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サッカーマガジン 1979年7月25日号

時評 サッカージャーナル

ジャパン・カップでの失敗

成田空港の足止め
 ジャパン・カップ決勝戦の日に、国立競技場のスタンドで、日本サッカー協会の藤田静夫副会長に、お目にかかった。協会の平井会長は、財界で多忙な方だから、藤田副会長が事実上、いまのサッカー協会の責任者である。
 「協会も(組織と運営を)考えなおさんと、あかんな。みんな、だれかがやってくれよるだろうと思って寄りかかっとるようだ」
 「そうだろうと思いますね」
 ジャパン・カップなどの運営ぶりを外側からみていて、かねがねそう感じていたのだが、内部の責任者である藤田副会長が、そういわれるのだから、本当に、ちょっとタガがゆるんでるのではないかと思う。
 その一つの例が、ジャパン・カップのために来日したヨーロッパの2チームが、成田空港で足止めされた件である。
 最初はイタリアのフィオレンチーナで、成田へ着いたが入国させてもらえなかった。理由は業務ビザをもっていなかったからだ。
 イタリアの選手たちがビザをもらわないで来日した事情は、理解できないでもない。というのは西ヨーロッパの国同士では、ふつうビザはなくても、自由に行ったりきたりできるようになっているからである。
 それに、日本とイタリアの間にもビザの相互免除協定というものがあって、ただの観光のためなら別にビザはいらないのだ。気軽にほいほいと、カウンターを通り抜けられるのである。
 ところが、フィオレンチーナはプロ・チームで、日本で試合をしてギャラをもらう。つまり商売のために来日するので、単なる観光ではない。だから、成田空港のカウンターを越えるためには、業務ビザを取ってくる必要があったのである。イタリアからサッカー・チームが日本に来たのは、これが初めてだから、ビザのことをあまり厳しくは考えていなかったのだろう、とぼくは思った。
 ところがだ。
 翌日、成田にやってきたイングランドのトットナム・ホッツスパーのチームも、同じようにビザをもたないで来て、空港で足止めを食った。ご存知のように、イギリスのサッカー・チームは、毎年のように日本に来ているし、スパーズだって2度目である。
 これはどうも、招待者である日本サッカー協会が「業務ビザを取ってくるように」という注意を怠ったのではないかと疑われる。そうだとすれば、日本側にも落ち度がある。
 さて、幸いにして、日本政府の特別な配慮で足止めされた2チームも無事入国できたのだが、このトラブルが起きたときに、東奔西走して汗かいていたのは、もっぱら協会の事務職員と専務理事だったという話である。だいたい、成田にチームを迎えに行っていたのが若い事務職員1人だけだったと、スポーツ新聞は報じていた。
 協会の専務理事や事務職員が一生懸命に働くのは、仕事なんだから当たり前だ――と思われるかもしれないが、アマチュアのスポーツ団体の場合は、わけが違う。
 スポーツ団体は、ふつう専従でない役員の奉仕によって成り立っているので、主になって働くのはボランタリーの役員でなければならない。
 給料をもらっている少数の専従職員は、こういうボランタリーの役員の仕事がうまくいくようにアレンジするとか、ごく日常の本当に事務的な仕事を処理するものである。

お粗末なPR
 サッカーのジャパン・カップと時を同じくして、体操のワールドカップと、陸上競技のアジア大会が日本で開かれた。
 この三つは、いずれも日本最大のPR企業がバックアップし、財政的にも、ほほ同じくらいの規模だったらしい。
 この三つの中で、もっとも運営の見劣りしたのは、ジャパン・カップだった。
 もちろん、運営方針の考え方がそもそも、かなり違うので、単純な比較はできない。しかし、ぼくたち報道関係者に対するPRやサービスだけをとっても、かなりの差があった。
 こういう大会の前には“予想会”と称する会合があって、協会が新聞記者たちを集めて、資料の提供などをするのだが、体操のときは一流中の一流の専門家が出席し、懇切丁寧に説明し、事務的にも、参加選手一人一人の経歴や得意わざについて、詳細な資料が用意されていた。
 サッカーの場合は、記者クラブへ来て簡単な資料を配り、おざなりの説明をしただけである。来日チームについての解説をしたのはそれこそ、協会の事務職員で、アントニョーニが、第1戦に間に合いそうもないことは、ヨーロッパの国際試合のスケジュールからみて、かなり前から推測されていたのだが、明確な説明をできずに、最後まで、ごまかし続けるしまつだった。アントニョーニが来ると思って、第1戦の日本代表−フィオレンチーナの中継を組んだテレビ局はいい面の皮である。
 陸上競技の大会では、ある大学のOBの弁護士さんが報道委員長として報道サービスを組織した。
 優勝した選手は、全員、国立競技場の会議室に特設したプレスセンターに連れてきてインタビューさせ、その内容を英訳して印刷して、外国の新聞記者に配布していた。サッカーのジャパン・カップでその必要はないが、必要がある場合に、これだけのことをする組織力が、日本サッカー協会にあるとは思えない。
 こういう例を、たくさん見ているものだから、決勝戦の日に、藤田副会長が“自己批判の弁”をちらりともらしたときに「まったくそうだ」と思ったわけである。
 自分の仲間たちだけでなく、サッカーの愛好者に広く協力してもらって、みんなの力でジャパン・カップを盛り上げることを考えてもらえないものだろうか。
 そうでないと、次から次へといいかげんな大会を開いて、興行屋さんに組織を食い荒らされるだけである。


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