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サッカーマガジン 1982年1月号
ビバ!! サッカー!!

ヨーロッパかけ足旅行
サッカーには目をくれないで旅をしようと思ったが…

 さる10月の初めに、ルーマニアヘ行ってきた。9日間の短い旅である。
 旅行の目的は、国際スポーツ情報会議出席で、サッカーとは、まったく関係ない。勤め先から無理に休暇をもらって出かけたので、せっかくのヨーロッパ行きではあるが、サッカーには、目をくれないで、まっすぐ行って、まっすぐ帰ってこようと固く決心していた。
 しかし、である。
 外国へ行って、サッカーが目にはいらないなんてことは、あり得ないのだ。
 ユネスコ(国連教育科学文化機関)につながっている国際スポーツ情報会議が開かれたのは、ルーマニアの首都ブカレストから40キロほど離れた、スナゴフという村だった。
 見渡す限りのトウモロコシ畑があって(もう取り入れを終わっていた)その間にジンボビツァ川の取り残した三日月湖が、点々とある。そのうちの一つの湖のほとりに、緑に囲まれたスポーツセンターがあって、そこが会議の会場だった。スポーツセンターの合宿所に宿泊して、小体育館みたいなところで会議をした。会議場の前に、ポプラ並木に囲まれた芝生のサッカー・グラウンドがあった。
 会議の2日目。やって来たバスからおりてきたのは、なんと、サッカーのルーマニア代表チームの選手たちだった。
 監督は気さくな人で、英語で立話に応じてくれた。
 「土曜日にワールドカップ予選のスイスとの試合が地元であるんだけどね。選手たちの調子が、いまひとつなんだ」 
 ルーマニアは、イングランドやハンガリーと同じ大激戦の欧州第4組で、この時点では、スイスとの2試合を残して、もっとも有利な立ち場にあった。
 練習ぶりも拝見したが、たしかに監督さんのいう通り、選手たちのプレーの切れは良くなかった。しかしまさかホームでスイスに負けるとはね。10月10日、地元ブカレストの10万人の応援の前で、1−2の逆転負けを喫したという悲劇的なニュースを、ぼくは日本に帰ってから聞いた。
 さて、帰りは飛行機便の都合でブカレストからウィーンまで国際列車で出た。途中、ハンガリーのブダペストの付近では、汽車の窓からサッカー・スタジアムが、いくつも見える。「さあ〜すがあ」である。
 ウィーンでは、決心を変更してサッカーを見に行こうと思ったら、あいにく試合がない。タクシーの運転手が「来週の水曜日に西ドイツとのワールドカップ予選があるので、今週は国内試合はやめて、選手を休ませているのだ」と説明してくれた。
 というわけで、サッカーを忘れて外国旅行をするなんてことは、到底不可能なのである。

国際スポーツ情報会議
日本にも、早くスポーツ情報センターを作らなければ

 ところで、ルーマニアで開かれた国際スポーツ情報会議についても、ちょっと、お話したい。
 ユネスコの下に、イクスペ(国際スポーツ体育評議会)というのがあって、そのまた下にイアシ(国際スポーツ情報協会)という組織がある。今回の会議は、このイアシの主催で37カ国から80人が出席した。
 だいたいが、体育学者やスポーツ連盟の情報センターの専門家が出てくる会議で、ぼくのような新聞記者が、なけなしの財布と休暇をはたいて、のこのこ出かけたのは、われながら物好きといわざるを得ない。しかし、勉強にはなった。
 世界の多くの国には、それぞれスポーツ情報センターがある。国によって、やり方は違うようで、西ヨーロッパの国では、主としてスポーツ科学の論文を集めて整理している。アメリカやカナダでは、一般の雑誌記事なども集めて、コンピューターで整理している。社会主義国のスポーツ情報センターは、海外の情報を集めて、国内のコーチや研究者に提供することに力を注いでいるようである。
 たとえば中国では、6カ国語の専門家が、それぞれ重要と思われるスポーツの文献を選んで翻訳し、週刊と月刊の雑誌の形にして、国内に配布している。
 日本のスポーツ界は、どうも、こういう海外の情報収集能力が弱いようで、名古屋五輪招致が大失敗を演じたのも、そのためじゃないかと思う。
 それは、ともあれ、今回の会議では、こういうスポーツ情報システムのコンピューター化と、それにともなう国際スポーツ情報システムの整備が大きなテーマだった。
  アメリカやカナダでは、すでにコンピューター化したスポーツ情報を商業的に公開している。これは、日本からも国際電話回線を使って引っぱり出す(検索する)ことができる。
 日本の専門家に頼んで、ためしにカナダのコンピューターから、サッカーについての文献リストを出してもらうことにした。
 「サッカー」というキーワードで探すと、まず2000件の文献があることがわかった。これを全部出してもらったら、国際電話料金だけで破産しちゃうから、さらに「ワールドカップ」というキーワードを加えた。そうすると27件になった。さらに「ヒストリー」を加えると16件になった。
 つまり、サッカーのワールドカップの歴史についての文献がこのコンピューターの中に16件はいっていた。このリストを出してもらって、電話料金とも経費3万円也。
 日本にも、早くスポーツ情報センターを作らなくちゃいけない――と、いうのが、ぼくの結論である。


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