トヨタ・カップ万歳
“本物”にお金を出した大企業に日本サッカー大賞を
恒例により独断と偏見による「日本サッカー大賞」の1981年の表彰を行いたい。毎年のことながら、この賞には賞品もトロフィーもなくサッカーマガジン編集部は、毎月と同じスペースの中で、この大賞の記事を書くことを認めてくれるだけである。したがって、日本サッカー大賞を選考するにあたって、ぼくは大衆の声なき声に耳を澄ますだけで、他のいかなる権威にも、わずらわされることはない。
「今回は、やはり200ゴールの釜本邦茂クンだろうな」
と例によって友人がいう。
うむ。確かに釜本は偉大ではあるが、彼は読売新聞の日本スポーツ賞サッカー部門に、日本サッカー協会から推薦され、トロフィーをもらうことになっている。二重三重に表彰するのは、この大賞の権威にふさわしくない。
「すると何だな。日本リーグでフジタを優勝させた、例の審判にやるんだな?」
バカモーン。弱い立ち場の者に対して、トゲのある意地悪みたいなことは、この大賞の趣旨にそぐわないのダ。これまでの受賞者を見よ。権力と地位だけを持ち、サッカーを見る目のない連中が見落としている功労者を、きちんと取り上げている。
1978年――アルゼンチンのワードルカップを中継したNHK。
1979年――ワールドユースで見事な応援をした日本の観衆。
1980年――西ドイツのプロでがんばる奥寺康彦クン。
さて、1981年の日本サッカー大賞は?
「ジャジャーン」
プロサッカーの世界一決定戦、いわゆるワールド・クラブ・チャンピオンシップ、南米と欧州の真剣勝負――トヨタ・カップを日本に持って来てくれた世界的大企業、トヨタ自動車工業株式会社を、ここに表彰するものでありマース。
トヨタ・カップは、エキジビションとは違うのダ。テニスのマッケンローやクリス・エバート・ロイドが日本に来て、ウインブルドンや全米オープンのプレーの切れっぱしだけをチラリと見せるのとは、ワケが違うのダ。これはテニスでいえばウインブルドン、ゴルフでいえばマスターズそのものなのダ。
この試合を日本に持ってくるために大金を出してくれたトヨタに、ぼくは大いに感謝している。ただ、トヨタ自身、その価値を本当には理解していないフシもあるようなので、世界クラブ・カップの代名詞としてトヨタ・カップの名前が定着するよう、いつまでもがんばってもらいたいと思って、ヨイショと持ち上げるわけである。
ところで、前回のワールドカップを中継して「日本サッカー大賞」を受賞したNHKさん。いよいよスペインですぞ。
審判に言い訳なし
主審はノー・コメントで押し通さなくちゃいけない
人間、だれしもミスはある。ミスと悪事は、まったく別である。悪いことをしたやつは、やっつけなきゃあいけないが、ミスは勘忍してやらなくちゃいけない。ま、ミスを繰り返さないように、手を打つ必要はあるけどね――。
ここまで前口上を述べたら、カンのいい同僚が
「ははあ、また、ヘボ審判の弁護だな」
ときた。
そう、そのとおり。話は11月22日、日本リーグの優勝が決まった名古屋・瑞穂球技場の読売クラブ対フジタ工業クラブの試合である。
ぼくは、この試合を直接見てはいない。テレビの中継をちらちら見たのと、名古屋まで行って見て来た同僚の話を聞いただけである。
問題の場面が二つあった。
一つは後半なかばの40分。読売クラブがゴール前へあげたロビングをフジタのディフェンダー野村が、右手を頭上にあげてたたき落とした。ペナルティーエリアの中である。しかし主審はペナルティーキックをとらなかった。
主審が笛を吹かなかったのは、おそらくハンドリングが見えなかったからだろうと思う。見落としたのはミスであるが、ミスなら、勘忍してやるより、しょうがない。
見えてたのに笛を吹かなかったのだとすれば、これは見て見ぬふりである。試合は0-0。そのままならフジタの優勝、読売クは勝てば初優勝。狭いスタジアムに超満員のお客さんがいて応援合戦もすごかった。この雰囲気におびえて「ペナルティーキックを避けた」のであれば、一流の審判員としての資質はない。そういう人を、大事な試合の主審に選んだ審判委員会のミスである。
ところが、現場で取材した同僚の聞き込みによると、主審は選手に対して、「故意のハンドリングじゃないから、とらなかった」と説明したんだそうだ。
これは困ったものである。
ルールとその解釈についての説明は、ここでは省略するが、ああいう明白なハンドリングが今後の試合で起きたとき、すべて「故意でない」として、とらないつもりだろうか。
審判員は、ミスで反則を見逃したとしても、絶対に言い訳をしてはいけない。ノーコメントで押し通すべきである。
もう一つ、試合終了寸前に、読売の与那城が、相手のバックパスを横どりしてゴールしたら、オフサイドをとられた。この場面についても解説したいところだが、誌面のスペースがなくなった。
次の機会に……。いや、こんな問題をとりあげる機会は、もう2度とあって欲しくないものである。
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