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サッカーマガジン 1979年7月25日号

下村全日本の緊急事態に何をすべきか!!
日韓戦で1−4の完敗

モスクワ予選で
   勝ち抜く手段はあるのか……  
   (1/2)   

 ソウルの日韓戦は、意外な大敗だった。下村全日本の緊急事態である。
 日本代表チームは、このあとマレーシアのムルデカ大会に参加、さらに8月末のソ連遠征を経て、10月のモスクワ・オリンピック予選に的をしぼるが、ソウルのショックから立ち直れるだろうか。 
 日韓戦の敗因を分析して、緊急事態への対策をさぐってみたい。

日韓戦の敗因
 ソウルから衛星中継されているテレビの画面に、日本代表チームのベンチが映った。下村監督は長そでのトレーニング・ウェアを着ている。渡辺コーチは、半そでのシャツだ。
 「ソウルは、それほど暑くはないのかな」と、ちらっと考えた。
 だが、試合の終わりごろになって画面に大映しになった韓国選手のシャツは、ぐっしょりと汗に濡れていた。やはり、暑かったらしい。翌日のスポーツ新聞に載った特派員の記事の中に「昼間のような暑さの中のゲームで集中力がなかった。BKの相手マークがずれていた」というゴールキーパーの田口選手の話が出ていた。
 結果は1−4の完敗だった。敵地で行われた第8回日韓定期戦。これまでの対戦成績をみても、これほどの完敗は、いくつもない。
 暑さは、もちろん敗戦の原因ではない。この季節、日本よりは韓国のほうがしのぎやすいはずで、この日たまたま、むし暑かったとしても、耐え難かったのは、向こうの選手も同じだったと思われる。暑さ寒さは相対的なもので、マレーシアから招いた主審は、黒い長そでのシャツで涼しい顔をしていた。オリンピック予選は、マレーシアか、インドネシア、いずれにしても、もっと暑い国で行われるのだから、ソウルの暑さぐらいで、集中力を失うようでは困る。
 さて、テレビで見た限りでは、日韓戦の敗因として、次の三つをあげることができるように思った。
 第一は、基本的なテクニックと実戦的な判断力に、いぜんとして大きな差があることである。「なにを、いまさら」という感じだが、一方的な試合になったために、一人ひとりの能力の格差が、いっそう、くっきりと出た。
 「日本の守備は固まってきた」といわれているが、守備ラインも1対1でやられている。清雲は朴成華をマークしきれなかったし、今井は許丁茂のドリブルを止められなかった。
 左のバックの石井は、ジャパン・カップのときのプレーぶりからみて、マンツーマンでかなり守れるのではないかと思っていたが、韓国の右ウイング申鉉浩に、何度も突破された。前半25分の2点目は、最終的にはGK田口のミスを朴成華が拾った形になったけれども、そのもとになったのは、申鉉浩のセンタリングを石井が止め切れなかったところにある。石井のミスではなく、申叙浩の力が、石井を上まわっていた。
 このような1対1の力の差は、まえまえからわかっていたことで、下村監督も「実力は六分四分で向こうが上。敵地でやることを考えれば、七分三分かもしれない」と試合の前に話していたそうだ。
 個人的な能力の差を、なんとか埋める方法の一つは、体力と精神力、つまり「がんばり」であり、もう一つはチームワークである。しかし、「がんばり」にしろ、チームワークにしろ、監督やコーチが、口ではっぱをかけ、黒板に図を書いて説明すれば、生まれてくるものではない。こういうものを生み出すのは、時間をかけた「良い準備」、つまりコンディショニングである。
 今回の日韓戦の敗因の第二は、このような「準備」の点で、韓国が上だったことだろう。 
  韓国は、3月に東京で行われた第7回定期戦に1−2で敗れたあと、咸興哲監督に代えて張慶煥監督を起用した。
 韓国は、前年にはムルデカ大会とアジア大会に優勝し、「史上最強の韓国代表チーム」といわれた。その功労者の、咸興哲監督を3月の試合の敗戦の責任で辞めさせたのだったら、これは日本では想像できない厳しさである。
 張慶煥新監督は、ソウルでの勝利のあとでこう語っていたという。
 「きょう勝ったのは偶然ではない。これは3週間にわたる特別訓練の成果である」
 日本代表チームも、日本リーグの前期が終わったあと、合宿練習をしたことはした。 
 しかし、日本の合宿練習が、ジャパン・カップに出場し、さらに夏の海外遠征をめざした調整だったのに対し、韓国は地元での日韓戦に狙いをしぼって“特別訓練”をしていたらしい。つまり、日韓戦にかける意気込みが違っていた。そのことが、現地の特派員が伝えてくれた監督の談話から、うかがわれる。 
 韓国のほうが、今回の日韓戦に関していえば「良い準備」をし、それが、がんばりやチームワークの違いになって表われたわけである。 
 これは、日本としては、やむを得ない違いだろう。すべての試合に、全精力を注ぎ込むことは現実には不可能である。ほかに大きな目標があるとすれば、敵地でのフレンドリーマッチのために、あらゆる犠牲をはらうわけにはいかない。下村監督が内心、そう考えてコンディショニングのプランを立てたとしても、不思議はない。 

