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サッカーマガジン 1979年11月10日号

独占インタビュー★
アルゼンチン代表監督セサル・ルイス・メノッティ
メノッティ80年代のサッカーを語る
サッカーのプレーにおける
    インテリジェンスとは何か!! 
   (1/2)   

 「メノッティとの独占インタビューをするのに、いくら払ったんだ?」ときいた人がいた。莫大な権利金でも、とられたと思ったらしい。
 とんでもない。インタビューはフリー(無料)である。ワールドカップでアルゼンチン代表チームを世界一に押しあげたセサル・ルイス・メノッティ監督は、ワールドユースで日本に来た機会に、東京の高輪プリンスホテルの一室で、情熱をこめて、日本のサッカーを批評し、未来のサッカーを語ってくれた。
 長い間の実績と努力で、このインタビューの機会をつくることに成功した『サッカー・マガジン』編集部と、機関銃のように飛び出すスペイン語を通訳し、録音テープからこの原稿を作ってくれた世古俊文君に「ムーチャス・グラシアス」とスペイン語でお礼をいっておこう。世古君の通訳の助手を務めてくれた若くて美しい江藤千景嬢にも――。(牛木)

スピードと正確さ
牛木 日本のサッカーにとって、もっとも重要なのは、まず、テクニックのある選手を集めることだ、というお話には、まったく同感ですね。日本でそういう主張をする人も、出てきています。しかし、現実には、テクニックのすぐれた選手が、つぎつぎに出てくる状態には、日本はない。マラドーナやケンペスやアルディレスが出てこないのです。だから、テクニックの劣るところをスピードで、あるいは体力で補って、がんばろうと主張する人も、たくさんいるんです。

メノッティ 私がいつもいっているようにサッカーの発展は、テクニックの上達を通じてのみ行われるものです。体力的なものにはそんなに違いはないものです。ソ連人でも、アルゼンチン人でも、ドイツ人でも、トレーニングを積めばみな体力がつきますよ。人間は、アルゼンチン人であろうと、日本人であろうと、そんなに構造が違うわけじゃありませんからね。アルゼンチンの人間が、日本人よりも強いということはないでしょう? 

牛木 そうですね。 

メノッティ その逆もないでしょう。健康で、ちゃんと食事をとり、トレーニングを積めば、体力的な面で追いつくのは容易なことです。 

牛木 アルゼンチンのチームは、トップスピードの中でも、実に正確にボールを扱う。それ見て、あのスピードがすばらしいと、スピードのほうにびっくりする人も多い。 

メノッティ サッカーのチームは、一つの対象をもたねばなりません。一つはスピードであり、一つは正確性です。ただし、この二つのバランスを、どうとるかが問題です。なぜなら、最大のスピードを出そうとすると、正確性が失われるからです。 

牛木 そうですね。 

メノッティ だから、まず第一には正確性のほうを求めなければなりません。なぜならゆっくりやれば正確性を保てるが、スピードを先に求めれば正確性は失われるからです。 

牛木 しかし、まったくスピードがなくては攻撃はできない。 

メノッティ そうです。スピードがなければ驚きは生まれない。相手を驚かすことができなければ、ゴールは生まれない。しかし、非常に速くプレーすることを要求して、正確性を考慮しなければ……。 

牛木 ボールを相手にとられてしまう。 

メノッティ スピードと正確性のバランスをあやつらなければなりません。急にスピードをあげて、相手を驚かそうとすれば、ある程度、正確性は犠牲になります。しかし、それでも、かなりの正確性があれば、失敗する場合が多いにしても、ゴールをあげるチャンスもあります。逆に、ゆっくりプレーする場合は、ほとんど100パーセント、チャンスを逃さないだけの正確さが要求されます。 

牛木 問題は正確さが先か、スピードが先か、ということなんですが……。 

メノッティ 見本を見せましょう。(手に持っているホテルの部屋のカギを、ゆっくりと通訳の世古君に渡す)。相手をよく確認して、ゆっくりキーを渡せば、相手は確実に受けとることができる(キーをすばやく、渡す)。すばやく渡しても練習を積んでいれば、落とさないで渡すことができますね。しかし、早く渡そうと思って、あわてて放り投げれば、相手はとれないでキーは床に落ちてしまうわけです。いくらスピードがあっても、正確さがなければ、なんにもなりません。正確さがあれば、練習を重ねることによって、ある程度スピードをあげても正確さを保てることがわかるでしょう。 

