラブ組織を知っていて、チーム作りに実績のある人に協力してもらうことになり、西ドイツで勉強し、また東京教育大学の監督として全国大学選手権に優勝した成田十次郎氏(現筑波大教授)にお願いすることにした。これは、ぼくが、目白の成田氏のお宅にうかがって趣旨を説明し、教育大から、まず柴田宗宏君(現埼玉教員クラブ監督)、ついで田村脩君(現福岡大監督)にコーチ兼選手として来てもらった。成田氏には、のちに読売クラブの初代監督になっていただいた。
 東京リーグの2部(B)からスタートし、東京リーグ1部(A)、関東リーグ、日本リーグ2部、1部とあがって、15年目の初優勝。その間にいろんなことがあったけれど、とても、ここには書き切れない。ともあれ、今回の優勝は、正力翁の指示したプロサッカーヘの大きな前進だと、ぼくは考えている。


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