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サッカーマガジン 1984年3月号

ビバ!! サッカー!! ワイド版

高度な審判技術上の問題
警告にとどめておくことも審判の裁量の範囲内

帝京の勝因は?
選手のハートを燃やす名監督の手腕と地元の大観衆!

 高校サッカー決勝戦の日。国立競技場の中にはいって見上げたら、スタンドが、ぎっしり超満員にふくれ上がっているのに、びっくりした。
 千駄ヶ谷の駅から来る途中にも、また競技場の門の付近にも、まだ何千人もの人が、あふれていたのに……。「これは大変だ。はいり切れないんじゃないか」と心配したら、やっぱり、スタンド下では、高体連(高校体育連盟)の先生が、消防署の人と深刻な顔で協議していた。
 入場券を持っているお客さんがはいり切れないのは困るけど、こんなスーパー人気になるなんて、誰も予想できなかったものねえ。
 人垣の壁のようなスタンドを見上げて、テレビ解説でおなじみの元ブラジルプロ、セルジオ越後君が、ユニークなことを言った。
 「これで、帝京がちょっと有利になったかな」
 実は、ぼくも「ひょっとしたら帝京が勝つんじゃないかな」と思っていた。
 ぼくが、そう思った根拠は、いくつかある。
 一つは、帝京の古沼監督が、大会前から「とても無理ですよ。がんばってみるだけです」などと控え目なことを言っていたこと。ぼくの長年の経験によると、この先生がこんなことを言うときは、実はひそかに隠し持っている何かがある。
 次に「清水東断然有利」の声が強かったわりに、実は選手一人一人の能力には、そんなに違いがなく、むしろ帝京の方に上まわる点があること。両チームを通じて、平岡和徳君がナンバーワンの素材だといえるし、帝京の守りが強いことは、準決勝の韮崎戦で充分に証明されていた。
 それに、清水東には、1、2年生が何人もいて、それが帝京の3年生と当たることになる。決勝戦のふんい気の中で、この経験と年齢の差は大きい。
 もう一つ。清水東が大量得点で勝ち進んできていること。静岡県大会の決勝は6−1、全国大会にはいってからも浦和市立に9−0という試合をしている。これは確かに、攻めの強さを示すものではあるが、同時に得意の攻めの手の内を、すべてさらけ出すことにもなる。
 帝京の方は、点差をあけたこともあったけれど、内容的にはパッとしない試合をしのぎながら勝ち進んできた。しかし、これは小沼監督のいつもの手で、こういうときの帝京はこわい。古沼監督は、選手のハートを冷やしたり、こがしたりする名人で、ここぞと思うときに燃やし尽くすための手を尽くしてくる。今回は、決勝で清水東と当たったときに選手のハートを燃やし尽くそうと、少しずつ暖めてきた感じである。そんなことをして、途中で負けたらどうするんだ、という意見もあるだろうが、そこに賭けるのが勝負師である。
 以上のようなわけで。ぼくは「まず五分五分」とみていた。五分五分のカードが、超満員のスタンドに囲まれて行われれば、地元であり、3年生の多い方が有利である。
 結果は、ぼくとセルジオ越後が考えた通りになった。
 とはいえ、清水東が勝っても、まったく当然だった。
 勝負は、最後には運である。

五丁森君に敢闘賞を
すばらしい決勝ゴールを守ったスイーパーの好プレー!

