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サッカーマガジン 1979年2月10日号

第58回天皇杯全日本選手権・総評
若手の台頭札幌大の健闘で話題はあったが

三菱の優勝で
  新しい変化は起きたのか?! 
   (1/2)   

 これは、古いサッカーの復活だろうか? それとも新しいサッカーのスタートだろうか? 元日の天皇杯決勝は、三菱重工−東洋工業の顔合わせだった。三菱は5年ぶり5度目、東洋は8年ぶり8度目の決勝進出である。かつての王者が実に久しぶりに戻ってきた感じだった。
 だが古いものが、そのままの姿でよみがえるはずはない。古い土壌の上に必ず新しい芽が育ってきているはずである。1年前には高校のヒーローだったヤングの活躍があった。札幌大旋風があった。メキシコの銅に輝く若手監督の対決があった。低迷のシーズンを締めくくった第58回天皇杯全日本選手権の中にも、明るい光をさがしていきたい。優勝は三菱重工。5年ぶり3度目だ。

三菱は変わったか
 快晴に恵まれた元日の決勝戦が三菱の優勝で終わったあと、選手たちはフィールドに整列しようとして、ちょっとうろうろした。正面スタンド中段の貴賓席に、選手たちが上がっていって、日本サッカー協会の平井富三郎会長から天皇杯を受け取る。そういう手はずになっているのを知らなかったらしい。
 これは、ワールドカップや本場イングランドのFAカップの表彰式と同じやり方で、日本の天皇杯でも、3年前からやっている。それを知らないで選手たちがまごついたのを見て「三菱の天皇杯は久しぶりなんだなあ」と改めて思った。
 天皇杯は5年ぶり。5年前のときに日本リーグにも優勝して2冠をとっている。その後リーグでは4年連続で2位、天皇杯では一度も決勝へ出られなかった。強いけれどもタイトルをとれない。そんな状態が続いていた。
 それが1978年度の今回は、日本リーグと天皇杯を再びあわせとった。主要タイトルではないが、夏に岡山で行われたJSLカップの決勝大会でも、日本代表チームのヨーロッパ遠征から帰った直後の選手を加えて優勝している。この年度にとることのできるタイトルを三つとも全部とったわけである。
 これは、古い三菱のサッカーの復活だろうか。それとも新しい三菱のサッカーのスタートだろうか。これが今回の天皇杯を振り返ってみようとして、まず、頭に浮かんだテーマである。
 決勝戦のあとのインタビューで、ぼくは横山監督に「三菱のチームは、そろそろ若返りを考える時期じゃないのか」と質問した。
 質問したあとで、この質問は見当違いであることに気がついた。3冠のチームの中心だった落合が32歳、準決勝で古河から決勝点をあげた細谷も32歳。こういう選手がさらに選手生活を続けるのかどうか、それを聞き出したいというほうに頭がいっていて、こういう質問が口から出たのだが、気がついてみると、いまの三菱には、すでに若い新しい選手がたくさん加わっている。
 決勝戦で殊勲のゴールをあげた高原は21歳。新しいエースに育ちつつある新人の尾崎は18歳だ。考えてみれば、尾崎は1年前の元旦には、天皇杯決勝の前の高校選手権大会開会式で、神奈川代表・日大高のメンバーとして入場行進をしていた選手である。このほか加藤が関学を出て3年目、永尾が法大を出て2年目。三菱の若返りは、すでに着々と進んでいるといっていい。
 そういう意味では、今回の3冠は新しい三菱のスタートだといっていいだろう。
 落合をはじめとするベテランが、若手の良さを伸ばし、決勝戦で勝負を決める縦パスを出した29歳の藤口が若手の力を生かした。ベテラン−中堅−若手とつながるチームの年齢構成のバランスが、古い三菱の良さを、新しい三菱のスタートに伝えるのに役立っているのかもしれない。
 そういう目で三菱の戦いのあとを振り返ってみると「三菱のサッカーは変わりつつある」という気もする。
 三菱のサッカーは、オープンスペースへすばやく走り込み、ダイレクトパスを早くつなぐのが特徴だった。この特徴はいまでも変わっていない。古河に苦戦のすえ延長で勝ったあとで、横山監督は「ボールを早く動かせといっていたのだが、ひねくりすぎた」と話していた。三菱のねらいが、ボールを早く動かすことにあったのは確かである。
 しかし、横山監督は決勝戦のあとで「従来から狙っていたことができかけてきた。それは、むずかしい状況でも、ボールをていねいに扱うというサッカーだ」とも語っている。
 三菱の若い選手たちは、ボールを上手に扱うことのできる選手たちである。三菱は「ボールを早く動かす」ことを狙っているのかもしれないが、若い選手たちは、相手にプレッシャーをかけられながらも、自分でボールをもち、少しばかりドリブルをすることによって、それにひと味違うものを加えているのではないだろうか。「ボールをていねいに扱う」ことには、正確なパスでつなぐという意味だけでなく、個人のテクニックでもキープできることがはいっているのではないだろうか。
 「古い三菱もそうだった」ということもできる。5年前には、いま三菱のコーチである森が中盤をつなぎ、日本リーグ2部に昇格したヤマハの監督杉山が前線を走った。横山監督がゴールキーパーだった。現在の三菱は、森−杉山のような確固とした軸はないが、テクニックのバラエティーには富んでいるように思う。
 三菱のサッカーは変わってはいないが、変わりつつある、ということができる。 

