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サッカーマガジン 1980年2月10日&25日号

第59回天皇杯全日本選手権・総評
攻守のバランスのとれた
       フジタ時代の幕開け   
  (1/2)   

 フジタの2冠か、三菱の2連覇か――元旦の天皇杯決勝は、きわめて対照的な二つのサッカーの対決だった。三菱の逆襲速攻のサッカーが1970年代を締めくくり、フジタの個人技のサッカーが1980年代への方向を示していた、といっては、こじつけだろうか。結果は2−1でフジタが2年ぶり2度目の優勝。終わってみると、それはあまりにも当然だという気がする。

速攻の三菱、力尽きる
 暖かい日ざしが、冬枯れの芝生いっぱいに注いでいた。1年前の天皇杯決勝も、同じように、お天気に恵まれたのを思い出す。あのときは、三菱が東洋を破って3冠をとった。その三菱は、1979年度のリーグでは7位に低迷したのに、天皇杯では再び浮上して決勝に進出してきた。「やっぱり底力はあるんだな」と思う。
 フジタの決勝進出。これは当然である。リーグでの試合ぶりは、もっとも安定していた。バランスがとれていた。攻撃と守備とのバランス、個人技と速さのバランスが良かった。この安定した強さは、一発勝負の連続である勝ち抜き戦の天皇杯でも、めったに崩れるものではない。
 しかし、決勝戦となると、話が別だ。相手も力のあるチームであり、勢いにのって進出してきている。決勝は力と力の激突であり、そこでは予想外のことも起きやすい。
 国立競技場のスタンドに観衆は1万5千。前年は同じくらいの入りで2万と発表されたが、ことしは協会発表がちょっと控えめのようだった。
 午後1時35分、三菱がキックオフ。すぐボールが左サイドに出て、関口が攻め込む。それを古前田が体当たりで止めた。
 「フジタも気負っているな」という感じである。
 このフリーキックから、早くも三菱のゴールがはいった。
 加藤が左サイドをドリブルで攻め込む。ボールはいったんバックに当たったが、内側にはね返ったのを再び拾ってもち込み、ゴール前、逆サイドへ送球、そこへ右から尾崎が飛び込んでシュートした。
 この尾崎のゴールは、みごとだった。加藤のセンタリングをクリアしようと身構えたフジタのバック、原の鼻先へ走り出て勝負した。
 先手必勝とばかり、立ち上がりに気合を入れて鋭く動いた三菱の狙いが、たちまちにして実った形だった。手もとの時計を見たら、試合開始からわずか32杪である。
 ところが、先手必勝にはならなかった。 
 ただちにフジタの反撃が始まる。 
 3分30秒に右コーナーキック。
 上田がける。遠いほうのポストの前で小滝がジャンプする。ボールは、そのさらに向こう側に落ち、植木が左へちょっと持ち出して角度のないところからシュート。左上すみいっぱいにはいった。 
 1−1。試合は改めてスタートするようなものである。
 開始4分足らずのうちに、1点ずつを取り合うような攻め合いになると、だれが予想しただろうか。 
 予想された展開はこうである。 
 フジタが中盤を支配して攻める。三菱は厚く下がって激しく守る。フジタの中盤からの攻めが実るか、三菱の逆襲速攻が成功するか――勝負は後半になるだろう。 
 予想外の立ち上がりの展開で1−1の同点になったあと、今度は一転して、予想どおりの試合になった。 
 フジタは、スイーパーの古前田が中盤に進出して積極的に攻める。チャンスメーカーとして、めざましい進境をみせているマリーニョが奮戦する。 
 一方の三菱は、中盤ではある程度相手にボールを任せなからも、激しく動いてチェックしてパスを制約し、トップのカルバリオには、がんばり屋の鈴木をつけて、きびしくマーくさせた。
 チャンスの回数はフジタのほうが圧倒的に多い。前半のシュート数はフジタ10、三菱3である。
 しかし、手数の多いほうが勝つとは限らないのだ。 
 繰り返し力で切り込んでくるのを防ぎながら、ただ一度繰り出したヤリが相手の急所をえぐることもある。 
 三菱の狙っているのは、まさに、それだった。 
 ただ、勝負か長びいてくると、防ぐのに疲れて、繰り出すヤリの鋭さが鈍ってくる心配もある。 
 後半17分、三菱にチャンスがあった。中盤から藤口が右サイドに出し、加藤が走る。センタリングに尾崎が走り込んでジャンプしながらヘディング。タイミングはぴたりだったが、シュートは弱く、地面に落ちてゴールキーパーにとられた。
 「三菱の力は尽きたな」と思えたのは、その直後だ。
 尾崎のシュートを防いだあとのフジタの逆襲に、三菱の選手たちの戻りが、みな遅れていた。 
 フジタは中盤を支配し、個人技でふりまわしながら攻める。それを追いかけまわし、ボールを奪っては前線への全力疾走を繰り返しているうちに、三菱は疲れ果ててしまったようだ。 