牛木 なるほど――。 

メノッティ 日本のチームやインドネシアのチームの試合ぶりを見ていると、はじめからスピードをあげてプレーをしようとしているように思えた。そのために、正確さも少なかったし、相手を驚かすことも、できなかったのではないでしょうか。 

牛木 技術が先だということですね。

インテリジェンス
メノッティ それはギターの演奏家がギターを弾くのと同じですよ。ギターを弾く技術を覚えなければ演奏はできません。 

牛木 サッカーはチームプレーだから、ギターの演奏よりも、いっそうむずかしい。 

メノッティ 4人でバイオリンをひこうとするとき、4人の能力は同じではありません。しかし、4人ともバイオリンを弾く技術はもっていなければなりません。4人のうち1人は、とくに上手に演奏することのできる才能の持ち主であるかもしれません。その上で、ハーモニーがつくられ、曲が生まれるのです。はじめは技術です。技術のある者の中から、インテリジェンスのある者が選ばれるのです。サッカーの技術がなくて、すぐれたインテリジェンスのある人は、サッカーの選手じゃなくて、原子物理学の技術者かなにか、ほかの方面に進むでしょう(笑い)。 

牛木 6月にイギリスのトットナム・ホッツスパーのチームといっしょに、アルディレスが日本にきました。彼は身長は168センチぐらいで、近ごろの日本の若者たちより小さいし、体つきも、きゃしゃですね。すぐれたテクニックや体力のある選手が、たくさんいるアルゼンチンで、よく、ああいう選手の才能をさぐり当てて、ワールドカップの代表選手に起用することができたものだと不思議に思っています。 

メノッティ 私はアルディレスを前から知っていて、彼といっしょにいた期間が長かったから、彼の才能はよく知っていたのです。それに、あの場合には、準備のために十分時間がありました。だから彼と過ごした3年間の間に、彼があのポジション(中盤)で、十分にプレーできることがわかりました。 

牛木 彼の場合は、技術はあるが、体格はよくない。スピードもあるわけではない。それでも彼を起用したのは、インテリジェンスに、すぐれた点を認めたからでしょう? 

メノッティ そうですね。彼の賢さは、先天的なものです。たとえばライオンは強い。チータは速い。しかし他の動物がみなライオンやチータに食べられてしまうわけではない。シカは足の速さで逃げてしまうし、強さも速さもない動物は、木に隠れたり、保護色でごまかしたりする能力を与えられている。そういう能力は、天から与えられたものですね。アルディレスもそうですが、サッカーの選手のインテリジェンスは、そういう生まれながらの能力のように思われます。 

牛木 インテリジェンスは、どのようなときに発揮されるのでしょうか。 

メノッティ すべてのプレーで、選手たちは、そのたびごとに何かを判断しなければなりませんから、そのたびにインテリジェンスが働いていることは確かですね。しかし、どちらかといえば、攻撃のときに、インテリジェンスがとくに必要です。 

牛木 たとえば……。 

メノッティ ワールドカップの1次リーグの試合で、アルゼンチンのチームは、試合のはじめから終わりまで攻撃し続けようとしているように見えた、とあなたが指摘した。たしかにそういう傾向があったし、終始攻撃的なサッカーをすることは、私たちの方針でした。しかし、アルゼンチンは、ロビングボールをあげて、全員が、わあっとゴール前に殺到したわけてはありません。1人1人が、プレーしながら攻めたのです。ドリブルで相手を抜こうか、パスをしようか、前へ走ってパスをもらおうか、後ろに下がって相手を引きつけようか、そういうことを、1人1人が判断してプレーしながら攻めたのです。 

牛木 あなたが“プレー(スペイン語でフガール)しながら”というのは、遊びながら、ということですね。 

メノッティ そうです。サッカーには2つの場面があります。攻撃の場面と守備の場面です。ボールが自分たちの場面になったら、11人が技術者にならなければならない。それぞれ自分の技術を思う存分に駆使するのは楽しいことでしょう? しかし、相手にボールを奪われたら、つまり守備の場面になったら、ボールを取り返すために、11人が労働者にならなければならない。 

牛木 労働するのは、あまり楽しいことじゃない(笑い)。 

メノッティ ボールを取り返すためには、それほど考える必要はない(笑い)。ただ働くことだけが必要です。そしてボールを奪いかえしたら、考えることが必要です。  

遊びから驚きが生まれる
牛木 あなたは「日本のユースチームの攻撃には“驚き”がない。驚きがなければゴールは生まれない」といわれました。驚きを生むことができないのは、インテリジェンスが欠けているからのように思われます。その点はどうでしょう? 

