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サッカーマガジン 1982年2月号

フラメンゴが圧勝。世界一の座に
リバプールはいいところなし
頼みのダルグリッシュも不発に終わる   (2/2)

ロサンゼルスで寒さ対策
 フラメンゴは、なぜ勝ったか? 
 いろいろな理由が考えられるけれども、そのうちのいくつかを、順を追ってあげてみよう。 
 まず第一に、フラメンゴは、この東京決戦のために、リバプール以上に良い準備をしていた。 
 来日したときの記者会見で、リバプールのペイズリー監督は「フラメンゴについては何も知らない。ジーコに対しても特別な対策は考えていない」と語った。 
 一方、フラメンゴのカルペジアーニ監督は「リバプールについては、多くの情報を集め、試合のビデオテープも見た。これは必ず役に立つと思う」と事前の情報収集を怠らなかったことを明かにした。 
 リバプールが、欧州チャンピオンになったのは、半年以上前の5月だったのに対し、フラメンゴが南米チャンピオンに決まったのは20日前だった、という事情はあるが、フラメンゴが情報戦で、まず勝ったことは明らかだ。 
 リバプールは寒いイギリスから来たのに対し、フラメンゴは夏の南半球から冬の日本に来た。気候の点では、フラメンゴが不利だったことは明らかだ。 
 その上、リバプールは試合の3日前に来たのに対し、フラメンゴは2日前だった。時差ぼけを解消するためにも、気候に慣れるためにも、これはハンディじゃないかと思われた。         
 ところが、これはフラメンゴの計算のうちにはいっていた。
 フラメンゴの来日が遅れたのは、実はロサンゼルスに2泊して調整をして来たからだった。このころロサンゼルスの気温は12度前後、少し寒さに慣れてから、もっと寒い日本に来ようというわけである。フラメンゴが到着した日の東京は、すごい寒さだったが、翌日の初練習はぽかぽか陽気、これが試合当日も続いて気温11.4度だった。東京がロサンゼルス並みの暖かさになったのはフラメンゴにとって幸運だったが、それなりの準備をしたかいがあったといっていい。
 ロサンゼルス2泊は、時差の点では不利だが、実はフラメンゴは、時差をあまり気にしないでいい理由があった。ブラジルでは、ウイークデーの試合は夜の9時過ぎに始まり、深夜12時近くに終わる。東京とは時差12時間だから、正午キックオフのトヨタカップは、実はたいして違いがないわけである。

明暗を分けたグラウンド
 事前の準備でフラメンゴの方が勝っていたわけだが、勝敗を分けた直接の原因は、もちろん、技術と戦術にある。
 両チームの技術のタイプがまるで違うことは、前日に国立競技場での練習を見ただけでも明白だった。
 リバプールの選手たちは、ボールを一度ぴたりと止めて、それから次の仕事をしようとした。イギリスのグラウンドは軟かく、雨や雪でぬかるむことが多い。そのために、確実にボールを止めてから処理しようとする習慣がついている。
 一方、フラメンゴの選手たちは、最初にボールにさわったときのタッチで、一仕事しようとしていた。相手に厳しくマークされているときは無理な態勢でボールを受けなければならないから、ワンタッチだけで仕事をしようとすれば、ミスが出る可能性は大きくなる。したがって、かなり高度な個人技が必要になる。ブラジルの選手たちは、無理な態勢でのボール扱いに自信を持っているから、ワンタッチでの一仕事を狙えるわけである。これが成功すれば、鮮やかに脱け出せる。
 無理な態勢で、素早く一仕事するには、グラウンドが固くて、踏んばりがきく方がいい。片足でボールを処理し、片足でバランスをとってスタートするのは、足もとがぐらついていては難しい。
 国立競技場のフィールドは、芝生の状態が比較的良く、平坦で固かった。
 だから練習に来たときに、リバプールの選手たちは「ちょっと固いな」と渋い顔をし、フラメンゴの選手たちは「これはいいや」と喜んだ。ぺイズリー監督は「フィールドの状態をいい訳の材料にするつもりはない」といっていたが実際には、これがそのまま試合の明暗を分けた。
 フラメンゴは、中盤のパスはほとんどワンタッチでダイレクトにつなぎ、壁パスを使って攻め込んだ。
 「少ないタッチでボールをまわして欧州の激しい当たりを避けた。その結果、有利な状況が作られ、私たちは試合ぶりに価する勝利を得た」とジーコが話していたが、まったく、そのとおりだった。
  こういうサッカーが成功するには固いグラウンドと個人技のほかに、もう二つ条件がある。
 それは、一瞬の判断力と、2人、3人のコンビである。