 決勝戦の前半21分、帝京があげた決勝ゴールのすばらしさについて、まず、書き留めておきたい。
 左サイドからドリブルで攻め上がった平岡が、ファーポストの前に約25メートルのななめの浮き球をあげ、そこへ前田が走り込んでハーフボレーで決めたものだが、これを単なるゴール前への放り込みの成功と思ったら、とんでもない見当違いである。
 試合の立ち上がりは、スピーディーにパスをつなぐ攻め合いで、清水東のリズムだった。
 10分くらい過ぎてから、そのリズムを帝京の方が、トーンダウンさせはじめた。
 これは主として、スイーパーの五丁森と中盤の平岡の力である。五丁森は浮き球の処理がうまく、清水東の攻めをインターセプトして、ヘディングやボレーでも確実に味方に渡した。それを受けた平岡は、攻めを焦らず、適切にキープし、適切につないだ。貴重な1点は、こうしたトーンダウンの中から生まれた。
 ヘディングでクリアされたボールが、三つのパスでつながって、左サイドの平岡に渡った。平岡にパスを渡したのは、そのあとシュートを決めた前田である。
 前田は、ボールを渡したあと、右サイドへ走り出た。その動きを、平岡は、ドリブルしながら、視野の中に入れていた。テレビのビデオで見たら、前田は右サイドへ走り出ながら、ちらりと平岡の方を振り向いている。試合のあとで平岡君が「目と目があった。いつものパターン」と話したのと符合している。そして平岡から前田へと絶妙のパスが出た。ハーフボレーでけり込んだ前田のシュートも、またすばらしかった。
 繰り返して言いたい。
 このゴールは、決して、ゴール前への放り込みの成功ではない。
 守備ラインから始まるチーム全体のリズム作りの中から生まれたものであり、平岡の技術とインテリジェンスを中心とする組み立ての成果であり、燃える個性が一つにつながったチームプレーの勝利だった。
 そのあと、この1点を守って清水東の攻めをしのぎにしのいだ帝京の守りもみごとだった。
 もともとはウイングの大橋が、清水東のエース大榎のマークに起用され立派に大役を果たしたのが、最高殊勲だが、スイーパー五丁森の功績も大きい。ボールの来るところ、来るところにかけ寄り、確実なボレーキックでピンチを再三にわたって救った。
 この五丁森は、前日の準決勝でも韮崎の死力を尽くした反撃をはね返す原動力になっている。
 ところが、決勝戦の後半になってから最終決定する大会優秀選手30人の中に、五丁森崇人の名前がなかった。これには驚いた。
 これは、どういうわけだろうか。
 優秀選手を選ぶ高体連の技術委員の皆さんにお願いしたい。
 どうか、先入観にとらわれずに、グラウンドのプレーを素直に見てください。スタンドのファンが感動しているプレーに素直に感動してください。
 五丁森君には、ぼくが誌上で敢闘賞を贈ることにする。
 編集長殿、どうか、このページに五丁森君の写真を載せてください。

GK退場への論評
最高の大会の中での残念な出来事。不適切な発言も…

 清水東は、高校チームとしては最高の芸術品だった。
 菲崎が、ハイスピードの中で粒揃いのボールコントロールを見せたのに驚嘆した。
 四日市中央工が、負傷者を抱えながら、城雄士監督の作戦手腕で、清水東に勝負を挑んだ準決勝の試合も見ごたえがあった。
 愛知もなかなか、いいチームだった。とくに中盤の佐藤健司君の配球能刀は抜群で、それを生かそうとした試合運びに特徴があった。
 本当に、高校サッカーには、すばらしいことかたくさんあって、書き切れない。
 だから、いいことばかりを書きたいのだが、残念なことにも触れないわけにはいかない。なぜなら、今度の大会を動かすほどの重要な出来事だったからである。
 それは、3回戦の清水東−島原商でのゴールキーパーの退場である。
 ことのいきさつを詳しく書く必要はないだろう。退場になった選手はそのマイナスを思い知っただろうし先生にも叱られただろう。これはスポーツの場での、スポーツのルールの範囲での出来事であり、社会問題じゃない。これで充分である。
 ただ、ジャーナリズムの立ち場から、付け加えて説明しておきたいことがいくつかある。
 あの出来事について、テレビや新聞の報道ぶりは、一般に選手に甘くて審判に厳しいように受けとられたようだ。
 しかし、これは、若い選手をあれ以上傷つけないように配慮した結果であることを、当事者に知ってもらいたい。
 審判員の方は、すでに立派な大人であり、国際審判員の肩書きも持っている専門家なので、一人前に扱われたわけである。
 ぼくは、この試合を直接見たわけではないが、テレビで見た限りでは退場させられても、やむを得ない行為だった。ぼくの周辺には、故意かどうかを問題にする人もいたが、人の心の中までのぞけるわけじゃないので、審判員に、故意と受けとられるような行動をすれば、故意とみなされても仕方がない。狭い意味での審判の技術上の問題としてみれば、主審はよく見ていたし、勇気をもって処置したと言えるだろう。
 しかし、高度な審判技術上の問題としてみれば、あれを「警告」にとどめておくことも、審判の裁量の範囲内だったのではないか。ひょっとしたら、それによって、大会屈指の好カードを、最高のゲームにすることができたのではないか。
 これは、むつかしい問題なので、ここでは、これ以上論じないことにするけれど、シャクシ定規なものの考え方は、サッカーの精神に合わないと、ぼくは思う。
 主審が「小学生でも国際試合でもルールは同じ」と語ったという報道があったが、事実そう発言したのなら不適切である。ルールは一つでも適用の仕方は情況によって違うのだし、こういうケースで、審判員は外部にコメントしてはならない。
 「審判も教育者であるべきだ」と言った人がいるという報道もあったが、これも適切でない。教育的配慮は、グラウンド外ですればいい。
 「相手が先に仕掛けたのに……」などといったとすれば論外だ。相手が仕掛けたのに対して報復したのなら、文句なしに退場である。


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