最優秀選手は誰か
 日が西に傾いて雲に隠れ、日ざしがかげってから、フジタの決勝点がはいった。後半36分である。
 右サイドで、マリーニョが、得意の引き技を入れたフェイントで加藤を抜いて置きざりにし、ゴール前へ浮き球を入れる。三菱の斉藤がダイビングヘッドで一度はクリアしたが、ボールは再びマリーニョのところへ戻り、もう一度あげたのが、ゴール前のカルバリオにぴたりと合った。
 カルバリオが胸で落とし、地面にはね返ったところをシュート。三菱の守りがマリーニョのほうへ引き寄せられ、カルバリオはフリーになっていたから、ゴールキーパーの田口にも防ぎようがなかった。
 栗色の髪のマリーニョと、色の浅黒いカルバリオの外人コンビが「やったぞ」と両腕をあげて、こぶしを突き出す。三菱の選手はがっくりと両手をひざに当てて下を向いた。
 三菱は精根尽き果て、フジタは意気ますます盛んだった。勝負は、ここで終わっていた。 
 表彰式――。
 天皇杯を受けに正面スタンドのロイヤルボックスに選手たちが上がっていく。その途中でファンからユニホームをねだられたカルバリオは、気前よく脱いで渡し、上半身はだかで金メダルを首にかけた。
 記者席から、それを眺めながら、ちょっと別のことを考えた。 
 それは「今度の年間最優秀選手の記者投票では、だれに入れようか?」ということである。 
 日本代表チームに格別のことのなかった1979年度だったから、2冠をとったフジタの選手から選ぶのが常識だろう。 
 外人コンビは確かに有効な戦力だった。とくにマリーニョは良かったと思う。2年前の優勝のときとは違って、自分が、がんばってチャンスをつくろう、という意欲が目に見えていた。カルバリオは、2年前ほどめざましい働きではなかったが、この日の決勝点をあげたように、大事なところで点をとっている。 
 しかし、フジタが今回とくに良かったのは、攻撃と守備のバランスである。 
 2年前の日本リーグでは総得点64、総失点15。失点も少なかったが得点の多いことは、過去のどのシーズンと比べてみても群を抜いていた。このとき23点の新記録で得点王になったカルバリオを最優秀選手に選んだのは、ジャーナリストとしては当然だった。 
 2度目の2冠の今回、リーグでは総得点36、総失点15。失点は前回と同じだが得点は大きく減っている。つまり、外人勢の得点力に頼る比重が少なくなっている。それにもかかわらず、安定した力を発揮した点を考えに入れなければならないだろう。
 守りの選手の中から選ぶとすれば、強力なストッパーである主将の今井か、中盤からスイーパーに下がってチームをリードした副将の古前田だろう。とくに古前田は、天皇杯の準決勝と決勝では、積極的に中盤にも進出して攻撃的にプレーした。地味だけれども、2冠の殊勲者は古前田じゃないか。 
 表彰式を見ながら。そんなことを考えた。 
 表彰が終わり、胴上げが終わって、ひと息入れてから、スタンドの下のロッカールームの前で石井監督を囲んでインタビューが始まる。
 「今井と古前田がチームをよくまとめてくれた。今回はチームワークの勝利だった」 
 石井監督も「今度は日本人を最優秀選手に選んでほしい」と言いたげだった。 
 石井監督は、こういう話もした。 
 「夢みたいなこと、と思われるかもしれないけど、代表チームがオリンピックやワールドカップをめざすのと同じように、単独チームとして世界に通用する力をつけたい。そのためには、まずアジアのクラブ・チャンピオンをとるような機会が欲しい。まあ、第一歩としては、韓国のリーグ・チャンピオンとの日韓リーグ定期戦に、まず勝ってみせなければいけませんね」 
 これは、すばらしい初夢だと思う。
 ヨーロッパ・チャンピオンズ・カップや南米のリベルタドーレス・カップを争っているような外国の単独クラブチームと互角に戦うようになるためには、日本リーグにもプロフェッショナリズムを導入しなければならないだろう。これは1980年代の課題である。 
 その現実的な第一歩として、まず韓国のリーグ・チャンピオンに、前回負けた(ソウルで韓国陸軍に0−3)お返しをしたいというのも、なかなかしっかりした考え方である。
 そして、今回は天皇杯チャンピオンに、ジャパン・カップ出場の機会を与えることになったから、フジタは、5月〜6月には、外国のプロに胸を借りる機会を得ることになる。 


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