ヌネスは殊勲賞、技能賞にアジリオ
 ジーコがボールを取る。ワンタッチで一仕事するには、周りが見えていることと、ボールを受けたときの一瞬のひらめきで、最善のパス選択する判断力が必要である。これがサッカーの“インテリジェンス”である。こういう高度なサッカーで、決定的に勝負を分けるのは、こういうインテリジェンスであることを、ジーコは、まざまざと日本のファンに見せてくれた。これは今度のトヨタ・カップの大きな収獲だった。
 最優秀選手賞は、日本人記者の投票で決めたが、ジーコ22票、ヌネス19票、アジリオ1票。ゴールキーパーのラウル1票だった。ジーコが選ばれたのは、当を得たものだった。   
 次点のヌネスが「足のいいやつ賞」を得たのも順当である。2ゴールをあげた個人技もさることながら、ジーコとの息の合ったコンビが、すばらしかった。
 ジーコとのコンビは、アジリオも見事だった。ジーコが必要とするポジションに、すばやく動いて、壁パスの壁になった。ジーコがボールを取ったとき、どこヘパスが出るか相手には分からない。しかしヌネスとアジリオには分かっているという感じである。ヌネスは殊勲賞、アジリオは技能賞というところである。
 もう一つ、つけ加えれば、センターバックのマリーニョとモゼルには敢闘賞をやりたかった。
 このフラメンゴほど、攻守に好選手の揃ったいいチームは、めったに見られるものではない。
 日本のファンにとって、もの足りない点があったとすれば、ジーコ自身のゴールが見られなかったこと、それにリバプールが欧州チャンピオンらしい良さを見せられなかったことだろう。
 リバプールのペイズリー監督は、「選手たちが、精神的にも肉体的にも、なぜ、あんなに不調だったのか埋解できない」といっていた。
 しかし、完敗の原因が一つは考えられる。それは相手に関係なく自分たちのサッカーをやろうとしたからである。ゾーンで守り、マンツーマンのマークをしないのがイギリス流だといっても、中盤でジーコに自由にボールにさわられては、そのあとの攻撃を抑えるのはむずかしい。
 1点目は、トンプソンのヘディングが届かなかったというミス、2点目はゴールキーパーがファンブルするというミスがあり、ペイズリー監督は「考えられないミスだ」といっていた。しかし、どちらもジーコの技量が、リバプールの選手を上まわっていたから起きたミスだった。

大成功!世界45カ国で放映
 トヨタ・カップは世界のスター選手を招いて行われる単なるエキジビションとはわけが違う。欧州と南米のチャンピオン同士が対決する、世界一を賭けたタイトルマッチだ。
 これは、1960年以来の歴史を持っているが、地元ファンの熱狂の行き過ぎや、経済的事情や、日程のつごうで、ホームアンドアウェーによる開催は、行きづまりかけていた。
 それをトヨタの援助によって、第三国の日本で、1回だけの決戦で行うことにしたのが、このトヨタ・カップである。
 したがって、このエベントには、他の国際競技会とは違う重味がある。このことが、日本での2回の開催の成功で、ようやく国内でも理解されて来たようだ。今回のトヨタ・カップは、日本テレビの作った映像で、15カ国の生中継をはじめ、45カ国で放映された。国立競技場の天井サ敷の放送ブースで、バベルの塔さながらに、各国のアナウンサーが競演したのは実に壮観だった。
 この日、一日だけは、東京が世界のサッカーの首都になっていた。

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