若い選手たちの活躍
 決勝大会の出場チーム数が28と半端なため、シードされている三菱は1回戦不戦勝。このシードはよくわからない。前年度の日本リーグ上位4チームを1回戦免除にしたらしいが、同じ年度の日本リーグのシーズンも、すでに終わって、新しい順位が決まっているのだから、これは妙なものである。なるべく早い機会に、チーム数を32にして不戦勝をなくし、組み合わせの配分は、前回の天皇杯の成績を考慮するようにしたらいいと思う。
 それはさておき――。
 三菱は2回戦で早大を破り、3回戦で札幌大に大勝した。早大との試合は、日本リーグのチャンピオンと大学チャンピオンの対決だったが、現在では日本リーグ1部の上位と大学勢の間には、かなりレベルの差がある。三菱は組み合わせに恵まれてのベスト4進出だった。
 準決勝では、三菱は古河電工に非常な苦戦をした。前半20分までと、後半の立ち上がりに三菱はいくつかチャンスをつくったが、いずれもコーナーキックやフリーキックからのものだ。それ以外の時間帯では、古河が逆襲の速攻から何度もきわどいチャンスをつくっていた。永井がかなりシュートを外に出したが、1本でもぴしっと決めていれば 三菱はここでつぶれていただろう。
 古河の新人の健闘も、ここに記しておかなければならない。神保(静岡学園出)が、左のサイドバックで出て攻撃参加に良さをみせ、宮内(帝京高出)が中盤でセンスのいい長いパスを出していた。準決勝にはひざの負傷で出なかったが、準々決勝の日立との試合では、金子(帝京高出)が前半スイーパーで出てがんばった。早稲田(帝京高出)がジン帯手術で入院中だったのは残念だ。高校選手権大会のスターだったカルテットがそろえば、話題としても面白いところだった。
 さて、三麦−古河の準決勝は、ともに決定力を欠いて得点がない。後半31分に、古河の鎌田監督は決勝点の一発をねらってセンターフォワードの鈴木に替えて川本を送り込んだが、三菱の横山監督は動かない。先発の11人のままである。ここのところの用兵が、結果論ではあるが、延長にはいって明暗を分けることになった。 
 延長の前半、三菱はメンバーを変えなかったが、それまで比較的守備的だったスイーパーの落合が前線に攻め上がるようになり、優勢になった。 
 延長前半5分、左コーナーキックのチャンスに落合や川島が前線に出て勝負をかけ、ボールはゴールを割ったがオフサイド。これは微妙な判定だった。 
 延長後半2分に、横山監督は、はじめて選手交代をし、若手でドリブルの巧い高原に替えて、センターフォワードにベテランの細谷を送り込んだ。残り8分を細谷のゴール前の強さに賭けたのである。 
 この賭けは、4分後に実を結んだ。右サイドからの永尾のロングスローに加藤と細谷と藤口が競りかける。加藤に当たったボールが、さらに藤口に当たってこぼれ出たところに、細谷がまわり込んでいてシュートを決めた。 
 テレビのビデオで見ると、細谷は加藤といっしょにスローインのボールを競りに行きながら、ボールがこぼれ出る瞬間にはだれよりも早く、後ろにまわり込んで、次にボールがこぼれ出てくる位置にはいっている。「アンティシペーション(予測)の良さですよ」と、細谷はいっていたが、ヨーロッパ風にいえば「シュートのできる場所を鼻でかぎ分ける選手」だろう。これは三菱の天皇杯獲得に最大の貢献をしたゴールだった。 
 もう一つの準決勝は、フジタ−東洋だった。 
 前年度の天皇杯チャンピオンであるフジタの優勢が予想され、前半の展開は「フジタの攻め、東洋の守り」という予想どおりだったが、後半に形勢は逆転、21分と24分に東洋はコーナーキックから2点を連取、さらに28分に中盤のフリーキックを受けた小滝春が約25メートルのロングシュートを決めて3点目を加えた。 
 この大会では、コーナーキック、フリーキック、スローインからの得点が非常に多かった。流れの中からの攻めでゴールが出ないのは、見る立場からいうと、あまり面白くない傾向である。
 さて、決勝戦――。      
 1979年1月1日。東京の国立競技場は2万の観衆だった。元日決戦でオリンピックのスタジアムを超満員にしようという、ぼくの毎年の主張とはほど遠いけれど、雨にたたられた昨年よりは、はるかに気分さわやかなお正月だ。 
 三菱の出来はあまり良くなかった。試合のあとで落合主将が「今シーズンは3冠をとり、自分の200試合連続出場もあって、うれしいシーズンだったけれど、決勝戦の試合ぶりは不満だ」といっていたが、そのとおりだと思う。動きは小さかったし、シュートはゴールの枠を遠くはずれたのか多かった。東洋がよく守り、三菱は攻め切れない感じだった。 
 しかし、後半13分の高原の決勝ゴールを生んだ攻めは、三菱らしいものだった(図)。
 古田がけり返してきたボールを斉藤和が拾って攻め上がったところからはじまる。永尾、藤口にちょっとしたドリブルがはいって、相手をひきはずし、最後は藤口の縦パス1本が勝負を決める。追いついた高原は、ゴールキーパーとぶつかりながら転がし込んだ。 
 東洋の小城監督は、前半藤口のマークに当たっていた主将の宮崎を、後半に新人の河内(大商大出)に替えた。宮崎がふくらはぎを痛めていたためである。河内は攻撃に良さがあるので、ここから決勝点を、という狙いもあったのだろう。 
 河内からチャンスも生まれたが、河内が攻めに出ただけ藤口のマークが甘くなった。藤口は、この天皇杯に関しては、チームの軸となっていい活躍ぶりだったから、これは致命傷になった。 


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