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サッカーマガジン 1979年11月10日号

時評 サッカージャーナル

日本ユースの反省

コーチが悪いよ
 「ワールドユースの決勝戦は良かったねえ」
 と友人がいう。
 NHKのテレビ中継で、シロートの人も、世界のヤングの高度なプレーにびっくりしたらしい。
 その代わり、日本のサッカーに対する風当たりは、強くなった。
 「だけど日本はだめだねえ。一つも勝てなかったじゃないか」
 決勝戦のテレビを見て、改めて日本の成績を思い出した人が多いようだ。
 「だいたい、お前たちジャーナリストがいけないね。負けても、負けても、善戦だの、けなげだのって甘やかしてる」
 だんだん風向きが変わって、とばっちりが、こっちのほうに飛んできた。
 「日本のサッカーが勝てないのは、体格が悪いためでも、体力が劣るからでもない。それが、今度のワールドユースで、われわれシロートにも、よくわかったよ。要するにヘボなんだよ。あれはコーチが悪いんだろ。そこんところを情け無用で、しっかり叩かなくちゃあ」
 この友人は、シロートにしてはいいところを見ているんだけれども、実情を知らないから勝手なことをいう。
 日本サッカー協会の平木隆三技術委員長や日本ユース代表チームの松本育夫監督は、本当に「1勝もできなかった」のだから、へぼだったといわれても仕方がない。
 ユースのチームとしては、十分に準備の時間と機会を与えられたのだから、その点では、言い訳はできない。
 ただ、ぼくにいわせれば、本当にヘボなのは、日本のサッカー界の組織の構造そのものであって、それを改革しなければ、世界のトップクラスのプロには、永久に追いつけない。監督、コーチ個人を責めたって、しようがない。
 「平木委員長だって松本育夫監督だって、名選手としてすぐれた経験を持っているし、頭はいいし、勉強はしてるし、情熱はありあまるほど持っている。日本のサッカーにとっては、得がたい人材なんだから、彼らだけに全責任をかぶせて、足をひっぱるのは、どうかと思う」
 こういって、ぼくが弁護したら友人は冷ややかに笑った。
 「お前も、やっぱり、ヘボだなあ」
 だが、友人とは違って、ぼくは日本のサッカーの内情を、ある程度は知っているから、冷酷なことはいえない。
 平木隆三や松本育夫に代わって会社の仕事や商売を犠牲にし、情熱をもって収入のない仕事をしてくれる有能な人材が、他にいるだろうか。いまの日本のサッカーの組織と構造のままでは、代わりの人材を見つけることは、無理だと思う。
 とはいっても、ワールドユースのときの日本チームの成績に、目をつぶって、ほおかぶりしてしまえ、というつもりではない。
 将来のための反省は、きちんとして、建設的な意見を出し合い、今後のための対策を立てる必要がある。
 その点で、一つ気になっていることがある。
 それは、今度のワールドユースの教訓の一つとして、平木委員長も、松本育夫監督も、次のような趣旨の話をしていることである。
 「これからは、10歳から12歳ぐらいの少年たちに、戦術を教えることを考えなければならない」
 これは、誤って受けとられると非常に危険な表現だと思う。

野放しのほうがいい
 平木委員長は『サッカー・マガジン』(10月25日号)掲載の談話の中で、次のように述べている。
 「(パスの感覚は)10歳ぐらいのころから養成しなければ、ならないだろう」
 「10歳ぐらいのサッカーを野放しにしてはならない」
 松本育夫監督は、ワールドユースの準決勝を見たあとで、国立競技場の通路で報道陣と立ち話をしているときに、こういっていた。
 「戦術的なことを、10歳から12歳くらいの間に、どんどん教えるべきだと思いますね」
 10歳から12歳の少年たちが、遊びのサッカーの中で、おとなが試合でみせるような戦術的な感覚をひらめかせるようでなければ本当でない――という意味なら賛成である。
 しかし、少年たちの戦術的感覚を「養成し」「教える」というつもりだとすると、ちょっと違う。全国の少年たちが、みんな平木式サッカーや松本育夫的感覚のプレーをしはじめることを想像すると背筋が寒くなる。
 そういう点では、アルゼンチンのメノッティ監督の意見に、ぼくは同調する。
 「多くの指導者、まだサッカーをはじめたばかりの、10歳から12歳ぐらいの少年たちに、戦術を教えこみ、作戦を授けようとするものです。これは良くないことです。サッカーは、プレーをすることを楽しみながら、やるものです」(『サッカー・マガジン』10月25日号のインタビュー)
 ぼくは、少年たちのサッカーはできるだけ「野放し」にしておくべきだという考えである。
 中央集権的に、「選んで」「教育して」型にはめてしまうことのほうが、よっぽど危険である。
 雑草のように、たくましい生命力のある底辺から、いろいろと個性の違う選手が出てきて、はじめて変化の多いサッカーが、できるようになるのだと思う。
 そういう意味で、これからは日本のユース選抜チームも、それぞれ個性の違う監督のもとに、毎年3種類くらいつくってみては、どうだろうか。
 松本育夫監督のチーム、松本暁司監督のチーム、井田勝道監督のチーム、なんていうのは、どうだろうか。
 「うん、それは面白い。絶対それをやるべきだ」
 友人は、はじめて賛成してくれた。だが、そのあとがいけない。
 「その3チームで総当たりのリーグ戦をやろう。血で血を洗う決戦になるぞ」
 どうも日本人は“遊び”よりも“勝負”が好きなようである。


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