守りもまだもろい
 日韓戦の基本的な敗因は、以上の二つだけれども、1−4の大差になったのは、両チームの作戦の差だったように思う。
 これが敗因の第三である。そのことを説明する前に、ソウルでの試合で、日本代表チームは、なにを狙うべきだったのだろうか――ということを、考えてみよう。
 2月に下村監督、渡辺コーチが就任してから、日本代表チームは、大きく変わったようにみえる。なにが、いちばん変わったかといえば、選手たちの顔つきが変わっている。
 首脳陣が代わって、選手たちは「これはいかん」と改めて危機感を持った。それが選手たちの顔色を変えさせた。これは、3月の東京での日韓戦の勝因の一つだった。
 二宮監督が1人ですべてをとり仕切っていた前の体制と違って、下村監督と渡辺コーチに仕事の分担ができた。現場を握った渡辺コーチが、選手たちに厳しく気合いを入れるよりになった。選手たちの顔つきも、きびしくなった。
 ジャパン・カップのフィオレンチーナとの試合の前、国立競技場のスタンドの下で日本代表の選手の顔をみたら、みな目がつり上がっていた。まるで、世界タイトルマッチのリングに上がる前のボクサーのような顔だった。
 「ははあ、渡辺コーチに、かなり気合いを入れられたな」とすぐわかった。
 フィオレンチーナとの試合は、1−1の引き分けだった。日本の善戦だったといっていいと思う。気合いを入れてやれば、いまの日本のレベルでも、ヨーロッパのプロに対して、そこそこの試合ができるという証拠である。
 トットナム・ホッツスパーとの試合では、最後にプロの底力に屈して、2点をもぎとられたが、守りの点では、かなり、がんばった。最近の日本代表チームでは、最高のできといっていいほどだった。
 選手のムードは変わってきた。守りは、かなりメドが立ってきた。さあ、次は攻撃の活路を見つけよう――下村全日本は、ソウルでの韓国戦の狙いを、そのへんにつけたのではないだろうか。
 藤島が負傷で参加できなかったので、中盤に誰を起用するかが、今回の試合のポイントの一つだったが、下村監督は、中盤のトップに東洋工業の河内を使った。河内が日本代表チームにはいったのは、今回が初めてだから、それをいきなり外国で使ったのは、まったく意外である。
 下村監督は、河内について「キープ力があり、ペナルティーエリアにかかるあたりから、ちょっとした仕事ができる」と、代表に選んだ理由を語っている。その河内を、ソウルで先発メンバーに起用したのは、やはり、この試合の狙いを「攻撃の活路を見つける」ことに置いたからだろう。
 選手の起用については、外側から見ていてはわからない、さまざまな内部事情があるものだ。まして外国での試合をテレビで見ただけで、軽率な判断はできないが、結果的には河内の起用は裏目に出た。
 ソウルで、日本代表チームは「攻撃の活路を見つけること」ではなくて守りのメドをもう1度テストすることを、狙うべきだったと、ぼくは思う。
 気合いを入れて守れば、ヨーロッパのプロにも対抗できる――とはいっても、それはホーム・グラウンドの恵まれた環境で、シーズンオフの観光気分できているプロを相手にしての話である。
 敵地に乗り込み、一方的に相手のほうを声援する観衆に囲まれ、手ぐすねひいて待ち構えたチームを相手にして、その守りが通用するかどうか。そこのところをチェックするには、この日韓戦は、いい機会だった。
 そのためには、守りを主にした選手起用をするべきであり、勝つにこしたことはないけれども、試合としては0−0の引き分け、負けるにしても0−1の僅差をめざさなければならなかった。
 しかし、前半15分で1点を失い、25分には0−2とされて、日本はいやでも反撃を狙うほかはなくなり、そうなったときの守りに、意外なもろさが出てしまい、結局は4点をとられた。これは日本の作戦の失敗だった。
 逆に、韓国のほうは、作戦が図に当たった。3月の試合のときは、ストッパーだった朴成華をセンターフォワードに起用し、その朴成華がハットトリックを演じた。
 個人技があり、勝負強い選手を前のほうに使って日本の守備を各個撃破した。守りのほうでは、読みのいい朴炳徹を新たにスイーパーに起用し、コンビネーションのいい守りを見せていた。
 後半立ち上がりの日本のゴールは、試合があまりにも自分たちのペースになり過ぎたための、韓国の気のゆるみからである。 
 実質的には4−0の内容だったように、テレビの画面からは思われた。 


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