メノッティ 日本のチームが、とくにインテリジェンスの劣る選手を集めていたはずはないでしょう。まず非常に高い技術をもった選手を集め、その中からインテリジェンスのある選手を選ぶ必要がある、と私はいいましたが、そういう選手たちに、技術やインテリジェンスを、十分に発揮させてやらなければ、そのかいがありません。そういうサッカーをやらなければ、選手自身にインテリジェンスがないように見えるものです。 

牛木 技術とインテリジェンス、つまり個人の才能を100パーセント発揮させ、それをチームの勝利に結びつけることができれば、そういうサッカーこそ、1980年代に勝利を収めるサッカーでしょうね。

メノッティ あまり急いでばかりいては、個人の才能と能力を十分に発揮させることはできません。アルゼンチンのチームは、はじめ、ゆっくりしていて、突然スピードアップして攻めます。こういう変化を生み出すものが、インテリジェンスです。 

牛木 日本の選手に戦術的能力と落ち着きがない、とあなたが指摘したのは、この問題ですね。 

メノッティ ナポレオンは、こういっています。「私は急いでいるから、ゆっくり服を着せてくれ」とね。 

牛木 それは、サッカーにも通じることですね。 

メノッティ ナポレオンは、こうもいっています。「守備することは、勝利を放棄することではない」 

牛木 ナポレオンは、メノッティの先生だな(笑い)。 

メノッティ ナポレオンは、私の知っている唯一の偉大な監督です(笑い)。彼は、こんなすばらしいこともいっています。「1人の悪い司令官は、2人のすぐれた司令官にもまさる」とね。 

牛木 いかにして変化を作り出すかを知っており、スピードの中でも高い技術を発揮する能力があり、落ち着いているときには最高度の正確さを、なにげなく使いこなす――そういう選手は、本当に偉大ですね。 

メノッティ たとえば、ペレがそうでした。ペレを知らない人が試合を見ていて、5分たち、10分たち、20分たっても、その人は「どれがペレなのか?」というでしょう。つまりペレがボールを軽くまわしたり、グラウンド上を歩いているときは、だれも彼が偉大な選手だということに気がつかないのです。しかし、突然、彼は驚きを見せます。それを見て、多くの人は「あれがペレだ」と気がつきます。 

牛木 マラドーナのプレーぶりも、中盤のなにげないプレー、急に驚きを見せるプレーがきわ立ってますね。 

メノッティ 日本のユース選手のプレーは、テレビで見ただけの印象ですけれども、かなりの技術をもっているにもかかわらず、いつも、みな同じように見えました。1人が周囲を見て、一方のサイドヘボールを出そうとする。みんなが、そっちへ行こうとする。そして、そのとおりにパスが出される。一つの固定観念みたいなものを、みながもっていて、ひとりがあっちへ行きたいといったら、みんなが、そっちへ行くことになる。だから相手のチームは、注意を分散させられることがない。予測したとおりに攻めてくるのだから。

牛木 意外性がないわけだ。 

メノッティ 銀行強盗のやり方を見習ったほうがいい。銀行の正面玄関に警官が並んでいるときに、強盗は正面から押し込んだりはしませんよ。そこは通れないのだから、脇からいかなくちゃあ。いつも同じところを通って、いつも同じことをしようとしても、相手にわかってしまう。ものすごいスピードでばかり行こうとする。 

牛木 勝とう、勝とうとしすぎるから…。 

メノッティ 勝つためには“プレー”することが必要です。プレーするというのは、一つのことにばかり熱中しないで、息ぬきをすることです。つまり、遊ぶことです。いきなりゴールへ行こうとしないで、あちらを見たり、こちらへ行ったり、ゆっくりボールをキープして、まわりを見ている時間がなければならない。 

牛木 日本人は急ぎすぎるし、よく働くのでね。上手に遊ぶことは不得意なんだ。 

メノッティ スポーツでは、遊ばなくちゃいけない。遊びながら周囲を見ているうちに、どこから攻めたらいいのか、ということがひらめくのです。 

牛木 驚きは遊びの中から生まれるわけだ。 
 


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